第5話 『ランプの宿』


「あの・・・、紗月なのか?・・・」

達也の独り言が、道子の耳に聴こえたようである。

「そういえば、明日香のお友達の紗月ちゃんも、あれからどうしているかしらね…」

義理の母道子が、思い出したように紗月のことを話している。

「あれからというのは、どういう意味なんですか?」

「今年のお正月に、明日香宛てに年賀はがきが届いたのをきっかけに、二人が電話でよく話していたものだから……、何か真剣な話をね」

「お義母さん、僕は明日香の金沢時代のことはあまり聞いたことがなくて、明日香と紗月さんはどういう関係だったんです?」

「それは、いつもべったりで、実の姉妹以上だったわ。何処へ行くのも一緒でね」

「その紗月さんは、今でも金沢に?」

達也の最も気になることであった。

「いえ、あの事件があって明日香がこの土地を離れた後、すぐに紗月ちゃんも跡を追うように金沢を離れて行ったわ、東京の方だと噂では聞いていたけれど……」


 道子の話を聞いた達也は、ある行動に出ることを決心した。

「お義母さん、出かけて来ます!」

「達也さん、お昼は?……、」

達也は、道子の声を振り切るように、石畳の小路に飛び出していた。

あの明日香と写真に写っていた女が、偶然にもあの列車の中で会った紗月なのか?

若くは見えたが、年齢は確かに明日香と同じ40をいくつか越えたくらいであろう。何処に行くのかと聞いた時に、『狼煙』だと答えているのだ。これは、間違いもなく

能登半島の突端の地、『狼煙町』であると言っていい。

改めて写真を眺めて見ると、達也の知っている紗月のような気もするのだ。花開く前の蕾のような唇も、現在の紗月を思わせる。


 捜査官としての達也の勘が、短大時代の明日香の友人青山紗月、列車の中で出逢った紗月、そして、夫を殺した容疑で追われている萩原紗月、そのすべてが同一人物である可能性が高いと判断を下していたのだ。

 しかし、すでに他人事ではなくなっていた。列車の中の紗月を愛してしまった一人の男に過ぎないのである。例え彼女が夫殺しで追われている立場の女だとしても、愛の火が消える理由にはならないのだ。事実は事実である。              自分の心に決着をつけると、達也は携帯の番号を押した。明日香に送られて来た年賀状に書かれていた番号である。

呼び出し音が聞こえている。使われていることは、間違いなかった。

相手は、何かを警戒する様子で電話に出た。


「………………、はい……」

「・・・、紗月さんですね?」

「え、……どなたですか?」

「達也です・・・」

「タツヤさんて……、 まあ、どうして私の番号を?……」

「今は詳しく話せませんが、会った時に、話します。今は何処にいるのですか?」

「…氷見の実家です」

「紗月さん・・・、実は間違いであってくれたならと思っているのですが・・・、 横浜の都築区に住む萩原紗月さんという女性が、夫の殺人容疑で手配を受けているのです。・・・実家に捜査員が着くのも、間もなくだと思う・・・」

「……、そんなこと…、そんなこと、とても信じられないわ。私は何も……」

「分かってます。僕は、あなたを信じてる。でも、僕の言う事を聞いてくれますか?今すぐ携帯の電源を切ってから、実家を離れて下さい。何か事情があるのは、分かっていますから・・・、僕はあなたではないと信じたい。話を聞くために半島のどこか人目に付かない場所で 会いましょう。どんなことになっても、力になるから・・・、これだけは信じて下さい」


「…分かったわ。会ってお話します。……では、奥能登の『ランプの宿』で…… 」

唐突に通話が切れると、再び繋がらなかった。電源を切ったようである。

「『ランプの宿』って、何処だ?、」達也は、暗号みたいな宿の名に戸惑った。

学生時代に、友達と奥能登を訪ねた経験はあったが、貧乏旅行であった。宿に泊まった経験はなく、せいぜいが屋根のあるバス停でのごろ寝であったのだ。


 奥能登まで行くことになれば、途中から車を使わなければならなくなるのだ。達也は、駅前まで戻るとレンタカーを借りた。車種は、『PRADO』にした

 金沢東ICから、北陸自動車道に乗ると小矢部砺波JCTで能越自動車道に入り氷見市に向かった。紗月の育った氷見の風景を、意味もなくこの目に焼き付けたいと思った。道行く女性の後ろ姿に紗月を重ねると、心が動いた。恋しさで、胸が締め付けられた。

 

 達也は、富山湾まで行かずに、県道160号線で北上し、七尾まで行くことにした。

冷静に考えれば、むやみに氷見の街中を捜しまわったとしても、見つけ出す可能性はなかったのだ。七尾市街に入ると149号線で和倉温泉方面に向かう。紗月がこの温泉を選ばなかった理由が分かるのだ。県内有数の温泉地であり、高級旅館も林立し、集客数も多い事から人目を避けたと言える。                 のと鉄道七尾線と並走する形で、再び北上をする。右手に日本最古の漁法である

『ボラ待ちやぐら』が見えてくると、七尾線の終着駅である穴水であった。

 

 車内のデジタル時計に目をやると、すでに午後4時を何分か過ぎていた。   『ランプの宿』は、奥能登にあるらしいことは分かる。しかし、そこにたどり着くまでの細かなルートが分からない。しかし、道行く人に聞こうとしても、肝心の人が歩いていないのだ。

 日の落ちる5時前には着いていたいと、気ばかり焦っているとナビが目に入った。それほど、気持ちに余裕がなかったと考えると、自分ながら笑うしかなかった。

『ランプの宿』と打ち込むと、金剛崎にあるらしい。

 珠洲市を離れ『奥能登絶景街道』に入り、しばらく県道28号を進むと突然ナビが30m先を右折し脇道に入れと指示を出して来た。目指す先は、通称『青の洞窟』である。しかし、農道のような曲がりくねった道で、この先に宿があるとは到底考えられないのだ。しかし、その想像はうれしくも裏切られることとなった。突然整備された駐車場が目の前に現れたのである。

ここが金剛崎、『ランプの宿』の駐車場であった。

携帯の受信マークが圏外を示している。紗月は追われることを予想し、あえて電波の届かない場所を指定したのであろうか。一般の平凡な女性がここまで考えるものかと自問したが、達也はすぐにそれを否定した。

「単なる偶然に過ぎない・・・」



 駐車場から断崖絶壁に張り付くように作られた階段を降りると、そこが『ランプの宿』であるらしい。夕闇の中に、オレンジ色に染められた一軒宿の集合体が浮び上がっている。潮騒だけが聴こえていた。都会の喧騒からは遙かに遠く、空気のゆっくりとした流れだけが、ここが奥能登の最先端、陸の狐島であることを思い起こさせる。

 

 小さな入り江に建てられた一軒家の一つに、紗月は間違いもなく待っていてくれたのだ。何年もの間、会えずにいた恋人たちの再会のようであった。

「紗月さん、逢いたかった。何としてでも・・・」

「私もよ、でも、何が起きたの? あなたが私の番号を知っていた理由も分からないわ」

「紗月さん、・・・そのことは、後でもいいかな」

達也は、紗月の細い肩を引き寄せると、すでに蕾ではなく花びらのように成熟した唇に、自身の唇を重ねた。紗月の唇は、あの時のように冷たくはなく、熱く滑っている。大人の男と女の静かな口付けであった。貪るでのなく、慈しむような・・・。


「僕があなたを欲しいと言ったら、怒りますか・・・?」

「……怒りませんけど……、あなたは私を誤解してるわ…」

「僕には、その資格がないと・・・」

「いいえ、でも、あなたは私のことを、まだ何も知らないでしょ。私には、人から愛されることも、人を愛する資格なんて無いんだわ……」


「言い訳なんていらない。・・・今は、知りたくもないんだ。ここに紗月がいることが僕の望みのすべてなんだから・・・」

「後悔しないわね。例えどんなことがあっても………」

「ああ、受け留めてあげるよ。その理由のすべてを・・・」

 

二人はもつれる様に、大きなベッドの上に横たわった。

部屋付きの露天風呂から上がる白い湯気。そして、その向こうから聴こえてくる潮騒だけが、二人の傍観者であるようだ。

達也の首筋を啄むような唇の動きに、紗月が耐えがたい様に反応する。

白い薄手のセーターに達也の手がかかると、躊躇いがちに紗月は囁いた。

「ランプの灯りだけにして………」

達也が、部屋の照明を落とすと、ランプのわずかな赤い揺らぎだけが残された。

眼を凝らしても、二人はかすかな赤い影となって見えるだけである。

「紗月、どうしたんだ・・・、これでいいんだね」

「ええ、だって……、あなたをがっかりさせたくないのよ……」

「そんなこと、気にする方がおかしいよ。紗月は、紗月でしかないんだから・・」

「うれしい……、」

躊躇っていたはずの紗月が上になると、息も出来ないくらいに達也の唇を激しく求めた。紗月の熱い舌が差し込まれると、達也の欲情が一気に燃え上がっていく。

二人はすでに、一糸も纏わない姿である。すべてをさらけ出した一塊の人間であった。突然、紗月の背中にまわした指先の感触に、達也は異変を感じたのだ。

「紗月、どうしたんだ・・、このきずは?・・・」

「………、…………」

「黙ってたら、分からないよ・・・」

突然、涙が降り注ぐと、達也の胸を熱く濡らした。

「これが…、あなたが知らない私なのよ…、」

「・・・、分かった。もう何も言わなくていい・・・」

達也は、紗月の背中を優しく撫でると、細い身体を強く抱きしめていた。


「達也、もう私を抱けなくなったでしょ? 私は、このままでいいから……」

「いや紗月・・・、人を知るという事は、どんな状況になっても愛情を持って

慈しむものだと思ってるんだ。俺は、決して紗月を嫌いになんてならないよ」

「…ありがとう、達也……抱いて…、」

この言葉を合図のようにして、再び二人は重なり合った。

達也は、紗月の白い豊かな二つの丘陵を両手で揉みしだくと、片方の果実を啄んだ。柔らかだった果実が固くなっていくにつれ、花弁の蜜も溢れて行った。花の芽に手を添えると、破れんばかりに熱く膨らんでいる。しかし、紗月の声は高まらず、押し殺したような自制した呻き声であった。

「達也…、はやく…、はやく…、 一つになりたい……」

紗月の声は、囁くようであったが、枯渇してしまった愛を捜し求めているようだ。

達也は、熱情のおもむくまま分身を紗月の花弁に深く差し込むと、激しく律動することで紗月の願いに応えようとしたのだが、それを紗月が止めたのだ。

「待って、激しくなくていいの……、繋がっているだけで……、」

「どうしたんだ? 紗月・・・」

達也の困惑と、戸惑いであった。

「…………おかしいでしょ? わたし……。こんな身体になってしまった……」

「俺は、紗月が嫌がることはしない・・・、ずっと、抱いててあげるから、今日はこのまま眠るとしよう」

「ごめんね、達也……、その代わり明日の朝、私がね……」

「ありがとう。でもな、無理することもないんだよ。そのうちにな・・、」

達也は、紗月の背中につけられた傷の意味を知ったのだ。きっと、その行為は愛情を伴わないものだったのだろう。いや、愛情があったとしても、男の独善的な強要であったのかも知れない。女に無理やり大きな声を出させるのが、目的になっていた。                          その結果が、紗月の身体につけられた傷であり、心の傷だったのであろう。


 まだ、お互いに何も知らないはずの男と女が、気持ちを強く結んでいた。

男の求める愛の形は性急であるが、女は心が先で、形は後からついて来るものだと知らされただけでも、達也は、少しは成長出来た気がしていた。

しかし、明日の朝にはお互いが何者であるのかを、はっきりとさせなければならないのである。自分は、警察官なのだ。事実を知る権利があると、達也は思った。

 


 翌日の朝、達也は湯浴みの音で目を覚ました。部屋の中に設えられた露天風呂に紗月が入っている。潮騒の音は途切れることもなく開け放たれた窓から、部屋の中に入って来る。改めてここが奥能登であることを、知らされた思いである。

好きな女の湯浴みを覗き見ることは、男の最上の喜びの一つであるに違いない。 達也は、夜着を脱ぎ捨てると、紗月の入っている朝湯気の立つ風呂の中に、飛び込んで行った。





第6話に続く

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