第3話 明日香の行方

 達也は、元妻の失踪を調べるために、『行方不明者届』が出されていた金沢東署に向かった。徒歩でも20分と掛からない距離である。

受付で、自分は湘南海岸署の刑事であり、貴船明日香の失踪の件で伺ったと告げた。

「これはまた、わざわざ湘南海岸署からですか。……貴船さんのことで何か?」              応対に現れたのは、生活安全課課長一ノ瀬真由美である。

上条は、警察手帳を提示すると、一ノ瀬課長に東署を訪ねた説明をした。

「実は、私は貴船明日香さんとは、20年間結婚をしておりましたが、ある事情で今は解消しているのです。しかし、私が警察官であることから、ご両親の強い要望もあり、直接話を聞きに伺ったということなのです」

「そうですか…、それはご苦労様ですね」

「一ノ瀬課長、現在の捜査状況の方は・・・」

「上条警部補もお分かりだとは思いますが…、全国各署に捜索依頼はしているのですが…、現段階では、まだ何も……。特に犯罪性も見られないという事なので……」

「私も警察官です。その辺の事情は分かっているつもりですが・・・、今のところ

思い当たる身元不明者の発見もないと?・・・」

「ええ、警察にとってはありがたい事ですが………、」

受理をした安全課にとっても、具体的な犯罪性がない限り動き出せないでいたのだ。これは、どの警察署にも当てはまることであり、一ノ瀬の責任でないと言っていい。

「一ノ瀬課長、私もこのまま帰る訳にはいかないのです。勝手なお願いですが、私も捜査に協力するという許可を頂けないでしょうか?」

実際、所轄のルールは守らなければならない。ここは、あえて頭を下げざるを得ないのである。

「事情は、分かりました。うちも捜査に回せる署員が足りない時なので、逆に私の方からお願いしたいくらいなのです」

女性警察官のきめ細やかな配慮だと言えた。男であれば、所轄意識が優先し良い顔はしなかったはずである。上条は、捜査によって知り得た情報は逐次伝えることを約束すると、東署を後にした。

 明日香の失踪を追うにしても、土地勘のない達也にとって、雲を掴むような話である。与えられた情報が極端に少ないのだ。達也は、再び母親である貴船道子から、警察用語では事情聴取であるが、詳しく失踪した当時の状況を聞き出す必要性を感じていた。



  *

 


 今から一年半ほど前のことであった。

「ねえ、達也、私達もう別れましょう……」

妻明日香からの突然の別れ話であった。

「どうしたんだ、突然驚くじゃないか?」

「娘の紀香も短大への進学で、タイミングが良い時だし……」

「娘の進学と、俺たちの別れ話がどう関係するんだよ?」

「紀香は、私が卒業した金沢の短大に入りたいんだって……、」

「だからって、自分も金沢の本家に戻りたくなったのか? 理由になんかなってないぞそれは・・・」

「ごめんなさい。でも、もう決めたことなの…」

「ふざけるなよ。俺は、認めないからな」

実際、刑事生活が忙しく、家に帰れない日々が続くことも否定の出来ない事実ではあった。しかし、結婚生活も20年近く続いている。刑事の妻としての覚悟があるはずだと考えていたのだ。これは、自分が勝手に思いこんでいた幻想であったのか。

自分が一生懸命仕事に打ち込むことで、その結果が母娘を食わしているんだという自負があったのは事実である。明日香を愛しているとか、いないとかの問題ではないのだ。しかし、思い起こせば、最後に妻を抱いたのがいつの日だったのかも思い出せないでいる。妻を、いつの間にか女として見ていない自分に気が付くと、愕然とした。

寂しい思いをさせていたのなら、ここは潔く謝るしかないのである。


 妻を抱こうとするが、今さらという態度で拒否をされると、その気持ちも萎えて行く。表面上は、夫婦としての形状を保っていても、そこに男と女が愛し合い、一緒に暮らすことの意味を見つけることは出来なくなっていたのである。

約半年間の別居生活の後、金沢の義理の母道子から、相談事があると呼び出されていた。


 *


「達也さん、あなたには本当に感謝しているのよ。男として、妻子を養うために一生懸命仕事をしてくれたことには、感謝しているわ。でもね、女はそれだけでは、満足出来ない動物だと言ってもいいわね。いつでも自分が一番でいたいのよ。それは、男性の愛情がいつでも自分に向いていて、大切に思ってくれているという意味でね。

私は、明日香も少しわがままな所はあると思うのだけれど、一度下した女の決意はもとに戻らないものよ。達也さん、明日香を、自由にしてやってくれないかしら……」


「僕が仕事を理由に、明日香の気持ちに寄り添っていなかったという事でしょうね。明日香の出していたシグナルにも気づかなかったのですから・・・」

「こんな歳の私が言うのもおかしいけれど…、時代が変わったということかしら、

私達の若い頃は、男の人が仕事に精を出してくれているだけで、頼もしい父親だと思えたし、留守を預かるのは女の仕事だと割り切って考えることも出来たわ………」


「という事は、この仕事に付いている僕だけが特別ではなくて、男達の意識の問題ということですね」

「そうよ、でも男の人達も狡いのよ。思い出してみて。あなたも結婚前は、明日香がいなければ夜も明けないって顔して、金沢に結婚の許しを受けにきたのよ」

「・・・確かにそうですね」

「達也さんも、まだ若いんだから、新しい女性との出会いもきっとあるはずだわ。

その時のためにも、この経験を忘れない事ね」

この時から、達也は生まれ変わったと言っていい。少なくとも、すこしでも女性の気持ちに寄り添いたいと思ったのだから・・・。


これが、一年前のことであったのだ。




 気が付くと、『貴船』の格子戸の前に、達也は立っていた。

「あら、お帰りなさい。達也さん、警察の方はどうでした?」

義理の母、道子の心配そうな問かけである。

「お義母さん、正直言いますと、警察は受理すると全国の警察に捜索願いを出すのですが、実際はそれだけで・・・、わざわざ人員をさいてまで捜査することもないので・・。犯罪性があると判断される場合は別ですけど・・・」

「じゃあ、私達はどうすればいいの? じっと帰って来るのを待てというのですか?」一般市民の正直な気持ちである。

「お義母さん、僕が帰る日まで出来るだけ捜査をしますので、失踪した前後のことをもう少し、思い出してもらえませんか?」

「それは、具体的にはどういうことなのかしら?」

「明日香がよく出かけることがあったと言ってましたが、具体的に誰かと会っていたとか? 例えば、幼馴染とかですが・・・」

「会っていたとしたら、短大時代のお友達ぐらいかしら? 普段は、お店の仕事もあったし、それほど、人と知り合う機会もないでしょうから……」

「お義母さん、外泊の方はどうなんです? 今さら僕に気を使わなくても・・・、 市内に男がいたとか?」

「確かに、外泊の時は、普段より着るものに気を使っているみたいだったかしら。

ごめんなさい。あまり参考にならなくて……」


「そうですか・・・、お義母さん、短大時代の写真がこちらに残されているなら、見せてもらいたいのですが・・・」

「分かったわ。金沢を離れる時に全部置いて行ったはずですから……」


道子は、明日香の使っていた部屋から一冊のアルバムを持ってくると、達也の前に差し出した。

「これなんだけど…」

アルバムの表紙をめくり、上から数ページに目を通した。そこには時間が止まったように、若く美しい20年前の明日香が数人の友達とともに写っていた。後のページは、高校生までの成長記録と言ってもいいものであった。

「お義母さん、この二枚の写真をお借りします。それと、金沢に帰って来てからこの一年の間に受けとった手紙か、葉書があったら、それも見せて下さい」

道子が捜し出して来たものは、二枚の年賀はがきであった。

「では、これもお借りします」

達也は、これらを上着の内ポケットに入れると、客観的に見るため『貴船』から一旦離れることにした。

「お義母さん、僕はこれで・・・」

「何言ってるの、泊まって行きなさいよ」

「実は、宿を取ってあるので・・・、そちらの方でゆっくり調べようかと思っていますので・・・」

「そうお…、無理には引き止めないけれど…、では、よろしくお願いしますね」



  外に出ると、すでに陽は落ちている。

達也は、大通りに出るとタクシーを拾い今夜の宿泊先のホテルがある香林坊を目指した。香林坊は、北陸でも最大の繁華街である。多くのファッションビルが立ち並び世界的に有名なブランドも店を構えている。また裏手には曲線状の水路(鞍月陽水)に添った『武家屋敷』跡が点在することで、大人の雰囲気を持った街である。

 達也は、一階に『STAR BUCKS』が入った赤いタイル貼りのホテルのフロントで宿泊手続きを済ますと、軽い夕食を取るためにホテルを出た。ホテルの裏手を流れる水路沿いに歩くと、最初に目に付いた『味処』と書かれた和食の店に入ることにした。普段の観光目的の旅であれば、ゆっくりと酒を飲み地元の食材で作った料理を楽しみたいところであるが、今回ばかりはそうはいかないのである。手掛かりがあまりにも少ないのだ。また、捜査を開始するにしても、残されている時間はあまりにも少なかった。

 

 達也は、早々に店を後にすると、ホテルの部屋に入った。全く酔ってはいない。

部屋は、一般的なビジネスホテルの作りであり、広くはなかった。しかし、男一人が寝るには充分である。達也は、シャワーを浴び朝からの疲れを洗い流すと、道子から借りた資料と呼べるほどではないものの中から手がかりを捜し出すため、それらを小さなテーブルの上に置くとしばらく眺めた。

 写真は、明日香が女性二人と校門の前で撮った写真と、灯台の前で二人で撮った旅行写真の二枚である。20年も前となると、明日香もさすがに若かった。無理もない事である。自分でさえ、気持ちは変わらないのだが、鏡の中にいる自分を見ると

どこのオジサンかと思うくらいなのだから。

ほかの二人の女性も、特に特徴のない顔であった。化粧はしているとしても、当時は学生であり、現在のメイクとは程遠いのは明らかである。

 その時達也は、校名が気になったのだ。目を凝らしてみると、明日香の横に見える校門の『銘板』に『金沢女子短期大学』と書かれている。  

 

「これは、明日香が卒業の間近な時に写したものだとしたら、たぶん二十歳の時のものであろう。俺は、明日香が22の時に金沢から横浜に来たと聞いていたんだ。 そうすると、俺の知らない空白期間が2年はあることになるな・・・」

写真を見て感じた達也の素直な疑問である。


そして、二枚の年賀はがきにも、目を通した。今年のものである。

差出人の二人は明日香が金沢に戻っていることを知っていたことになる。一枚は、山崎直美、二枚目は青山紗月からであった。

「・・・紗月? ・・・たぶん偶然なのだろう。この年代の女性の名前としては、珍しい部類に入るだろうが、 かといって、全くいない訳でもないし。決定的な違いは名字だな・・・」達也は、誰もいない部屋で自問自答していた。

しかし、青山紗月の葉書には、差出人の住所が書かれていなかった。代わりに携帯の番号だけが小さく書かれていたのだ。


 達也は、急に疲れを覚えた。考えてみれば、昨日から今まで経験をしたことのない

出来事が続いたのだ。紗月と名乗る未知の人間である女性との思いがけない出会いであり、別れたとは言え、長年寝食を共にした人生の同志だったと言える明日香の失踪捜査である。他人事ではないのだ。それだけに、精神的には堪えるものがあった。今だ愛しているのかと聞かれても、一度決意した別れである。自分自身でもその答えは出せないのだ。しかし、情愛だけはある。


 青山紗月のことが頭から離れない。そして、明日に備えて眠らなければと思うほど、行きずりの紗月の顔が重なってくる。まさしく、中年と呼ばれる男の恋であったのだ。青山紗月の写真を眺めると、恋しく思う気持ちが、さらに熱く募って行った。


 目覚めると、まだ4時半であった。太陽の光はまだ弱く、部屋に差し込む朝日も力強さはない。起き上がるが身体は重く、疲れが全く取れていないようである。  達也は、鉛のように重い身体に熱いシャワーを浴びせると、わずかながら気力が再び蘇ってくるのを感じていた・・・。




 第4話に続く

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