第10話 事の後で

 あまり口に出すのは恥ずかしいことではあるが昨日俺は真鈴とキスをした。完全なる不意打ちだった。気がつけば真鈴の唇が俺の唇と重なっていたのだ。一瞬思考が停止し状況が読めなかった。思考が戻ってくるとすぐに俺の顔は熱を帯び彼女を直視できなかった。

 あの時の彼女の表情は今でも覚えている。ほんの少しだけ寂しそうな顔。瞳から涙が一滴溢れたのも俺は見逃さなかった。

 俺はキスをして悪いとは思っていない。むしろ嬉しいに決まっている。あんな可憐で優しく、いつも俺に尽くしてくれる人なんてなかなかいない。

 そんなの男からしたら嬉しくないわけない。それでも、あの涙を見てしまったら罪悪感を抱いてしまう。

 そしてこうも思ってしまう。俺でいいのかと。

 自分で自分の首を絞めてしまっているのも分かるがそれでも、それでもと真鈴のあの涙を思い浮かべてしまう。


 そんな事があったが時間の流れには融通を効かせられない。残すところこの別荘での生活は残り二日となった。昨日はあのベランダでキスしたんだよな。だめだ。全然実感が湧かない。あんな事を勝手に思っておいてなんだがやっぱり・・・・・・

 あの涙がまだ引っかかってしまう。あの少し寂しげな表情も。

 ベッドに体操座りしながらそんな事を考えていると、真鈴がこちらに近づき、口を挟む。

「どうかしましたか? なんだか暗い顔をしていたので」

 聞こえてきた声や表情を見るといつも通りの真鈴だった。部屋着の上にエプロンを着ておりほんの少しばかりそちらに視線がいってしまう。

「え、あ、うん。大丈夫。ちょっと考えてことをしててさ」

「大丈夫ですか?」

「う、うん。大丈夫」

「もうすぐ朝食できるので座って待っててください」

 

 数分もすればテーブルの上に朝食が並び始める。今日のメニューはトースト、スクランブルエッグ、サラダ、そしてヨーグルト。かなり洋風なメニューになっている。

「今日は洋風なんだな」

「最近和風が多かったですからね。たまには変えてみるのもいいと思って」

「なるほどな。ま、真鈴の作る料理はなんでも美味しいからいいけど」

「そ、そんなに美味しいですか・・・・・・私の料理?」

 なんだかサラッと真鈴への労いの言葉が出てしまった。ほんの少し前は小っ恥ずかしくてもどかしかったのに。

「ま、まあそりゃあ・・・・・・」

「そ、それなら、もっと作ってあげますよ・・・・・・私も美味しいって言ってくれて嬉しいですから・・・・・・」

 なんだかこちらも恥ずかしくなってきた。よく言えたな数秒前の俺。真鈴の頬も少しばかり熱を帯び、照れ顔を隠すかのように手で口と鼻を隠す。

「お、お願いします・・・・・・」

 

 朝食を食べ終わり、少しばかりソファでくつろいでいると、洗い物を終えた真鈴がソファにちょこんと俺の隣に座ってくる。

「なんだか、近くないか」

「そうですか? これくらいの距離が適切だと思いますよ。だってもう、済ませたんですから・・・・・・」

 キスをね!? キスですよ!? キス! 真鈴のあの言葉を聞いているとなんだか俺たちもう一線越えていそうな発言だがそんな事実は決してない。俺と真鈴がしたのはそういうことではなくてキスだ。そう、キス。キス、接吻。

「そ、そうだな・・・・・・」

「だから、その、これくらいくっついても私は大丈夫だと思います・・・・・・」

 少しずつ近づく真鈴との距離にはもう壁など必要無い。目線を下げればそこには真鈴がいるのだから。そして距離は0へと変化する。腕を回せば真鈴を抱きしめる事ができる。このままの流れで抱きしめようか悩むが、一回腕を止め真鈴に問う。

「だ、抱きしめてもいいか?」

 真鈴もまんざらでもない顔を浮かべながらこう言う。

「え、あ、はい・・・・・・」

 頬を赤らめている彼女の表情にも可愛らしさやあどけなさが残る。可愛らしく愛おしくなってくる。

 両手を後ろに回しゆっくりとこちらに寄せ抱きしめる。男の俺よりも背丈は小さく少しだけ力を入れて抱きしめると柔らかい感触が伝ってくる。強く抱きしめてしまうと壊れてしまうほどに繊細できめ細やか。

それでもあの涙を思い出してしまった。

「やっぱり真鈴には涙は似合わないな」

「な、なんですか急に!?」

「いや、その、キ、キスした時に泣いてたからその••••••」

「あ、あれは、その、嬉し涙です••••••」

「そ、そっか。よかった。てっきり後悔してるのかと思って••••••」

「そんな事、絶対ありません••••••」

 そう言うと彼女も両手を上げ両手をい俺の背中に回す。風が優しく吹きシャンプーの天い香りが鼻腔を刺激する。いつもとは違うシャンプーの香りに俺は新鮮味を覚えた。

「甘いな・・・・・・」

「気づいちゃいました?」

「まあ、いつもと違う匂いしたし・・・・・・」

「てことは、いつも私の髪の匂いを嗅いでいるのですか?」

「い、いや!? そうじゃなくてだな!?」

 突然の問いに俺は声を荒げてしまった。この別荘の周りには海と砂浜しか無いので夜に大声をあげるとよく反響して聞こえてくる。

「うふふ、嘘ですよ。ちょっとからかってみたかっただけです」

「勘弁してくれよ・・・・・・びっくりしたわ」

「そ、それに・・・・・・言ってくれれば髪の毛くらい、嗅いでもいいのですよ・・・・・・」

「そ、それは、後の機会に・・・・・・」

 そこからは他愛のない話が続き、かれこれ二時間話しをしていた。

そしてこれで別荘での生活は幕を閉じる。

明日からいつもの日常がやってくる。そして真鈴との日々もこれからも。

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プールサイドで出会った少女はどうやら俺の許嫁だったらしい 桜野弥生 @Ayumum

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