ep.6 源さん

「す、凄いね。なんか」


「そう?」


 事もなげにアタシはガラス戸を引く。昼時にも関わらず、店内にはホームレスのような男性客一人しかいなかった。


 カウンター席に座った店主は煙草を吸いながら新聞を開いていたが、アタシの来店を認めるや、煙草の灰を灰皿に落として口元をにやりと曲げた。


「おかえり」


「なんだ? 今日は男連れか?」


 ホームレスが不機嫌そうな声を上げた。そう、アタシと彼は顔見知り、いやそれ以上の仲にある。


「こんにちは源さん。たっちゃん、ラーメン二つお願い」


 ラーメン七百円。この店の麺メニューはそれしかない。その他のメニューも餃子しかないが、酒に関しては日本酒から洋酒までありとあらゆるものが注文可能という、とがり切ったラーメン屋、それが通称ラーショたつみ――アタシしかそう呼んでないが――である。


 ねじり鉢巻きを撒いた店主は辰見辰郎という名の薄毛の初老で、ホームレス然とした男、林田源治は、何を隠そうさいたま市内に集合住宅を三棟保有する不動産オーナーである。


 林田源治、通称源さんはこの店で年がら年中のカウンター席の一番奥を陣取り餃子をつまみに一杯やっていて、もはやラーショたつみの住民のようになっている。


 そして、その三棟の集合集宅の管理は不動産のアメミヤに委託されているという現状で、源さんは永久欠番の若宮静香ファンであると自ら公言している。


「で、おたく、しーちゃんのなんなのよ」


 源さん、あんたは横浜銀蝿か。


「あ、ええと、静香ちゃんの前の勤め先の同僚です。不動産業者で」


「で、狙ってるってわけだ。鼻の下を伸ばして」


「え、いや、まだ」


「まだってことはこれから狙うってわけだ」


「あのお、いやあ」


 笠井が助けてくれという意思を露わにした視線を寄越してくる。情けない男だ。それでもお前はテンザンエステートの末裔まつえいか。


「源さん、今日はビールじゃないのね」


「そうだぜ、今日はな、たっちゃんに天海あまみを入れてもらったんだ。天海、しーちゃんも好きだったよな。一杯どうだい」


「午後も仕事があるんですが。でも、源さんの勧めてくれたお酒なら飲んじゃおうかな」


「流石だねえ。不動産業者の鏡だ、しーちゃんは」


 源さんと笠井の間の席に移動し、辰見にグラスを要求する。出されたグラスに源さんは天海を並々と注いだ。ちなみに、アタシは酒豪中の酒豪だ。前職の同僚でその特性を知る人間は、片手で数えるほどしかいない。現に笠井は目を丸くしている。


「頂きまーす」


 かちんとグラスを合わせ、一気に半分ほど喉に流し込んだ。喉元を通り過ぎた熱い液体が、胃袋を内側から焼くように刺激する。た、たまんねえ。


「昼から飲むお酒はなんでこんなにおいしいんでしょうね」


「だろう、ちなみに夜は飲まねえんだ、俺は。てかな、実をいうと夜がよく分かんねんだ。ここで飲んで帰ると夕方五時、そのまま家に帰ってごろっと寝ると夜中の二時、そっから風呂入って暴れん坊将軍見てまたこの店に足を運ぶとなりゃあな、もういつが朝でいつが夜なのか分かんなくならあ」


 バグった生活サイクルをカミングアウトしてから源さんは「がはは!」と笑った。この爺さんのい先はそう長くはなさそうだ。相続後に向けた根回しをそろそろ始めないといけないかもしれない。

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