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 その週の土曜日と日曜日に動画がアップロードされた。十五分ずつ前編後編に分かれた二部構成だった。

 動画を観た奈々子から、自分が綺麗に映っていると喜びのメッセージが送られてきた。実際、スタイルのよい奈々子の姿はかなり動画映えしていた。

 滅多に登場しない女性が出演していることと、内容がお尻にまつわるものだったこともあってか、動画の再生回数は順調に伸びているようだった。投稿から三日後には再生回数がそれぞれ二万回を超え、一週間が経った頃には二十万回近くになった。

 チャンネル登録者数がかなり増えたようで、岩島からも喜びのメッセージが届いた。

 僕はオシリサワリに関するレポートをブログに書いてアップロードした。岩島の動画の概要欄にブログのリンクを張って貰ったこともあり、閲覧者数が一日に百人単位で増えていった。


 岩島の動画がアップロードされてから、三週間以上が経った。

 僕はもうほとんどオシリサワリのことを忘れて、ネット記事の原稿を書くことに集中していた。

 ある日の夜、僕が食後にギターを弾き鳴らしていると、氷山芽衣子から電話があった。

 また遊びの依頼かと思ったが、そうではなかった。

「横山さんが最近、仕事に来ていないらしいのよ」

 芽衣子は今回もなにかを口に頬張りながら喋っていた。

「奈々子ちゃんが?」

「そうなの。今日、虫歯治療の経過を見てもらいに歯医者に行ったの。そしたら横山さんがいなくてね。先生に訊いてみたら、体調不良かなんかで、今週に入ってから一度も来てないんだって」

「今週ってもう木曜日だけど」

「変でしょ? 例のオシリサワリってやつのせいじゃないかと思ってるんだけど、私の考えすぎ?」

 一抹の不安が脳裏をよぎる。

「岩島くんの動画の中では元気そうだったし、二週間くらい前には、神市を紹介してくれてありがとうございます、なんてメッセージくれたし、大丈夫だとは思ってたんだけどね」

「ちょっと、俺からも連絡してみるよ」

「うん、そうしてみて」

「歯の調子はどう?」

「万全よ。聞いてて」

 芽衣子の咀嚼音を聞いてから、僕は電話を切った。

 奈々子に電話をかける。

 十回ほど呼び出し音が鳴ってから、応答があった。

「はい……」

 声が低く、くぐもっている。

「もしもし? 奈々子ちゃん? 今、電話大丈夫?」

「はい……」

 呼吸も荒いようだ。

「さっき氷山芽衣子から聞いたんだけど、調子悪いの?」

「はい……ああぁんっ」

 色っぽい声が耳元で響いた。

「大丈夫? 病気?」

「神市くん……助けて……あっはぁんっ」

 まるで性行為中の人間と電話をしているみたいだった。

「オシリサワリが……いやぁんっ」

「オシリサワリが触ってるの? 今、どこにいるの?」

「家……」

 自宅の住所を教えてもらい、すぐに家を出た。

 電動アシスト付き自転車をフルスピードでかっ飛ばす。すごく嫌な予感がする。

 桜上水にある三階建てオートロック付きマンションの前に自転車をとめて、エントランスの呼び鈴を鳴らす。三十秒くらいして奈々子が返事をし、エントランスを開けてくれた。

 階段を駆けのぼり、三階の角部屋のベルを押す。

 かなりやつれた奈々子が、息も絶え絶えに顔を出した。

 濡れた髪の毛が海藻のように顔にへばりついている。ほんのりとシャンプーの匂いが漂ってきた。

 よろよろしている奈々子の肩を抱きながら、部屋の中に入った。特に散らかっているわけでも、整頓されているわけでもない。コンビニのレジ袋が床にいくつか転がっているが、顔をしかめるほどの不潔さは感じられなかった。

 キッチンを通り過ぎて居室に入る。奈々子は僕の手を離れ、ベッドに腰をかけた。

 奈々子はヨレヨレのTシャツにパンティを穿いているだけの姿だった。

「ずっと、触られてるの?」

 僕が訊ねると、奈々子は小刻みに頷き、肩で大きく呼吸してから「ああぁんっ」体をよじらせながら喘いだ。

「大丈夫?」

 僕は近寄り、奈々子に手を伸ばした。と、そこで「ああ!」と声を上げた。

 Tシャツの胸部分が、内側にモルモットがいるみたいにもぞもぞと動いていた。「あぁんっ、あぁんっ」奈々子は艶っぽい声を上げ続けている。

「胸を触られてんの?」

 奈々子は目を閉じ、指を噛みながら頷いた。

 しきりに股間を閉じようとしているので、僕は奈々子の下半身に視線を向けた。白いパンティの布部分が、指かなにかで突かれているように波打っていた。

 オシリサワリがお尻以外の部位を触っている!

 予想外のことに僕はたじろいだ。が、すぐに気を取り直した。

 よくよく考えれば李澤四良はプレイボーイで名を馳せた人間なのだ。ただお尻フェチだっただけで、それ以外の部位を触らなかったわけではない。

 オシリサワリなんて紛らわしい名前をつけるから、勘違いするのだ。

 僕は与太草子の編纂者に憤りながら、なんとかしてオシリサワリの暴走を止める手立てがないか考えた。しかし焦る頭では妙案はすぐに浮かばない。

「あああぁぁんっ」

 奈々子がひときわ大きな声を上げた。ベッドに寝転がり、涎を垂らしながら痙攣している。オーガズムに達したらしい。

 奈々子はなんとか体を起こし、口元の涎を拭った。

「もうずっと……こんな感じ……外にも……出られない……あぁんっ」

 再びTシャツの胸部分がもぞもぞと動き出した。

 李澤四良は怪物的な性欲の持ち主である。気に入った相手が目の前にいる限り、行為は延々と続くはずだ。

 おそらく奈々子はここ数日間ずっとこの調子なのだろう。一日に何度も何度もオーガズムに達しているのだ。快感であるとは言え、こうまで頻繁では体力が持たない。事実、奈々子の顔は火照り紅潮しているものの、目の下には大きなくまがあり、頬は若干こけていた。

 僕は岩島に電話をかけた。

「はい」

「岩島、大変なんだ」

「どうした?」

 僕は現状を早口に説明した。

「……オシリサワリはただお尻を触るだけじゃない。全身を撫で回すんだ。奈々子ちゃんはずっと喘いでて体力が持ちそうにない」

「マジかよ……」

「李澤四良に取り憑かれてるんだ。知り合いの霊能力者を呼んで除霊してもらえないか?」

 岩島は「んん」と唸った。

「その人、関西に住んでるんだよ。こないだ連絡してみたんだけど、忙しいらしくて……呼んでもすぐに来られるかどうか……」

「悠長なこと言ってられないんだよ。もう奈々子ちゃんは息も絶え絶えだ」

 こうしている間も、奈々子はもんどり打ちながら悲鳴のような喘ぎ声を上げている。

「こうなったら神市、おまえの力でオシリサワリを撃退するしかない」

「ええ?」

 僕には霊能力などない。

「俺になにができるって言うんだよ」

「一応、オシリサワリを撃退する方法がないかあれから考えたんだ」

「なんだ、なにか思いついたのか」

「ある程度の方向性はな」

「はっきり言えよ、かなりヤバい状況なんだよ」

 岩島は咳払いをして口を開いた。

「李澤四良はお尻フェチだ。美尻の女しか抱かない男だ。オシリサワリも同じだ。綺麗な尻の女にしか取り憑かない」

 なるほどと思った。

「つまり、奈々子ちゃんのお尻を醜くすればいいってことか」

「そうなるな」

「でも、どうやって?」

「太ったり、逆にガリガリに痩せたりすれば確実だ」

「そんな時間あるか!」

 僕は頭を抱えた。

 奈々子のお尻は以前と比べて少し小さくなったように見えるが、長年鍛え続けた筋肉が数日で見るも無惨に消滅することはない。やはり立派な存在感を持っている。

「とにかく、なんとかして奈々子さんのお尻をオシリサワリが嫌うような形に変えるんだ」

「ううん……わかった、なんとか方法を探ってみる」

「頼むぜ。こっちでなにか妙案が浮かんだらまた連絡するから」

 僕は電話を切り、部屋を見回した。

 しかし、生きている人間のお尻の形を瞬時に変えてしまうような代物は見当たらない。

 当然だ。そんな道具、この世のどこを探したって見つかるはずがない。

 体の形というのは時間をかけてゆっくり変えていくものだ。しかも、だいたいは美しくするために変えるのであって、わざわざ醜くするための道具が発明されるわけがない。

 僕は台所へ行き、棚の中をまさぐった。

 棚の中にはフライパンやカセットコンロ、包丁などの、一般的な調理器具しかなかった。

 フライパンで叩いて形を変えるか、カセットコンロの炎で火傷を負わせるか、包丁でお尻の皮膚をそぎ落とすか……あり得ないのですぐに全部打ち消した。

 棚を閉め、ふと脇に目をやると、視線の先に大きな缶が置いてあった。それは粉末状のプロテインだった。ゴムの蓋を開けると、中身が半分ほど入っていた。

 バニラの香りが漂う白い粉を見ている内に、ふと、李澤四良が殺されたときの話を思い出した。

 お尻がザラザラの女に殺された。

 僕はプロテインを持って居室に戻り、ベッドの上で仰向けに横たわっている奈々子に近寄った。背を反らせている奈々子の体をひっくり返す。

「ごめんよ奈々子ちゃん」

 僕は言って、奈々子のパンティをずり下ろした。引き締まっていながら弾力のありそうなお尻が露わになる。オシリサワリが触った跡だろうか、ところどころ赤くなっている。

 プロテインをそこへぶちまけた。白い粉が舞い上がり、奈々子のお尻を真っ白に染める。

 粉をお尻に塗りつける。降り積もったプロテインの粉末が、手のひらにザラザラとした不快感を与えてくる。

「ああ……ん……ん……」

 奈々子の声が小さくなった。体の動きも止まる。

 僕は手を離し、大福のようになった奈々子のお尻を見つめた。

 まだオシリサワリが触っているのだろうか、表面のプロテインが噴出するようにパフパフと舞い上がり、お尻の所々がぷにぷにと小さく窪んだり元に戻ったりしていた。

「奈々子ちゃん、大丈夫?」

 訊ねると、奈々子は平常心を取り戻したような目をして「なくなった」と言った。

「なくなった?」

 お尻に視線を戻すと、プロテインは舞っておらず、お尻の輪郭も凹みのない整ったものになっていた。

「なくなった!」

 奈々子はもう一度言って、白い歯を見せて笑った。と思うと、わぁと泣き出して僕に抱きついた。

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