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 電話口で、奈々子はすこぶるご機嫌だった。岩島の申し入れも二つ返事で快諾してくれた。

 どうしてそんなに機嫌がいいのか訊ねる前に、自分からその理由を教えてくれた。

 例の合コンで知り合った男と上手くいって、正式に交際をすることになったらしい。

 相手の男は一流企業に勤めるエリートサラリーマンで、身長が高くイケメン。優しく包容力があってなおかつユーモアのセンスもあるらしい。絵に描いたようないい男だが、奈々子が特に惹かれたのは彼の肉体美だったようだ。

「腹筋見せてもらったんだけど、亀のお腹みたいだった」

「絵に描きたくなるようないい男ってことだね」

 とにかく奈々子が幸せそうで、僕は安心した。どうやらオシリサワリは「悪鬼」などではなく、触られた人に喜びをもたらす福の神のようなものだったらしい。

 だからこそ、奈々子も岩島の申し出に応じてくれたのかもしれない。僕が李澤四良の話を聞かせると、「やっぱりパワースポットだったんだ!」と嬉しそうな声を上げた。

「スポットっていうのかな」

「私のPスポット」

「なんとも言えない響き」

「ってか、オシリサワリは綺麗なお尻しか触らないんでしょ? 毎日スクワットしててよかった!」

「自信を持っていいと思うよ」

「陽介さんも、私のスタイル褒めてくれたんだよね!」

 陽介さんというのは、例のいい男のことである。

 それから僕はのろけ話を小一時間聞くことになった。


 岩島の取材は、翌週の水曜日に行われることになった。

 古木デンタルクリニックの休診日だった。夜、奈々子はデートへ行く予定らしいが、それまでの時間ならいくらでも相手をしてくれると言うのだった。

 朝、八時半に桜上水駅で待ち合わせをした。

 当日、八時十五分頃に券売機前へ行くと、すでに奈々子が来ていた。

 気温はかなり低かったが、奈々子は黒いニットのセーターに、グレーのテーラードジャケットを羽織っているだけだった。

「薄着だけど寒くないの?」

「こっちのほうが捲れるところがわかりやすいと思って」

「撮影に気を使ってくれてんのね、ありがとう」

「うん、それに……あぁんっ」

 突然、奈々子が喘いだ。無意識にお尻へ目をやると、ジャケットの裾が忙しなく上下に揺れていた。

「え? 今も触られてんの?」

 びっくりして訊ねると、奈々子が頬を赤くし、乱れた呼吸を繰り返した。

「うん……なんだか、ここ三日間くらいずっと電車以外でも触られることがあって……その都度、気持ちが良くて体が火照っちゃって、あぁんっ」

 腰から砕け落ちそうになった奈々子の肩を抱えると、彼女は恥ずかしそうに苦笑した。

「たまにとんでもなく刺激的な触り方するから、あっはんっ……んんはははは」

 奈々子は喘ぎ声をそのまま笑い声に変え、深呼吸を繰り返した。

 それから十分ほどして、京王線の駅舎から岩島がやって来た。その頃には奈々子も落ち着いていた。

 初対面で、しかも一見こわもての岩島を前に、奈々子はびっくりしたハムスターのようにおとなしくなった。撮影の手順などについて淡々と説明する岩島の言葉にいちいち「はい」と返事をしていた。

 しかし撮影が始まり、岩島のテンションがいわゆるユーチューバーらしくなると、緊張は次第に解けていった。

 タイミングよくオシリサワリが奈々子の臀部を撫で始めた。

 なにもないのにゆらゆら揺れるジャケットの裾を見て、岩島は大喜びした。奈々子も顔を赤くし、嬉しそうにその感触がどのようなものか説明する。

 その後電車に乗り、車内の様子や、初めて触られたときの状況についても奈々子に話してもらい、桜上水に戻って撮影は終了した。

 撮影時間は一時間ほどだった。ところどころ奈々子が唇を噛みしめている姿が映像に収まっていたものの、それほど目立つものではなく、単なる癖にしか見えない程度だった。

 僕らは駅のそばにある喫茶店へ向かった。

 撮影に協力してくれたお礼もかねて、コーヒーとケーキをとりあえず奢ると岩島は言ったが、奈々子は僕の言い方を真似て「お礼なんて興ざめだよ」と言って受け入れなかった。

 奈々子はオシリサワリが現れるようになってから、いいことばかりが続くと嬉しそうに話した。時折、あっはんっと変な声を出して僕らを驚かせたが、オシリサワリに触られること自体は不愉快ではなく、むしろ快感だから問題ないと言い張る。

「しかし、突然そんな声を出してたら、仕事中とか困るんじゃないか?」

 岩島が言うと、奈々子はホットココアをすすりながら首を横に振った。

「仕事中は集中してるから、それほど気にならないよ」

「デート中とかは?」

「デート中に興奮できたら、いちゃいちゃスイッチ入れなくて済むからむしろ好都合だよ」

 悪戯っぽくピースサインをする奈々子を見て岩島は呆れたように鼻で笑った。

「まぁ、しゃっくりみたいなものだと思えば、さほど気にならないのかな」

 僕が口を挟むと、奈々子が「そうそう」と頷いた。岩島は僕と奈々子の顔を交互に見て、「俺はしゃっくり始まるとすげぇ気になるけどな」と諦めたようにつぶやいた。


 両桜線の改札まで奈々子を送り、今度は岩島を送るために京王線の改札に向かった。

「奈々子さんはああ言ってたけど」

 岩島が改札前に立ち止まって言う。

「もしかしたら、まだオシリサワリは悪鬼である可能性もあるから、念のため、オシリサワリを退散させる方法を考えとく」

「除霊でもすんの?」

「うん、知り合いに霊能力者いるから、一応、まぁ」

「確かにそのほうがいいかもしれないな」

 僕は頷き、改札を抜けていく岩島の背中を見送った。

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