裏切らない第15話

 「…あれ?」


 衝撃が走った僕は、意識が遠くなりそうなくらい…驚いた。


 まるで現実から引き離されたような感覚。


 肩に何度も、優しい衝撃が走る。


 目の前の彼は、笑っていた。


 「なんだよ、そういうことかよ!」


 それはもう、腹を抱えてゲラゲラと笑っていた。そして気づいた。目の前のこの人

も、緊張していたみたいだ。


 「俺、こいつの兄貴の慎太郎。よろしく」


 岩のように硬そうな手を差し出す。


 「蓮見壮也です。よろしくお願いします」


 僕も同じように手を差し伸べると、掴み取られ、握手する形になる。


 「このバカたれが何かやらかしたと思ったからよ、安心したぜ」


 ホッと胸をなでおろしたのを態度と言葉で示しながら今度は弟の肩をポンポンと叩

く。


 「兄ちゃん、こいつの前でそんなことは…」


 未だに恐縮する向坂弟。


 それを無視して話をする兄貴。


 「お前、良い目してんな。なんかこう、譲れない何かがあるみてえな」


 「僕が、ですか?」


 「喧嘩が強いとか何らかの才能がずば抜けてあるとか、そんなもの関係なしに意志

の強さ、みてえなものを感じる」


 「そんなことは…」


 照れ、よりも疑念の方が強く生じる。僕が強い? 譲れない何かって、僕の場合は

レイラが?


 「で」


 と話を切り替えるお兄さん。


 「説明しとくわ」


 「何をですか?」


 次はため息を吐いた。


 「お前、同級生に金取られてんだろ?」


 鋭く弟を睨む。


 「な、なに言ってんだよ。俺、取られてねえし、貸してるだけだって!」


 向坂が慌てて言い訳する。


 「そっか、取られてるんだな?」


 慎太郎さんが俯く弟に再び問うと、慎次郎は俯いた頭をさらに下にこくりと振り、

それを認めた。


 「だから俺は、お前から金を預かった。半ば奪い取るような形で」


 「えっ」


 「財布ごと物色されたら誰が守んのよ。お前の金は」


 「慎太郎さん…」


 弟の慎次郎から聞いた話とこの見た目だけだと上田と同じような性質の持ち主だと

思っていたが、彼なりに自分の弟を守った、というわけか。


 「自分の力で何とかする、…って言ったじゃないか」


 向坂の、張り上げて出始めた声は、語尾に向かうたびにその張りを失う。自身のな

さそうな表情だった。


 「あ?」


 慎太郎さんが睨んだ。


 「こんなことだから最初から…!」


 そして、あろうことか、向坂の胸倉を掴んで少年漫画の強敵がするみたいにその腕

で彼を持ち上げた。


 「ひっ!」


 見ている僕の方が悲鳴を上げてしまうくらいに恐ろしい光景だった。


 しかしもう一度、僕は腹に力を入れた。


 彼の言おうとする怒りの内容が、あらかじめ把握できていたからだ。


 それは概ね、「こんなことだから最初から、俺が話を付けていればよかったんだ」

だろう。


 俺がガツンと言っていれば、守ってやれば…。ああしてやれば、こうしてやれば。


 僕は知っている。


 『守れらる』側の、守られたくない気持ちを。


 過去が蘇る。






 余計なお世話なんだよ。


 話を大きくするな。


 助けてください、って頼んだか?


 僕を弱いもの扱いするな。






 蘇る。


 鼓動が早まる。


 「お兄さん!!」


 さっきよりも大きな声を張り上げる。


 僕の方に視線が向いたところで、僕は言った。


 「慎次郎くんは、そんなにやわじゃないですよ!」


 「は?」


 怪訝そうに見つめる強面。再び怒りの矛先としての意識と緊張が芽生える。


 「彼は今、成長の真っただ中です!」


 慎重に、丁寧に、そして大胆に、言葉を選んだ。


 「こう見えて彼は、猛練習してるんですよ! お兄さんのいないところで、あいつ

らを打ち負かすためにね!」


 作り笑いの、ドヤ顔を無理やり作って見せびらかす。


 兄弟そろって、きょとんと、こいつは何を言っているんだという顔で僕を見た。


 僕は続ける。


 「ボーリングですよボーリング! 上田たち…もとい同級生たちの平等を装って詭

弁まがいに出来上がった賭けボーリングのルール。彼は異を唱えず真っ向から立ち向

かい、正々堂々と一番になって、取り分をかっさらうつもりなんです!」


 「…、…、お前何言って…」


 「正々堂々とね!」


 口裏を合わせずに戸惑う向坂の疑問の声をさえぎり、僕は続けた。


 「慎太郎さんや彼らと違ってガタイがいいわけでも喧嘩が強いわけでもない。口先

が達者でもない不器用な彼が、自分なりに苦しんで、考えて、たどり着いた答えで

す! …納得いきませんか?」


 僕は再び、まっすぐ、兄の方を見た。


 「…。本当なんだな…」


 はい、と頷こうとしたが、慎太郎さんは弟の方を見た。


 「本当…」


 言いよどむ向坂。僕と目が合う。


 僕はウインクした。必死に念を送るようにパチパチと。


 「本当だよ! 俺、いま全力で頑張ってるんだ! だから信じてくれ!」


 向坂が、初めて強気な姿勢で兄を見据えた。


 「そうか。じゃあいい。あんまり母さんたちを心配させるなよ。お前自身も、大切

にしろ」


 安堵したように慎太郎さんは家の中へと戻った。


 少しだけ蒸し暑い夜に、涼しい風が通り過ぎて気持ちがよかった。


 「よかったね」


 外の心地よい空気に乗じて、僕は彼に笑いかけた。


 すると、彼は、笑った。


 …のではなく。


 「いてっ! …ええっ!?」


 僕の頭を叩いた。


 そして小声で、僕に檄を飛ばした。


 「いて、じゃねえよ! お前! なんであんなこと口走ったんだよ!!? 俺がボ

ーリングを頑張るだと!? ざけんなよ! 結局お前は何にもしてくれねえじゃねえ

かよ! しかも俺のことを喧嘩が強くないとか不器用とか色々言いやがって、このク

ソ野郎! ああ…もう! お前に頼むんじゃなかった!!」


 僕しかいなくなって、傲慢を取り戻した彼は、息を荒げるほどにイライラして、家

の中に入ってしまった。


 「裏切らないなぁ…」


 少しだけ寂しい気持ちになったが、思い付きのその場しのぎには上出来だっただろ

うか。


 カバンの中をゴソゴソとあさり、僕は準備を始めた。




 「どうしたの?」

 

アイスコーヒーを差し出す美亜さんが、僕の様子を察する。

 

「いえ、何にもないです」

 

「何にもないって顔してないよ」

 

よっぽど顔に出ていたんだろうな。「顔に書いてる」と指摘される。

 

「実はですね…」

 

「おわあっ!」

 

窓際のテーブルの方から男の野太い声と、ガラスが割れるような音がした。

 

目をやると、背広を着た中年男性とグラスと思しきものの破片が、中に入ったお茶のような液体とともに散乱していた。

 

そして、レイラが突っ立つように立ち尽くしていた。


 「やっば…」


 美亜さんがカウンターから飛び出すように駆け出し、テーブルに腰かける男性に

「すいません!」と深く頭を下げた。


 直後、レイラをお客さんから隠すように背後へ翻し、厨房の隅へと追いやった。


 怪訝そうに、少し腹を立てている様子でレイラの背中を見ていたが、誠意を込めて

謝る美亜さんに免じたのか、彼は一息ついて「また同じのをお願い」とぶっきらぼう

に注文しなおした。


 僕は分かっていた。


 今の美亜さんの焦りと、取った行動の理由もすべて。


 「ごめんなさ~い」


 悪びれることなく笑うレイラに、近い未来に起こる惨状を想像せざるを得なかっ

た。


 数分後、美亜さんが戻ってくる。


 「ごめんごめん。ちょっとトラブっちゃった。で、今日も上がっていくよね?」


 ちょっとどころではない深刻そうな顔をどうにか誤魔化しながら、美亜さんは二階

の『お客さん』としての僕を期待した。


 「ああ、いえ、今日は大丈夫です。レイラも頑張ってるみたいだし、あんまり負担

はかけられない」


 「…そう。分かった」


 翳りのある彼女は年下の僕に優しく笑って見せたが、それが妙に痛ましかった。


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邪飲み-JANOMI- ヒラメキカガヤ @s18ab082

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