千載一遇の第14話

 彼の兄は大学生で、帰ってくるのはサークル活動が終わる18時半だと向坂が思い出したように言った。


 今はちょうど17時。僕らが部活さえやっていれば、暇をつぶせていただろうに。


 彼のことだから、家の前で待ってろ、なんて言って自分は家の中でのんびりゲーム

するんだろうな。


 なんて考えていると、彼は僕に何かを差し出した。


 僕も持っている、据え置き型のゲーム機のコントローラー。


 「お前、ゲーム得意なんだろ?」


 「え、あ、うん。まあまあかな」


 こちらを見ずに黙々と電源を付ける向坂。


 「品定めしてやるよ」


 プレイヤー同士で対戦するゲームを起動し、指をポキポキと鳴らした。






 玄関が開き、閉じられる音が下から聞こえた。


 「帰ってきたか。一緒に降りるぞ」


 しばらくゲームに興じていた僕たち。向坂は立ち上がると、野良ネコでも呼ぶよう

な手の動きで僕を促した。どこまでも失礼だな、と不満の声を上げたいところだけ

ど、さっきからずっとゲームでボコボコにして彼を半泣きさせてしまったので僕が悪

いということにしてやろう。


 一緒に階段を降り、その人物を視界に入れる。


 「はあ?」


 第一声は、それだった。


 『兄』に話しかける弟の声は、上田達に対するそれと同じ、いやそれ以上だった。


 「なんか用かよ?」


 高身長、というよりは巨体、と言った方がしっくりくるたくましい体躯、岩のよう

な骨格と鬼のような顔つきの強面。


 そんな男が不機嫌そうに来訪者である僕をちらりと一瞥したあと、弟の方を鋭くに

らみつける。


 「い、いや…」


 恐縮してまともに言葉を紡ぐことができない向坂弟。


 僕の方を向き、


 「こいつが兄貴に言いたいことがあるんだって!!」


 なんということでしょう。


 彼が突然、僕を指し、場を整えることなく全責任を丸投げにしてきたではありませ

んか。


 鬼が、僕を見た。


 「なんだ?」


 「あっ、ええっと…、えっへへへ…」


 語彙が消滅した。






 「え、ええと…おわぁ!?」


 「表出ろ。ここじゃあ、母がいる」


 ああ、これ、下手なこと言ったら殴られるやつじゃん。終わった。


 前を歩くお兄さんについていかざるを得ない僕を、向坂は、少し安心したような顔

つきで見送る。


 「お前も来い」


 振り返り、野太い声を出すお兄さん。


 安堵しきった向坂は見る見るうちに、顔色が悪くなった。その落差に思わず笑みが

こぼれそうだったが、自分に降りかかる事態のせいで笑えない。


 「大事な話なんだろ? そういう顔してる」


 「あ、そうですね…」


 見た目に反してと察しのいいお兄さん。夏の夜がじんわりと熱く僕を包む。


 強い人を見ると、震えてしまう。


 向坂のお兄さんは19歳。未成年。


 法律とはほとんど無関係な子供の世界。


 ルックスと暴力が絶対視される残酷な世界。


 僕は、支配される側。


 対する彼は、支配する側。


 死にはしないけど、死なない程度の一発は覚悟しておいた方がいいだろう。


 「話してみろ?」


 促される。


 「あ…」


 声が震える。


 怖い。


 教室の覇者である上田なんか比べ物にならない。


 それに弟とは大違いで、オスとしての強さを感じる。


 助けて…。


 レイラ。


 …。


 レイラ…。


 腹に力を入れた。


 力みが戻った。


 そうだよな。


 目の前に現れた強大な不幸。


 これから起こる、身も心も打ち砕くような逆境。


 完膚なきまで打ちのめされても、僕にはレイラがいる。


 『優しい不幸』と呼ばれた僕は、初めて彼女に、苛烈で甚大な『邪』を献上できる

かもしれない。


 これはピンチなんかじゃない。


 チャンスだ。


 千載一遇の!


 「あの!」


 声を張った。


 「向坂から借りたお金、全部返してください!」


 まっすぐと、鬼のような強面を睨みつけるように射すくめた。


 「…」


 黙り込むお兄さん。


 右腕がピクリと動くのを確認した時には、僕の目線と同じ高さまで到達していた。


 左肩に、衝撃が走る。

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