革命の第12話

 僕の生活は、なんとなく充実しているようだった。


 上田をはじめとするクラスメートたちは相変わらず僕のことをオモチャのように扱

い弄ぶけど、教室にいない時間は、レイラに会う前とは明らかに変わっていった。


 彼女に会っていなければ、僕はずっと不幸に飲まれたまま高校生活を終えていたと

思う。今あるこの生活は、彼女が与えてくれたものだといってもいい。


 クラスマッチを台無しにしてやろうとか、勉強してあいつらを見返してやろうなん

て、そこまでの行動力も芽生えなかっただろう。


 その行動力を阻害するほどの『邪』を、満面の笑みで吸いつくしてくれた彼女。こ

れからもそうしてくれる彼女の存在に感謝しないと。


 彼女の力以上に、僕はきっと、また…。


 迎えた期末テスト当日。


 靴箱の前で上履きに履き替える


 「じゃ、また教室で」


 笑みのない無味乾燥な表情は相変わらずだが、その中に一抹の緊張感を感じなくも

ない。その顔には、堅苦しさが見えた。


 いつも勉強している彼女も、多少なりとも緊張はしているのだろうな。階段を上る

彼女を見送りながら僕は思った。


 「おい」


 突然、後ろから声をかけられた。


 聞き覚えのある声。小物感、という悪い形容が頭に浮かんでしまうような男子の高

音。


 「あ」


 振り返ると、僕よりも背の小さい男子、向坂が僕の方を見て相変わらず不満そうな顔つきをしていた。


 「そういうことかよ!」


 キンキンと甲高い声を立ててまた何か良からぬ推論を口にしようとする。


 「何がだよ…」


 さすがに朝からこんなに怒鳴られると、鬱陶しく感じてしまう。


 「お前、あの女子がいるから図書館で勉強なんかしてんだろ!?」


 「はぁ…」


 「図星か?」


 的外れだ。


 「ふうん、良いご身分だな、嫌われ者のくせに」


 もうそれでいいよ。


 そういう顔をしてみても彼には伝わらないだろうな。


 「あの子、四組の三宅涼子だろ?」


 「そうだけど、知り合い?」


 「ちげーよ。なんだよバカにしてんのか?」


 「いやいや、してないから」


 靴に履き替えて階段を上がる僕についてくる。


 「それ目当てならそう言えばいいのによぉ。自分だけ抜け駆けしやがって」


 さっきから自分の思い込みで発言する彼に反論したいところだが、彼が逆上する

と、あとあと面倒なことになりそうなので、最初の科目である化学の公式のことだけ

を考えることにした。


 「いいか? お前は色んな女の子ばっかりに目をやりすぎなんだよ。どうせ、岸田

玲羅に振られたから、すぐに次の女の子に言い寄ってるだけだろ、だっせえ。だいた

いお前はな、身の程を知れよな…」


 軽く聞き流し、適当に相槌を打ちながら教室までたどり着く。


 「テスト、がんばろうね」


 レイラに倣って、にこりと笑いながらスライド式のドアを閉める。


 「おい」という声は、教室の中の上田の存在を恐れてか、しぼんだものに聞こえ

た。






 配られる用紙。


 静まり返る教室。


 シャーペンの芯が、机に乗った薄い用紙に打ち付けられる音と、蝉の声だけが、狭

い空間に響き渡る。


 チャイムが鳴るとともに、少しだけざわめきが帰ってくる。


 これを、十回ほど繰り返した。






 「テストお疲れさま~」


 今日は美亜さんが経営する喫茶店の椅子に腰かける。紅茶を持ってきたレイラは、

僕に笑いかけた。


 「今日はね、美亜ちゃんのお店を手伝ってるんだ~」


 僕が疑問に思っていたことに先回りして答える彼女は、相変わらずの笑顔。テスト

期間中はここに来れなかったから、今日はちゃんと『邪飲み』してもらおうかな。


「レイラ、昼から働いてくれたんだけど愛想がよくて、お客さんにも大人気だったん

だよ」


 洗い物を拭き終わった美亜さんが言った。


 「気に入られすぎてジュースを一杯サービスしてくれたんだから」


 困ったように笑いながら本当は嬉しそうな美亜さん。


 「結構がんばったんだよ~」とレイラも自己を評価する。


 「へえ、そうだったんですね。確かにえが…」


 笑顔が素敵だもんね、なんて言いかけて口が止まる。僕みたいなのがそんなことを

言ったら気持ち悪いだろうか。


 「どうしたの~」


 レイラが不自然に言葉を止めた僕に首をかしげる。


 「べ、別に、すごくちゃんとしてるなぁ~、と思って」


 顔が熱い。きっと紅茶がホットだからだ。夏なのにホットを頼んでしまったから

だ。


 「あらあら、どうしたの~?」


 美亜さんは、何かを察したように、ニヤニヤと悪い顔で僕を見る。


 「大丈夫~? お熱でもあるの~?」


 レイラが僕の額に触れようとする。


 汗ばむ額に触れようとする彼女の手を僕は咄嗟によける。


 「う、ううん。大丈夫だよ! 美亜さん、お冷もらっていいですか?」


 「はいはい、お熱いことで」


 これまた余計なおふざけを口ずさみながら、美亜さんが透き通るグラスに水を注い

だ。






 「テスト返すぞ」


 各科目の授業が始まる度に返却されるテストの結果。


 僕は、楽しみだった。


 いつも以上の手ごたえを感じていたから。


 テストというものは、開催される前の勉強が一番苦しくて、そこをいかに頑張れる

か、踏ん張れるかで、結果への期待感が大きくなる。


 世界史のテスト。


 暗記に暗記をしたその結果は…。


 「お、おお…」


 声が漏れてしまう結果。


 高校の定期テストで90点なんて、生まれて初めてとったものだから、どんな反応

をしていいかわからなかった。


 「う~わ、77点かよ! 遊びすぎた~」


 上田が、少しがっかりするように自分の点数を隣の友人に暴露する。


 声をかけてこないかな、と待っている僕。


 自分よりも下の人間を見て心を落ち着かせようと、僕の方へと寄ってこないかな、

と思っていたけど、来なかった。


 来なかったのは少し残念だったけど、以前までの、上田からテストの結果を覗かれ

て大声で晒上げられる恐怖はなかった。むしろこの誉高い結果を声高らかに教室中に

響かせてほしいなどと、思うくらい喜ばしいことだった。


 世界史だけではない。数学に化学、現代文に英語。あらゆる分野で80点や低くて

も70点の結果が返ってくる。


 まさに革命だった。僕が僕じゃないみたいな、そんな感じ。


 自信というものは、きっと毎日、努力に努力を重ねて、その間はすごく苦しくて、

ゴールが見えなくて、音を上げそうになるけれど、結果を出した瞬間に、報われた瞬

間についてくるものなんだな。


 今が、僕にとってのそれだった。


 努力が報われる感覚を、身をもって知った僕は、ある種の無敵感のようなものを感

じた。


 「むっふふふ」


 昼休み、変な声を出しながら向かった図書室。


 三宅さんにどや顔で見せてやりたい。点数では彼女にはあっさりと負けてしまうだ

ろうけど、注目させるべきは成長率。全教科の平均点が、前のテストに比べて20も

上がった。僕、がんばった。がんばったら、誰かにがんばったね、って言ってほし

い。日ごろから女王様然としたクールな彼女に、「少しはやるじゃない」とか、そん

な風に褒められたかった。


 にこにこと図書室に入る。


 図書室独特の匂いを味わいながら、彼女の定位置へと歩みを進める。


 三宅涼子がいた。


 「三宅さん」


 わくわくと跳ね上がる心拍数。


 僕が声をかけると、寝ていたのだろうか、机に伏していた頭をゆっくりと上げた。


 ゆっくりと、控えめに。


 「っ!?」


 跳ね上がる心拍数はそのままだったが、それがわくわくではなくなるのは一瞬だっ

た。


 心の熱が冷める。


 上げた頭を、すぐさま再び机に伏す。


 彼女の顔は、目元は真っ赤で、目から頬のあたりは涙で濡れていた。


 机に置かれたくしゃくしゃの答案用紙。


 丸の少ない数学の答案。


 『三宅涼子』と書かれた名前の下に記された25点は、痛々しく僕の目に焼き付い

た。


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