安心の第7話

 ボーリングは、幸いにもトイレから戻ってきたタイミングで終わりになった。


 上田が女と約束したから、というこれもまた身勝手な理由で終わるのである。


 国木も、もちろん家に帰る。「上田が消えたらこの会、一気につまんなくなるな」

と別に声に出して言わなくてもいいことをわざわざ吐き捨てて自転車に乗り、去る。


 残された、僕と向坂。


 うっすらと目の周りが赤い。


 「なんだよ…」


 力なく威嚇しながら涙を流した自分の顔をそらす。


 「いや、なんでもない」


 「じゃあ見んなよ、ハゲ」


 髪は生えてるよ。


 そうじゃないな。


 あたりはすっかり真っ暗だ。


 都会とも田舎とも言い難い街の街灯が、うっすらと灯り、行きかう車のヘッドライ

トでチカチカと夜を彩る。


 正直、僕は、彼のことが苦手だ。


 自分に対してここまでキツく当たってくる人を好きになるなんて、まずありえない

から当たり前だろうけど。


 でも、僕は…。


 「向坂」


 「なんだよ?」


 僕はゆっくりと息を吸う。


 「悪者にならなきゃいけない、ってどういう意味なんだ?」


 「なっ…」


 さっき、トイレに行く途中の道で涙を流した向坂が言っていた言葉、「また俺が悪

者にならなきゃいけないんだ」。その真意を僕は単刀直入に尋ねる。


 「お前には関係ないだろ…。ちっ」


 舌打ちして、しかし彼は、頭の中で言いたいことを整理するようにゆっくりと息を

吸う。かなり追い詰められているのだろう。自分より下だと思っている僕に強がる余

裕がないほど。


 「とってんだよ」


 「え、何を?」


 「金だよ! さっきから言ってんだろ。ホンっと鈍いなお前!」


 「ああ、ごめんごめん」


 さっきお金のことで泣いていたのだから僕が気付くべきだった。しかしここまで言

われなきゃいかんのか、とも思ったがここはグッとこらえる。


 「今日も、あいつらから金を巻き上げられて、金が無くなって。好きな漫画も、好

きなゲームも買えねえんだよ!」


 再び大きな声を上げる。近くに上田と仲のいい連中や自分と同じ学校の人間がいな

いか、とっさに見渡してしまう。


 「なのに、母親は、遊んでばっかりだから金がないんだよ、って。…勝手に知った

ような口ききやがって」


 拳を固め、歯を食いしばる向坂。


 彼の気持ちは、共感できる部分がある。


 学校で、いくらやられても、大人には相談できない。上田達に報復されるから、と

いう理由もあるけど、それ以上に、同級生からやられているという事実を、知られた

くない。知られることによって、プライドが傷つく。


 一緒に行く友達くらい作りなさい、と僕の母親も口癖のように言ってくる。人の気

を知らないで、っていう気持ちになる。


 「あのくそ兄貴だってそうだよ…!」


 また何かを思い出し、怒りと悔しさに震える。


 「あいつだって、俺から金を『借りる』とか言って、理不尽に奪ってくる。上田達

の方が賭けというだけまだマシだ」


 もう帰りたくない…。


 僕に聞こえないように努めていた本音が、涙声として聞こえた。


 「ねえ」


 「なんだよ…」


 絶望に伏した彼に、僕は突発的な提案を繰り出した。


 「その『不幸』、吸ってもらわないか?」




 「あら、いらっしゃ…お友達?」


 「違います」


 今日、二度目に涙を流した向坂は、ここだけきっぱりと否定する。追い詰められて

もその態度は揺るがないんだな。


 「美亜さん。早速なんですけど、レイラは?」


 「二階よ? …もしかして、『お客さん』」


 「はい」


 僕が答えると、美亜さんは、少し間を開けて「そう」と答えた。


 階段を上がると、テーブルに座り、何かを食べているレイラが見えた。


 「あっ、壮也君、こんにちは~。…ええと」


 きょとんと首をかしげるレイラ。知らない人が隣にいるのだから当然の反応だ。


 「ああこの人は、同じ学校の人」


 僕は、彼の気持ちを汲み取るように『友達』というワードを控えて紹介する。


 「友達なんだ~」


 レイラはそんな意図など知らず、『友達』で片づけてしまう。


 ああ、また向坂が不貞腐れた顔で否定するだろうな、などと考えながら隣を見る

と、様子が変だった。


 硬直していた。


 まるで高価な財宝を目の当たりにしていたように、レイラのことを直視していた。


 その様子が奇妙だったのか、レイラも少しだけ首をかしげながら、にこりと笑う。


 「よろしくね~」


 と彼女が笑いかけると、


 「あっ、はいっ!」


 彼は裏返った声で、ぎこちなく返答した。


 僕がレイラと最初に出会ったときみたいな緊張、いやそれ以上だった。


 「なんか用事~?」


 と言って食べかけの餅を口に運んで咀嚼するレイラ。


 「ああ、ええっとね」


 急すぎただろうか。前もって連絡を入れていればよかったかもしれない。いやで

も、彼女の連絡先は分からないし、美亜さんの店にそんなことで連絡するのもあれだ

し。


 「おい、早く言えよ」


 後悔と言い訳が頭の中を交錯する僕を、向坂が催促する。


 「てか、不幸を吸う、ってなんだ? さっきから気になって一緒に来てやったんだ

けど」


 冷静さを取り戻した彼は、今更そんな疑問を投げかける。


 レイラの顔が、一瞬、固まったように見えた。


 「この人は『お客さん』なの~?」


 レイラが少し早口になって問う。


 「ええと…」


 僕は言いよどんだ。


 これで、いいのだろうか。


 だって、これは、根本的な解決にならない。向坂の『不幸』をレイラが吸ったとこ

ろで、上田が金を巻き上げたり、彼のお兄さんが弟から金を『借りる』という名目で

奪ったりする行為を止められるわけではない。


 じゃあ、僕はどうだろう。レイラに会って、レイラに『不幸』を吸ってもらって、

何かが変わっただろうか。上田や他の連中の態度ががらりと変わった、なんて奇跡は

なく、依然として僕は、底辺として見られている。


 でも、幸せを感じ、幾分かの行動力は得られたわけで…。


 それならどうして?


 想像してしまう。机に座る向坂、そして。


 「やっぱり!!」


 動揺し、声が大きく出てしまった。


 「おい、どうしたんだよ」


 「やっぱり…、僕が解決してみせるよ」


 意思が意識を追い越して、僕は勝手なことを言ってしまった。


 「それがいいよ」


 レイラはさっきよりもにこやかに笑った。本当にそれがいい、と言った顔をしてい

た。


 「あれ、もう終わったの?」


 一階に降りると、美亜さんが疑問符を浮かべて僕に問うた。


 「やっぱり、僕が頑張ることにしました」


 せっかく連れてきた『不幸』なお客さんを、逃がしてしまうような真似をしてしま

った。レイラに『不幸』を与えたい美亜さんも良い気分ではないだろう。


 そう思っていたが、


 「そう」


 彼女はどこか安心したように微笑んだ。

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