18.死を悟る

 好きだったなと思った。

 人の話は聞かないし、めちゃくちゃ疑り深いし、人の携帯勝手に見るし、週一で死ぬって言うけど、好きだった。

 俺は彼女が好きだった。

 そんな彼女は、今まさに俺の目の前で包丁を握りしめていた。その切っ先は俺の腹に深々と刺さっていて熱を帯びている。鉄の味がせり上がって来て口いっぱいに広がった。

 もしかしたら、彼女は俺でなくてもよかったかもしれない。愛してくれる人であればよくて、ついでに言えばもっとちゃんとした人間の方が彼女のためだった。それは間違いない。俺みたいな虫けらが、今まで死に損なってきたカスが、生まれたこと自体間違いだったようなゴミクズが願う幸せなんてきっとロクなもんじゃなかった。それでも好きだったよ。

 包丁が少し動く。不味いなと冷えた脳みそが考える。横に動かしたら、ああほら、そんな勢いつけて、駄目だって。腹がぼこぼこいって、数メートルとかあるらしい腸がうねうね動いて腹から飛び出していく。ぼとぼとと音がして床に赤いでこぼこしたホースが巻き散らかされる。痛いって感覚はマヒしているのか全然なくて、ただ熱いし気持ち悪い。ズボンはべちゃべちゃで生温いし、多分パンツまで染みていて気分が最悪だった。一応戻した方がいいのかと考えてホースを手に取ってみるが、ぬるぬるして掴めなかったから諦めた。無理だわこれ。

 足の力が抜けて床に崩れ落ちる。その時に包丁がずるりと抜けて背中がぞわっとした。床に手を突いたらぬるぬるして滑った。べしょ、ごつ、と音がして遅れて自分の身体が床に完全に倒れ込んだことに気が付いた。冷たいのか熱いのか、それは分からない。目だけ動かして彼女を見上げる。虚ろな目でまだ包丁を握りしめている。大丈夫かななんて思った。だって、俺死ぬよ、死んじゃうでしょこんなん。血なんて流しまくっちゃって、中身こんなに出しちゃって、無理だよ。ねえ、他の人見つけて生きていける? その前に警察かな、俺が死んだら彼女の罪は重くなるだろうと簡単に予想がついた。俺なんかのせいで、虫けらなのに、警察は俺の死骸を遺体として扱ってくれてしまう。嫌だよ。俺なんかの命のせいで彼女を閉じ込めたりしないでくれよ。頼むよ。

 冷えていく、冷たくなっていく、暗くなっていく、俺の命が潰えていく。

 ねえ、好きだったよ。

「バイバイ」

 そう言おうとしたらごぽごぽと掃除をしていない下水管みたいな音がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

#.弱っている君が見たい 雨屋蛸介 @Takosuke_Ameya

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ