第5話

 試験に合格すると、その場で合格者、不合格者に分けられ、不合格者はすごすごと講堂を後にし、合格者はその場に留められた。

 そしてすぐに入学手続きをすませ、今後の生活についてどうするかを簡単に尋ねられた。

 今後の生活とは学生寮に入るか、国からの援助でドリンにアパートなりを借りてそこで生活するか、元々ドリンに家がある者はそこから通うかなどの選択を迫られる。

 エルの選択はもう決まっていた。

 学生寮に入ることにしていた。

 学生寮ならばシェルザールの敷地内にあるから講義に遅れる心配も少ないし、食事の心配もいらない。シェルザールの学生寮は国からの援助で無料だから生活費に困ることはないし、魔術師を志す魔力保持者には援助金が国から出るから、それで好きなことにお金を使える。当然ドリンの街に暮らすより援助金は少ないが、それでももらえることには変わりないので、生活費には困らない。

 何より生活の心配がなければ魔術の勉強に集中できる、と言うのが一番大きかった。

 ちなみにシェルザールの入学合格を勝ち取ったのは受験者数約110人のうち、3分の1ほどの40人程度。それだけA判定以上の魔力を保持する魔術師は少ない、と言うことだ。

 もちろん、シェルザールに入学できないからと言って魔術師への道を諦める必要はない。

 ドリンにはシェルザールの他に魔術学校はたくさんあるから、自分の学びたい魔術を選んでそうした学校に通えば、魔術師への道は拓けている。当然と言えば当然で一番多い魔術の学校は治癒魔術を中心に教える学校だった。基礎中の基礎にして、最も汎用性が高く、どこで生活しても職に困らないのが治癒魔術だからだ。

 だから魔力判定が低い者ほどそうした学校に通い、地元へ戻るなり、別の町に行くなりして治療院を開き、魔術師としての生活をするのが多い。

 それ以外にも魔術を勉強するには読み書きが当然できなければならないので、副業として学習塾のようなものを開いて治療院とは別に稼ぎを得ることも可能だった。

 シェルザールに入れなくても魔術師になりさえすれば、今後の生活に困ることは少ないので魔力を持つ者の多くがそうした理由でドリンを訪れる。魔術師を志す者が一度はドリンに足を踏み入れることになる理由はそうしたこともあったからだった。

 ともあれ、学生寮に入ることを選択したエルはすぐにその手続きをしてもらい、2日後には入寮できるところまで終わらせていた。それも当然で、国内各地から魔術師になろうとしてドリンに来た魔術師見習いは、こうした学生寮なりアパートなりにすむことになるので、ドリンという街自体がそうしたことに慣れていることもある。

 ほぼ寝るためだけのスペースしかないアパートから、金持ち相手の立派なアパート、亜人が暮らしやすいように整えられたアパートまで、とにかく多種多様な住み家がドリンにはあるので住む場所には困らない。

 聞くところによると学生寮は相部屋と言うことらしく、同居者がどんな人になるのかは気になったが、少なくともシェルザールに入学を許されたくらいの実力の持ち主なのだから、ジャクソンのようなタイプはそう多くないだろう。

 夢を持ってシェルザールの門を叩いたのだから、立派な魔術師になろうと言う真面目なタイプが多いに違いない。

 その他入学手続きなども簡単に終わり、宿に引き上げたエルはやっとここからスタートするんだという気持ちでいた。

 宿に戻ってからは一張羅は脱いで丁寧にしまっておいて、入寮のための支度をする。

 とは言っても荷物はほとんどが服で、エルほどの小柄な体格でも持ち運べる量となればさほど多くはない。半日もかからず荷造りを終え、普段着であるワンピースに着替えてからは宿の主人に後1日で出ていく旨を伝えてその分のお金も支払っておく。

「どうだったよ、入学試験は」

「はい、何とか合格判定をもらえて明後日にはシェルザールの学生寮に入ることになりました」

「へぇ、そりゃすごいな。こんなちっこいナリなのに大したもんだ」

「ちっこいは余計です」

「はは、悪い悪い。でも頑張りなよ。シェルザールはここドリンでも名門中の名門だ。そこで魔術師になるための勉強ができるなんてお嬢ちゃんは運がいい。立派な魔術師になって国のためになってくれ」

「はい、わかりました」

「それでこれからどうするよ? また出掛けるのかい?」

「はい。日用品で足りないものがあるのでそれを買いに出掛けようかと」

「じゃぁアンドラ地区って知ってるか?」

「いえ、知りませんけど」

「あそこは学生目当ての店が多く集まってる地区なんだ。学生目当てだから値段も安い。日用品なんかももちろん売ってるからそこを回れば必要なものは一通り揃うと思うぜ」

「そうなんですか。ありがとうございます。早速行ってみたいんですけど、どこにあるんですか?」

「シェルザールの近くだよ。シェルザールから南に少し下ったところにあるところがアンドラ地区だ。まぁちょっとごちゃごちゃしてるとこだが、学生が多いところだから安全には違いない。お嬢ちゃんはちっこいからまた迷子に間違われないようにな」

「一言余計です」

「はっはっはっ。まぁ行くなら早く行くことだ。飯を食う以外の店は早めに閉まることが多いからな」

「はい、わかりました」

 そんな会話を交わした後、宿の主人に言われたとおり、アンドラ地区に向かう。

 シェルザールの近くと言うことですぐにわかったし、実際ごちゃごちゃとした町並みで、服から文房具まで様々なものを売っている店が軒を連ねていた。

 服はシェルザールから制服が支給されるので今持っている普段着があれば問題はないが、文房具の類いは持ってきていなかったのでそうした勉強に必要なものを中心に店を見て回って買っていく。

 宿の主人が言ったとおり、夕暮れ時になると店じまいを始める店が多くあったので、めぼしいものは先に買っておいて、足りないものはまた明日来てから買うことにする。

 ただ複雑だったのは、見た目のせいで子供のお使いと勘違いされて実際の売値より安くしてもらったり、おまけしてもらったりしたことだった。

 安く買えたりおまけしてもらえたりすることは嬉しいのだが、子供扱いされることはプライドに関わることなので微妙な気持ちになりつつも宿に戻った。


 入寮当日。

 一悶着あった衛士もすでにエルがシェルザールの合格者であることを知っていたらしく、何も言われず正門を通してくれた。

 学生寮はシェルザールの敷地内の西の端に位置しており、講義棟のすぐ側にあるとのことだった。

 ちなみに敷地の南には教師兼研究者が住んで研究を行う研究棟、学生寮の少し東に位置するのが学生が講義を受ける講義棟、北にあるのが古今東西新旧入り交じった大量の書物を保管する大図書館、東側の広大な空き地が実地訓練や研究の成果を試すための実験場と言うのが大まかなシェルザールの内部だった。

 さすがに何度も建て替えをしているとは言っても150年は続く魔術学校だけあって、学生寮の建物も古い。堅牢な石造りの建物で、簡単には壊れそうにないがその分地震には弱そうだった。もっとも、この世界に来て地震なんてものを経験したことは今まで1度しかないが。

 そんな学生寮には試験に合格した40人中25人ほどが集まっていた。

 部屋の数は100近くあるらしいのだが、それでも相部屋なのは何らかの事情でアパートを借りられなくなった、もしくは住めなくなった学生のために余裕を持って部屋数を確保しているかららしい。

 その分相部屋と言っても部屋自体は広いらしく、それだけに学生寮の大きさも大したものだった。

 まずは寮母のおばさんであるアイーダ・シャルテと言う女性が出迎え、食堂や大浴場、寮生たちの憩いの場である広いテラスなどを案内してもらってから、実際の部屋割りに従って部屋へ向かった。

 3階建ての学生寮は2階が主に1年生、1階が主に2年生、3階がゲスト用となっているらしく、エルはその慣例に従って2階の部屋を割り当てられていた。

 最低限の服などを入れたトランクケースと、昨日までに買った文房具などの袋を持って部屋の前に到着すると同時に、隣に大きな人影が立った。

 見上げると身長180センチ以上はありそうな大柄な猫の亜人である人猫が、バックパックひとつを引っかけて立っていた。服装は春で比較的暖かいとは言っても現代日本にあったようなさらしと、腰布だけの簡素な出で立ちで、柔らかそうなふさふさとした毛並みに覆われた身体は夏は暑く、冬は暖かそうだと思った。

 無遠慮に眺めていたせいか、部屋のドアの前で突っ立っていた人猫のその女性とばっちり目が合ってしまった。

「おー! あなたが同室の子?」

「え? あ、はい、エル・ギルフォードと言います」

「その小さなナリ、試験会場で噂になってた子ですね? 同室なんて奇遇でーす」

 あまりいい噂になっていない気が大いにするのだが、ここで蒸し返すのは得策ではない。これから1年間、ともに暮らすことになるルームメイトだ。できる限り友好的な関係を築いておきたい。

「そ、そうですか。えっと、お名前を伺ってもいいでしょうか?」

「おー、これは失礼。シェルタリテ・ルドソン・シャダーと言います。故郷の村ではみんな気軽にシェリーと呼んでいました。エルも気軽にシェリーと呼んでくれると嬉しいでーす」

 人猫の村の訛りなのだろうか。ときどき間延びする語尾を使う人だとは思ったものの、磊落に笑った笑顔に悪い人ではなさそうに見えたので安心した。

「と、とりあえず入りましょう。荷物も片付けないといけませんし」

「そうですね。ではいざ!」

 シェリーはにこにことした笑顔でドアノブに手をかけ、鍵のかかっていないドアを開けた。

 そこは故郷の両親が使っていた寝室よりも広い大きな部屋で、部屋の左右の隅にベッドがひとつずつ、ベッドから見てドア側に勉強机がひとつずつ、勉強机の隣に書棚がひとつずつ、さらにその隣に木製のワードローブがひとつと生活に必要そうなものは一通り揃っていた。

「わぉ! 思ってたより広いでーす! ここなら快適に暮らせそうでーす!」

「そ、そうですね」

 キョロキョロとせわしなく室内を見渡し、ベッドやワードローブを見聞し始めたシェリーを見て落ち着きのない人だと思う。まぁ物静かな人もいいが、こういう人でも退屈はしなさそうなので問題はない。

 エルはとりあえずワードローブを開けてどんな感じのものなのかを確かめ、トランクケースの中身をワードローブに移し始めた。

「何をしてるんですか? エル」

「服を入れてるんですけど、シェリーさんはしないんですか?」

「あっはっはっ! そんな服なんて持ってないですよ。ドリンにいる間はせめて胸と股くらいは隠せと両親に言われたのでこの格好ですけど、故郷ではみんな服なんて着ませーん」

「そ、そうなんですね」

 確かにふさふさの毛に覆われた身体では服は邪魔そうである。しかし、ここでは講義を受ける間、と言うかほとんどの時間を制服で過ごすことになる。察するに服を着る習慣がほとんどない人猫の亜人であるシェリーに制服姿でほぼ一日を過ごせと言うのは結構きついのではないだろうか。

 しかしシェリーはそんなことには思い至らないのか、早速ベッドに寝転ぶと「実家のベッドより快適でーす」とご満悦な様子だった。

 そんなシェリーを横目に見ながらエルもベッドを見聞し、勉強机の使い心地も確認し、問題がなさそうかを考えていた。ベッドは大柄なシェリーでも十分な大きさがあるものだし、シェリーも言っていたとおり、実家のベッドよりも質のいいものを整えてあるようで快適だ。しかし書棚と勉強机には苦労しそうだった。何せ平均的な身長の大人用に作られているので、小柄なエルには大きすぎるのだ。

 勉強をする際には下敷きか何かを追加で買ってきて、ベッドに寝転がってしたほうが効率的かもしれない。

 むしろ大柄なシェリーには小さいくらいで、その身長を10センチでも分けてくれればお互いちょうどいいのにと思ってしまうくらいだった。

 部屋の見聞と荷物の整理が終わると夕食の時間が近づいてきていたので、シェリーに声をかけて一緒に食堂に向かう。同じように食堂に向かう学生たちがぞろぞろと部屋から出てくるところで、一見しただけで凸凹コンビに見えるエルとシェリーはとても目立っていた。

 もちろん、エルは試験会場での噂の一件があったので悪目立ちしていたし、シェリーは亜人に加えて大柄な女性と言うことでこれまたエルとは別の意味で悪目立ちしていた。

 しかしシェリーはそんな視線に気付いていないのか、これからの夕食に思いを馳せているらしく、「寮のご飯はどんな味なんでしょうねー」とエルに気軽に声をかけたりしていた。

 ルームメイトといい関係を築くためにも、その人となりは把握しておきたいから食堂で夕食を一緒に食べ、大浴場にも一緒に行き、そして部屋に一緒に戻ったエルとシェリーはすっかり口調も砕けたものになっていた。

 シェリーは元々人懐っこい性格なのか、初めて会ったときからエルのことはエルと呼び捨てだったし、訛りかと思っていた敬語も慣れない使い方をしていただけのような気がしてきた。

 ともあれ、ルームメイトとの生活の滑り出しとしては上々ではないかと思えた。

 大浴場から戻ってきて、風の魔術で髪を乾かしている間、シェリーはずっとエルに話しかけてきて、会話が途切れることはなかった。実家での暮らし、魔力に目覚めたときのこと、魔術師を志したこと、ドリンに来たこと、ドリンの印象、シェルザールの印象などなど。エルも質問には簡潔に答えるものの、ほとんどシェリーが自分のことを一方的に話してくれたおかげで、大分シェリーのことがわかってきた。

 シェリーはトライオ王国の北西に位置するスーリオという大きな街に程近い山に村を構える人猫の村の出身だった。村では魔術師がおらず、何かあればスーリオに出掛けてそこの魔術師を頼る、と言う生活をしていたらしい。しかし、8歳くらいのときにスーリオの街の魔術師がしていたような治癒魔術を遊び半分で試したところ、魔力があることがわかり、それからスーリオの街の魔術師のところに弟子入りして魔術の基礎を学んだらしい。

 そこからはとんとん拍子でドリンに行くことが決まり、スーリオの魔術師が「これほどの魔力があるならシェルザールに入学できるかもしれない」と言うことで、言われるままにシェルザールの入学試験を受けて合格したとのこと。

 これで魔術師の勉強をして村に帰れば、故郷の村で魔術師として生きることができるし、何より村人たちの役に立つことができる。別に魔術師になれるのであればシェルザールに拘る必要はなかったらしいのだが、どうせなら一番いい学校に入れればいいなくらいの軽い気持ちで受験して合格したのだから相当運がいい。

 性格は明るく、磊落でお喋り好き。

 たまにひとりで考え事をしたいときもあるエルにとっては少し鬱陶しい側面があるかもしれないが、この小柄な体型や衛士と一悶着を起こした試験会場での噂のことも「気にするな」と笑い飛ばしてくれるおおらかな性格は好ましいくらいだった。

 シェルザールに入るときには最初からケチがついた格好だったが、ルームメイトには恵まれたようで学校生活も楽しいものになりそうだと嬉しい出来事だった。


 シェリーから見たエルの印象は、見た目にそぐわず大人っぽい、と言うものだった。

 積極的に喋ってくる様子もないし、荷物の片付けだってテキパキと手早くこなしていた。

 話しかけるのはたいていシェリーの側からで、エルからはあまり話を振ってくれないが、聞き上手というのだろうか。いくら喋っても嫌な顔をすることもなく、会話が途切れないように要所要所で話の接ぎ穂を見つけてくれる。

 自分は見た目が大柄な分、大人っぽく見られがちなところがあるのだが、中身は子供の頃とあまり変わっていない。

 賑やかなところが好きで、遊ぶのが好きで、楽しいことが大好き。

 魔術の勉強も新しい出来事がたくさん出てきて楽しかったから続けられたし、勉強して立派な魔術師になれば村に帰って今後はスーリオの街に頼らなくてもすむようになる。

 「シェリー、シェリー」といつも一緒になって遊んでくれた友達や隣近所のおじさんやおばさん、両親に恩返しができると思うとそれだけで魔術師を志した意味もあると言うものだ。

 それに、自分が子供っぽい分、大人っぽいエルがルームメイトというのは心強い。

 もっと仲良くなれば遠慮がなくなる分、悪いところを教えてくれたり、窘めてくれたり、叱ってくれたりもするようになるだろう。

 両親からも「あんたは子供なんだから頼れる人を見つけなさい」と言われて送り出されたこともあったので、ルームメイトがエルでよかったと本当に思う。

 エルの魔力判定はAだったと言うが、自分もAだったので一緒に勉強したり、遊んだり、食事をしたり、お風呂に入ったり。

 これからの学校生活は楽しいものになりそうだと言う予感がして嬉しかった。

 エルがルームメイトに恵まれたと思うのと同様に、シェリーもまたルームメイトに恵まれたと思っていた。

 後にシェルザールの凸凹コンビとして名を馳せるエルとシェリーの出会いはこうして始まったのだった。


 シェルザールの入学式は入寮してから3日後だった。

 それまでの間、シェリーはとにかくエルを誘ってシェルザールの敷地内を探索したり、ドリンの街へ繰り出してお店の冷やかしをしたりと、一緒に行動することがほとんどだった。

 「エル! エル! あそこ行ってみようよ!」と手を引くシェリーに連れられるままに行動してきたエルは、まるで前世で、幼い頃、活動的な妹に誘われて祖父母の田舎で川遊びや虫取りをした記憶が甦ってくるようで楽しかった。

 大柄な体格に似合わず子供っぽいシェリーは、とにかく楽しそうなことやものを見つけるとすぐさま首を突っ込むような危なっかしい性格だったから、ヒヤヒヤすることも多々あったものの、前世では妹、生まれ変わってからは弟がいたエルにとって、こうして妹のような存在がいることは逆に安心できた。

 入学式を明日に控え、支給された制服にも袖を通して確認し、夕食などもすませて部屋に戻ったエルとシェリーは今日もお喋りに花を咲かせていた。

 ちなみに、お喋りはしつつもエルは裁縫の真っ最中であった。

 一番小さな制服を頼んでも、ローブの裾を引きずってしまうくらい長かったのでその裾直しをしていたのだった。

「エルってばホント小さいよね」

「仕方ないでしょ。シェリーと違って全然成長しなかったんだから」

「でもあたしよりしっかりしてる」

「それはまぁお姉ちゃんだったし、しっかり者で通ってたからね」

「えへへー」

「何、その気味の悪い笑い方」

「なんでもなーい」

「ならいいけど」

「ところで明日の入学式、どんななのかな? 楽しいのかな?」

「入学式なんだから楽しいわけじゃないと思うけどな。新入生の挨拶とか、在校生の答辞とか、学長の挨拶とか。堅苦しいものだと思うよ」

「えー、そんなのつまんなーい」

「儀式なんてそんなものだよ。でも入学式が終わって、その翌日からは早速講義が始まるんだから。私はどんな魔術が学べるのか、楽しみでワクワクしてるよ」

「エルは優等生だなー。そりゃあたしだって楽しいことを教えてもらえるならいいけど、つまんないと退屈で寝ちゃいそう」

「ワーキャットって普通の猫と同じでよく寝るの?」

「暇だと寝てることが多いかなー。お日様の下でお昼寝なんて最高だよー」

「そっか。私は子供の頃から村の治療院で働いてたからお昼寝なんて赤ん坊の頃にしてたくらいかなぁ」

「えー、そんなのもったいないよー。春のあったかい日差しの下で、しかもふかふかの芝生の上でお昼寝なんて天国だよー」

「あはは。シェリーは寝てても幸せそう」

「幸せだよー。あの至福の時間……。でも講義が始まったら気軽にお昼寝なんてできないんだろうなー」

「2年間バッチリカリキュラムが組まれてるからね。座学に実習、遠征なんてのもあるみたいだしね」

「ゴブリンくらいならいいんだけどなー」

「私も。……って、うちの村の近くにはそんな魔物が出るような危険な場所ってなかったから、ドリンに来る旅の途中でハーピーに出くわしたときは驚いたよ」

「ハーピーくらいならどうとでもなるけど、ドリンの北の森って魔物がうようよいる危険な場所なんでしょー? そんなとこにまで遠征に出掛けたりするのかなー」

「さすがに学生をそんな危険なとこに出掛けたりはさせないでしょ。東の山岳地帯にはゴブリンやオークの群れがいるって話だし、遠征に出掛けるとしたらそういう危険の少ないところじゃないかなぁ」

「ゴブリンなんて魔術使わなくてもあたしの自慢の爪でやっつけちゃったほうが楽なのにー」

「そこは仕方ないよ。魔術の学校なんだもん。魔術の実践のために遠征に出掛けるんだから、魔物を退治するにしても魔術を使わないと」

「でもあたしの村じゃゴブリンくらいなら子供でも爪で退治してたよ?」

「さすがワーキャット。人間はそうはいかないからなぁ。身体に武器になるようなものがないから何か道具がないと」

「そういう意味じゃ人間って不便だよねー。ワーウルフみたいに力があるわけでもないし、あたしたちみたいにすばしっこくも爪もないもん」

「そういう人種だからね。でもだからこそ魔術を発展させられたって考えられるんだよ?」

「そういうもんかー。でもまぁそのおかげで、あたしもここにいられるわけだけど」

「そうそう。シェリーだって魔術師になって村の人の役に立ちたいんでしょ?」

「うん、もちろん! だってそのためにドリンにまで出させてもらったんだもん。村のみんながお金を出してくれて、路銀にしなさいって言ってくれて。だから早く卒業して村に帰りたいんだ」

「じゃぁ居眠りしないようにしないと」

「えー、それは自信ないなー」

「ふふ、じゃぁ寝そうになったら起こしてあげるわ」

「よろしくー」

 シェリーはベッドに横になったまま、にかっと笑う。

 エルももう少しで裾上げが終わりそうなので、頑張って針を動かす。

 もう会話が途切れても空気が澱んだりするようなこともなくなったので、エルもシェリーが話題を振ってこない限りは黙々と針仕事に勤しむ。

 20分ほどして裾上げが終わったので、早速袖を通してみる。

 裁縫は得意ではなかったが苦手と言うほどでもなかったので、くるりと回転してみた限りでは裾に変なところは見つからない。引きずることもなくなったし、これで歩くときに裾を踏んで転んでしまう、なんて恥ずかしいことにはならないだろう。さすがに袖まで直すのは時間がなかったが、袖は腕まくりをしてしまえばいいので今は裾をどうにかできただけでも十分だ。

 20分も経ったと言うのにシェリーが一言も言葉を発しないので、どうしたのだろうと思って見てみると腰布を巻いただけの姿でベッドの上で大の字になってすやすやと寝息を立てていた。

 いくら春で過ごしやすい気温だとは言っても毛布のひとつもかけないで寝るなんて明日に響いてしまいかねない。

 人猫だから体毛で暖かいだろうとは思うものの、万が一風邪でも引いて入学式に出られない、なんてことがあってはシェリーも残念がるだろう。

 小さな吐息をひとつ吐いて、シェリーに毛布をかけてやるとエルは直した制服を脱いでワードローブにしまった。

 いよいよ明日は入学式。

 そしてその翌日からは講義。

 セレナからは本当に基礎中の基礎しか教わらなかったし、魔力も低かったから治癒魔術以外の魔法はほぼ全て独学でアレンジしたものに過ぎない。

 体系だって本格的な魔術の勉強をするのはこのシェルザールの講義が始まってからになるのだ。

 いったいどんな魔術を教えてもらえるのか。

 そのことを考えるとワクワクが止まらなかった。

 とは言え、エルも明日入学式を控える身。早めに就寝して、遅れないように、式典で眠らないようにしないといけない。

 前世では退屈な学校の入学式だったが、この入学式を始まりとして魔術師としての一歩を踏み出すのだから本当にワクワクしてしまう。

 女に生まれ変わって絶望し、異世界だとわかって絶望し、それでも魔術という夢を見つけて、その夢の一歩を踏み出す大事な一日になるのだから、ちゃんと体調を整えて挑まなければならない。

 きっとどこの世界でも学校の入学式なんてものは退屈なものだと相場は決まっているのだろうが、これからの人生の可能性に向けた第一歩だと思えば退屈だからなんて言っていられない。

 ベランダに向かう掃き出し窓のカーテンを開けて夜空を見上げると、白と赤のふたつの月からはまだいつも寝る時間には早い時間だとわかる。

 それでももうシェリーも眠ってしまったことだし、明日に備えて早めに就寝するのがいい。

 成長しなくなってからずっと直しながら使ってきたパジャマに着替えると、エルもベッドに潜り、明日のことを思って目を閉じた。

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