第6話

「シェリー、せっかくの入学式にそんな格好で出るつもり? 体毛はローブと靴で隠れるからいいとして、髪くらいは梳かしなさいよね」

「えー、いいよー」

「ダ・メ・で・す。ほら、ベッドに座って。梳かしてあげるから」

「はーい」

 言われたとおり、シェリーはベッドに胡座を組んで座った。エルも櫛を取ってベッドに上がり、シェリーの髪を梳かし始めた。

 エルが昨日直したローブと靴を履いて、髪も梳かして準備万端整えたところでシェリーを見ると、シェリーはいかにも適当な感じでローブと靴を履いて、さらには寝癖をそのままにしていたのだ。

 体毛と同じくふわふわのシェリーの髪は寝癖でボサボサで、とてもではないが厳粛な入学式に出るにはふさわしくない。エルの髪質はストレートのサラサラで、梳かすのに苦労はしないが、シェリーの髪質はふわふわなのでいったん寝癖がつくとなかなか直らない。

 何度も櫛を通して何とか寝癖がない状態までにしたのは櫛を通し始めて20分は経った頃だった。

「ほら、ローブも曲がってる。立って」

「えー、まだー?」

「あんまり時間はないけどそのままのほうが恥ずかしいの。とにかく言うとおりにする」

「ぶー」

 ぷくっと頬を膨らませるシェリーは、しかし素直に立ち上がってエルのされるがままになる。

 前世ではフリープログラマーとしてほとんど家にいて仕事をしていたから、服装や髪型なんてものにはほとんど頓着しなかったが、この世界では女の子として産まれ、女の子として生活してきたから、もうそれが染みついていてシェリーのようないい加減な格好だと気になってしまう。

 変われば変わるものだと思いつつ、ローブの乱れを直し、「これでよし」と言うところまでなったところでシェリーの手を取る。

「さ、急ぎましょ。遅れると大変だわ」

「はーい」

 手のかかる子供みたいだと思いつつも前世でも今世でも年下の兄弟がいたから、こういうことは手慣れている。

 ふたりして部屋の外に出て鍵をかけ、急いで走って講義棟のやや東に併設されている講堂へ向かう。

 しかし、エルが急いで早足になっても体格の違いからシェリーの歩幅は歩くときと大差がない。

「ねー、どれくらい急げばいいのー?」

「このペースだとギリギリね。走ったほうがいいかも」

「遅れなきゃいいんだよね?」

「ん? まぁそうね」

「じゃぁこのほうが早いよ」

 そう言うなり、シェリーはぐいっとエルを引き寄せると、片腕だけの力でエルを持ち上げ、あろうことかいわゆるお姫様抱っこをして走り始めた。

「ちょ、ちょっとシェリー!」

「急ぐんでしょ?」

「それはそうだけど……」

「じゃぁちょっと急ぐね」

「え? ちょ、ちょっと!」

 シェリーは言うなり猛スピードで階段を下り、テラスを抜けて玄関をくぐり、寮の外に出た。入学式までの間にシェルザールの敷地内は探検していたので講堂がどこにあるのかはシェリーも把握している。

 エルひとりでは考えられない速度で走るシェリーは軽く息を弾ませ、エルをお姫様抱っこしたままあっという間に講堂の入り口まで辿り着いてしまった。

「はい、遅れなかったよ」

 ぞろぞろと新入生や在校生が講堂に入っていく中、シェリーはエルを下ろしてにかっと笑った。

 いくらエルの身体が小柄だとは言え、お姫様抱っこをするには相当な筋力が必要だ。しかもそのまま猛スピードで走ってきたと言うのにシェリーは息切れした様子もなく平然としている。さすが人猫と言ったところだろうか。普通の人間よりも力も体力もあるようだ。

 少し心臓に悪いシェリーの行動だったが、遅れなかったのだからよしとする。

 講堂の入り口には案内の教師が数人立っていて、訪れる学生たちにペーパーを渡している。

 エルとシェリーもそれを受け取って行動の中に入る。

 ペーパーを見ると、講堂に並べられた椅子のうち、前側が新入生、後ろ側が在校生になっているとのこと。席は自由で新入生のところならばどこに座っても構わないらしい。

「エル、一緒に座ろうよ」

「うん、いいよ。じゃぁどこがいいかな?」

 講堂に入ってから新入生の座る椅子が並べられている近くまで来て、シェリーとともにどこが空いているかを見渡す。若干遅れたせいですでに半分くらいは席が埋まっていたが、それでもシェリーと並んで座る場所には困らなさそうだった。

 ちょうど真ん中より少し前の辺りにぽっかりと5つくらい空いている席があったので、あそこにしようとシェリーに話しかけようとしたとき、不意に頭に何か重しでも乗っかったような感触がした。

 「なんだ?」と思って触ってみると温かい。サラサラした感触は布だろうか。

 何かと思って振り向いて思わず、「げ……!」と声が漏れてしまった。

「おっと、こんなところにいい腕を置く場所があったと思ったらおまえだったか」

 そこには茶髪の少年がひとり取り巻きを連れてエルの後ろに立っていた。こいつは試験のときにエルを子供扱いして絡んできた茶髪の少年だ。

 名前は……覚えていない。ろくでなしのことをいちいち覚えているほど脳の容量を無駄にはしたくない。

 頭から腕は離れたものの、茶髪の少年はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべてエルを見下ろしている。確か試験会場ではもっと取り巻きがいた気がするが、おそらく試験に合格できずに落ちてしまったのだろう。

 こんなバカを相手にするとろくなことにならない。

 試験会場でも飽き足らず、入学式でも絡んでくるとなると相当面倒くさいヤツだろうから、今後は徹底的に無視して相手にしないに限る。

「シェリー、行こう」

「え?、う、うん……」

 シェリーの手を引いて空いていた、目星をつけた席に向かおうとすると髪を掴まれた。

「痛っ! 何すんのよ!」

「このジャクソン・ニコラウス様を相手にまた無視とはいい度胸だな」

 いちいちうるさいバカだ。何様かは知らないが、ここでは同じシェルザールに通う魔術師見習いの同じ学生でしかない。

 乱暴に掴まれた髪を振り解き、無視してシェリーの手を引こうとしたとき、シェリーが微動だにしない。

「シェリー?」

「ねぇ、エル、今こいつ、エルに意地悪したよね?」

「え? あぁ、うん、したかもしれないけどそんなことに……」

 「構っていたらろくなことにならない」と続けようとしたとき、シェリーの身体から怒気が溢れていた。

 髪はそうでもないが、ローブから見える手の毛並みが逆立っている。おまけにキラリと爪が伸びて今にも飛びかかりそうな気配でジャクソンを見下ろしている。

「な、なんだ、おまえ……」

 平均的な身長のジャクソンは、自分よりも10センチ以上も背の高い人猫のシェリーに睨み下ろされてタジタジになっている。

「おまえなんかに名乗る名前はない。あたしの友達に意地悪したんだからそれ相応の覚悟があるってことだよね?」

「ちょっと! シェリー!」

 本当に飛びかかって爪で引っ掻きかねない気配にエルは焦る。

 せっかくの入学式に刃傷沙汰なんて目も当てられない。

「いいから、シェリー! 私は気にしてないから! ほら! 早く席に着こう?」

「イヤ。あたしの大事な友達に意地悪するなんて許せない」

「な、何する気だよ……」

 態度は不遜だが案外小心者らしいジャクソンは、シェリーの迫力に押されて及び腰になっている。

 一触即発の事態にどう対処すればいいものかと頭をめまぐるしく回転させていたエルは、とにかくシェリーをこのままここにいさせては本当に刃傷沙汰を起こしかねないと思った。何が何でもここからシェリーを引き剥がして席に着かせなければ、試験会場での騒ぎふたつに加えて入学式でも騒ぎを起こした問題児として見られかねない。

 しかし、小柄な力のないエルに大柄なシェリーを強引に引っ張っていく力はなく、何とか飛びかからないようにローブを掴んでいることしかできない。

「そこで何をやっている」

 とそこへ試験会場のときと同じように声がかかった。

「げ」

「あ」

 声をかけてきたのは金髪碧眼の少年だった。この少年は見覚えがある。試験会場でジャクソンに絡まれたときに助け船を出してくれたルーファスという少年だ。

 ルーファスもジャクソンと同じく平均的な身長だが、シェリーの怒気に臆することもなく、シェリーとジャクソンの間に割って入って、ふたりの間に立ちはだかった。

「今から厳粛な入学式が行われるというのに何の騒ぎだ」

「あんた、誰?」

 シェリーは怒りが収まらないらしく、怒りの矛先を割って入ってきたルーファスに向ける。

「僕はルーファス・グランバートル。君たちと同じここの新入生だ」

「そう。じゃぁどいて。あたしが用があるのはこのバカだから」

 シェリーはビシッとジャクソンを指差し、ルーファスを押し退けようとする。

 しかしルーファスも引き下がらない。

「何があったのかは知らないけど、その怒りを鎮めなさい」

「イヤだ。こいつはあたしの大事な友達に意地悪したんだ」

「ほぅ。それは本当かね? 確か、ジャクソンくんと言ったか」

 入学試験で一度会っただけなのにもう名前を覚えているとはすごいものだ。

「ぼ、ぼくは何もしてないぞ」

「ウソつけ! エルの頭に腕を置いて腕置きだなんて言ったり、エルの髪を掴んで引っ張ったりしたじゃないか!」

「そんなことをしたのかい? ジャクソンくん」

「し、してない! こいつの言いがかりだ!」

「ではエルくん、このワーキャットの少女の言い分は本当かね?」

「え? えぇ、まぁ一応」

「ふむ……。ジャクソンくん、他人の容姿を見下して狼藉を働くとはいい大人とは言えないな。曲がりなりにもシェルザールに入学できた魔力を持つ魔術師ならば、もっと節度ある態度を取りたまえ」

「うぐ……」

 一度入学試験のときの前科があるからルーファスはエルたちの味方をしてくれるようだ。

 ルーファスがどういう人物なのかはわからないが、とにかく立場はルーファスのほうが上だと言うことだけはわかる。あの不遜なジャクソンがルーファスの前では何も言えないのだから。

「とにかくもう少しすれば入学式が始まる。早く席に着きたまえ」

「わ、わかりました……」

 ジャクソンは忌々しそうにルーファスやエルたちの側を通り過ぎて、前のほうの空いている席に向かった。

「ちょっとあんた! なんで邪魔するのさ!」

「ワーキャットの少女よ、厳粛な入学式で騒ぎを起こして目をつけられたくないだろう? エルくんが意地悪されたことに怒るその義侠心には感服する。しかしときと場合を考えたまえ」

「でも!」

「シェリー、いいのよ。ルーファスさんの言うとおり、ここは穏便に収まってくれたほうが私もありがたいわ」

「エル……」

 さっきまでの怒気が嘘のようにシェリーはしゅんとなって項垂れる。

 シェリーもエルが怒っていないようなのがわかって、ようやく矛を収めてくれたらしい。

 確かにジャクソンなんてろくでなしに目をつけられた感はあって、いい気持ちではないが、それよりもまるで自分のことのように怒ってくれたシェリーのほうへの感謝の気持ちが強い。

 入寮してまだ3日しか経っていないのに、シェリーの中ではエルはもう「大事な友達」として認識されている。そのことのほうが嬉しかった。

「さ、私たちも席に着きましょう。ルーファスさん、以前といい今回といい、ありがとうございました」

「いや、構わない。むしろ君が合格していたことのほうが僕も嬉しいよ。君のような才能のある魔術師がいてくれれば切磋琢磨して勉学に励めると言うものだ」

 うーん、ジャクソンとは大違いだ。

 お世辞だとわかっていても、エルの見た目ではなく、魔術の腕前をきちんと評価してくれる辺り、人間としてもこのルーファスと言う少年はできていると言っていい。

「じゃぁルーファスさん、機会があればまた」

「あぁ、また」

「さ、シェリー、行こう?」

「うん」

 すっかり大人しくなったシェリーの手を引っ張って、目星をつけていた席に向かう。

 しかし、毒気を抜かれたからか、すっかりしゅんとしてしまったシェリーを慰めるためにも、エルは努めて明るく言った。

「でもね、シェリー、私の代わりに怒ってくれてありがとう。付き合いはまだ短いけど、大事な友達だって言ってくれて嬉しかったよ」

「エル……」

 その言葉に感極まったのか、シェリーは泣きそうな声で呟いた。

「さ、せっかくなんだから入学式を楽しみましょう。シェリーに泣き顔は似合わないわ」

「うん…、うん…!」

 ようやく笑顔になってくれたシェリーに安堵しつつ、ふたり揃って席に着いた。


 入学式は滞りなく終わり、今日はこれだけでシェルザールでの一日は終わりだ。

 ちなみに新入生挨拶は、ジャクソンから2度も助けてくれたルーファスが務めていた。

 入学式の最中、他の学生たちのひそひそ話を漏れ聞く限りでは、ルーファスは入学試験で唯一SSの判定をもらった魔力の強い学生らしかった。

 ほとんどの新入生はA判定。S判定をもらえるのが約2割程度で、その2割のうち、1%でもSS以上の判定をもらえる新入生がいるのは珍しいことらしかった。

 寮に戻ってから、普段着のワンピースに着替え、テラスにシェリーと向かうとやはり女子学生たちの話題は挨拶を務めたルーファスの話題が主で、シェリーとともに食堂でジュースをもらって一休みしている間に聞いた話を総合すると、ルーファスとは超がつくほどのエリートらしかった。

 ルーファス・グランバートル。

 ドリンでも有数の魔術師の家系で、祖父が高名な魔術師らしく、革新派という派閥に属する魔術師の重鎮で、その功績から子爵の爵位を得てドリンに大きな屋敷を構えるほどの有力者。あいにく父親は魔術の才能に恵まれなかったらしいが、それでも魔術省に勤務する貴族で、魔術省でも大臣に次ぐ魔術省のナンバー2を任されるほどの辣腕家。

 ルーファスは幼い頃に強い魔力を発揮し、祖父の教えを受けて魔術の研鑽を積み、16歳になった暁にシェルザールへの入学を果たした、と言うのがルーファスに関する噂である。

 ジャクソンがどういう立場の人間かは知らないが、ルーファスの持つグランバートルという家名に怖じ気づいて強く出られない、と言うのがおそらく真相だろう。もちろん、魔力においても、魔術師としても叶わない相手ということもあるだろうが、ルーファスは魔術師として厳しい教えを受けてきたエリートだからこそ、逆にエルの実力を見てその手腕を評価してくれたのだろう。

 エルの魔力判定はAだったが、前世の天才プログラマーとしての知識と経験があるから、魔力が多少低くても魔術の腕前は自信がある。それに今はまだ開花していないが、お約束であるはずのチート級の魔力を持っているはずだから、遠からずルーファスを抜いてシェルザールでも随一の魔術師になれる日も遠くないだろう。

 もっとも、だからと言って誇るつもりはほとんどなかった。

 いくら随一の魔力を持っていたとしてもそれを扱いきれなかったら宝の持ち腐れだからだ。

 そのためにも明日からの講義で新しい魔術の勉強を始めて、もっと高度な魔術を知らなければならない。もちろん実践だって疎かにしてはならない。そのための実験場が敷地内にはあるのだから、教わったことはすぐに実践して身に付けなければ今後のためにならない。

 それにルーファスの祖父のように魔術で功績を立てれば、国から爵位をもらえると言うこともわかったので、爵位を得て魔術師として国からの支給金で自由気儘に生きることもできることがわかっただけでも儲けものだ。

 爵位を得て貴族になれば家族を呼び寄せてドリンで家族と働かずして生活する、と言う親孝行もできることだし、目標のひとつとして考えておくのもありだ。

 ちなみにシェリーは入学式が退屈だったらしく、早々に船をこいで眠ってしまったので、テラスにいる今はとても元気だ。

 ジュースを飲みながらあれこれとエルに話しかけてはケラケラと笑っている。

 もうジャクソンのことは吹っ切れたようで、楽しそうにお喋りをしてくるシェリーを見ているとこっちまで楽しくなってくる。

 寝てしまってわからなかった入学式のこと、明日からの講義のこと、魔術のことなどなど、シェリーの話題は尽きることを知らず、入寮してから数日間とは言え、エルの側を離れようとしないルームメイトとの間柄はすでに寮生の間でも認知されつつあって、とても仲のいい友達同士だと思われているようだった。

 なお、学生寮の男女の比率は6:4で男性のほうが多い。

 それでもどちらかと言うと男社会だと思っていた魔術師の世界に女性の比率が高いのは、それだけ魔力を保持する者が満遍なく存在することの証であり、人間、亜人問わず、いかに国が魔術を奨励しているかの証でもあった。

 人間と亜人の比率もだいたい7:3くらいで人間のほうが多く、シェリーの話を聞く限りでは亜人はあまり外に出たがらない種族が多いらしいので、単に魔力を保持していても町や村の魔術師に魔術を教わって、そこで魔術の基礎を学んで、そのまま村などの魔術師になることのほうが多いかららしかった。

 シェリーの場合は村に魔術師がいなかったからスーリオの街で勉強し、ドリンに来た経緯があるからどちらかというと珍しいほうと言えるだろう。

 それでも亜人の比率は低くはないので、シェリーのようにほとんど裸同然の格好で寮をうろつく亜人はいくらでもいた。だいたいシェリーも村では裸で生活していたと言うのだから、体毛のある亜人は基本的に裸で生活するのが普通なのだろう。人間からすれば服を着ないと言うことが考えられないが、亜人は亜人の生活様式があり、それを否定するほど狭量ではない。

 もっとも、今日みたいに盛大に寝癖をつけたままで式典に出ようとするシェリーだから、身だしなみには相当苦労しそうではあったが。

 ともあれ、同じ新入生同士、同じ寮生同士、仲良くするに越したことはない。

 シェリーと話をしつつも、声をかけてくる寮生たちとも交流をし、入学式が行われた日は過ぎていった。


「毎日お風呂に入れるなんて贅沢だよねー」

「そうね。さすが名門中の名門と言ったところかしら。食堂のご飯もおいしいし、至れり尽くせりだわ」

「明日から講義かー。眠くならないといいなー」

「ふふ、そこは我慢しなきゃ。立派な魔術師になって、村に帰って村の役に立つのが夢なんでしょう?」

「うん。でもあんまり小難しいことは面倒かなー。パパッとできて、パパッと効果が出るような簡単なヤツのほうが深く考えずにすんで楽なんだけどなー」

「さすがにここではそんな簡単にはいかないでしょうね。なんてったって国一番の魔術学校なんだから、きっと講義もとても高度なものになると思うわ」

「うー、楽しいことなら勉強も面白いけど、つまんなかったら眠くなるだけだからなー」

「前にも言ったけど、寝そうになったら起こしてあげるわよ。せっかくシェルザールに入れたんだもの。高度な魔術を学んで、多くの人の役に立つ魔術師になりたいと思わない?」

「あたしは村のみんなが喜んでくれればそれでいいからなー」

「欲がないわねぇ。こう考えてみたらどう? 高度な知識を持つ魔術師になって村に帰れば、もしシェリーの他に魔力を持った子供が現れたとき、今後魔術師に困ることはなくなると思わない? もしその子の魔力が低くても、高度な魔術の知識は教えられるわ。将来シェリーくらいの魔力を持った子供が現れたとき、わざわざドリンに来なくても村で高度な魔術を教えられて、村の役に立つ魔術師が今後も村に居続けることになるわよ?」

「なるほど。たまたま今は村に魔力を持ったのがあたしだけだったから魔術師はいなかったけど、将来はそうとも限らないんだよね」

「そうそう。そういう将来村で魔術師がいなくて困る、なんてことにならないように知識を伝承すると言う意味でも高度な魔術を知っておくことに意義はあると思うわ」

「さすがエル。考えることが違う!」

「私の村でも治療院を経営していた魔術師はさほど魔力は高くなかったからね。私はこれからどうするかは決めていないけど、もし村に帰ることになったとしても、高度な魔術の知識は決して無駄にはならないわ。人間、亜人を問わず、これだけ魔力を持っている者がいるんだもの。シェリーの村で今後シェリー以外に魔力を持つ子供が産まれない、なんてことはないと思うわ」

「ふむふむ。村の将来のためにも勉強しておくことが大事、と」

「そういうこと」

「よーし! なんだかやる気が出てきたぞー!」

「ふふ」

 まだ数日とは言え、懐いてくれているシェリーは腰布だけの姿でベッドに胡座を組んでガッツポーズをしている。

 大柄なシェリーはその体型に見合った豊満なスタイルを誇っているが、悲しいかな、相手は人猫である。

 人間の女性ならばこんな裸同然の姿で近くにいれば興奮でもするだろうが、ふさふさの体毛に覆われた身体にはさすがに欲情しない。

 それに妹のような存在として見ていられるから、もし人間の女性だったとしてもシェリーに欲情することはきっとないだろう。

 それはそれでルームメイトとしてはありがたかった。

 おそらくエルが女性だから同じ女性をルームメイトとしてあてがったのだろうが、人間の女性で美人だったらとてもではないがまともに話すことすらできなかったかもしれない。

 そういう意味でもルームメイトはシェリーでよかったと思う。

 手のかかる子ではあるが、それもまたお姉ちゃんとして生きてきた今までの経験が生きることでもあり、悪いことではなかった。

「明日はどこで講義するんだっけ?」

「新入生はまず大講義室で全員集めての講義だったはずよ」

「じゃぁ講義でも一緒にいられるね!」

「そうね。でも今日みたいに寝癖をつけたまま講義に出るなんて許さないわよ?」

「えー、いいじゃんかー。あたしは気にしないしー」

「私の隣に座っていたいのなら最低限寝癖くらいは直しなさい」

「ぶーぶー」

「私がこういうのもなんだけど、見た目っていうのはとても大事なのよ? 故郷の村じゃないんだから、部屋ではいいとして外ではローブを着て、靴も履いて、寝癖も直して、身なりをきちんと整えなさい。そうしないと三下魔術師に見られかねないわよ」

「別にいいもん。村に帰ればそんなこと気にしなくていいし」

「だから村に帰ったら好きにしていいって言ってるの。でもここはドリンで、シェリーも曲がりなりにもシェルザールの学生なんだから、名門校らしい振る舞いをしなさい、ってこと」

「えー、めんどくさーい」

「じゃぁ寝てても起こしてあげないわよ?」

「それは困る!」

「全部ひとりでできるようになるのが理想だけど、それまでの間は私も手伝ってあげるから。だからいい子にしてちゃんと身だしなみには気をつけましょう?」

「はーい……」

「よろしい」

 エルが満足そうに頷くと大人しくなっていたシェリーは不意にぷっと吹き出した。

「何?」

「エルってあたしのホントのお姉ちゃんみたいだなって思って。あたし、村では珍しい一人っ子だったからエルみたいなお姉ちゃんができて嬉しいんだ」

「ならよかったわ。じゃぁお姉ちゃんとしてビシビシ行くからね」

 茶目っ気を含んだ声音で言うと、シェリーも真面目そうな顔をして深々と頭を下げた。

「よろしくお願いします、エルお姉ちゃん」

 その形式張った仕草に、少しの間沈黙が下りたが、示し合わせたようにお互い吹き出して、しばらく部屋にはふたりの笑い声が響いていた。

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