003 入学して一週間

「まあ、ご覧になってカロリーヌ様。フリーゲンがまた王子方の周囲を飛び回っておりますわよ」

「そうなのですか? ダニエッテ様も飽きませんわね」


 学園に入学して一週間、わたくしにも普通に会話できる友人が数人出来ました。

 授業中に倒れることもなく、平穏な一週間を過ごすことが出来ておりますけれども、相変わらずダニエッテ様は王子方の周辺をうろついていらっしゃるようですわね。

 あら、そんな事を考えていると、オンハルト様の婚約者のイェニーナ様が近づいて行くのが見えます。

 そうですわよねえ、接待役で仕方ないとはいえ、ダニエッテ様が自分の婚約者の周辺をうろうろしていると言うのは、気になる事でございますわよね。

 窓際から見物していると、イェニーナ様がダニエッテ様に何やら苦言を呈していらっしゃるようで、ダニエッテ様が泣きそうな顔をして近くにいらっしゃるエトルート王国の第三王子、ルーカール様にしなだれかかって、いえ、泣きついていらっしゃるように見えます。

 まったく、こうして校舎からよく見える場面でよくもまあ、あのようにはしたないことが出来ますわね。

 婚約者でもない男性にしなだれかかるなんて、本当にジェレールお兄様の仰っていた娼婦のようではないですか。

 流石に会話の内容までは聞こえてきませんけれども、見ているだけだと『イェニーナ様に酷い事を言われて泣いているダニエッテ様の図』に見えなくもないですわね。

 まあ、しなだれかかっているのが、エトルート王国の王子でなければ、虐めの図に見えなくもないのですけれども、生憎、ただの男爵令嬢が他国の王子方の話に混ざって、挙句の果てにその接待役の婚約者に責められて、あろうことか他国の王子に泣きついているという事実は、我が国の恥なのではないでしょうか?

 帰国なさった王子方が我が国の貴族令嬢がまるで娼婦のようだったなどと吹聴しないとも限りませんし、そうならないようにもイェニーナ様には頑張っていただきたいものですわね。

 と、いいますか、オンハルト様もイェニーナ様を庇うとかなさればよろしいのに、傍観なさっているようですが、よろしいのでしょうか?

 政略結婚だとはお聞きしておりますが、仮にも婚約者なのですから、イェニーナ様側に立つのが普通なのではないでしょうか?

 え、わたくしの考えって間違っていますの?

 その後も、ダニエッテ様とイェニーナ様の言い合いは続いておりまして、ダニエッテ様は順番と言わんばかりに、各国の王子方にしなだれかかり、いえ、泣きついたりしておりました。

 それにしても、王子方の接待役は確かにオンハルト様ですが、その補佐として高位貴族の子息が二人付いているはずなのですが、機能しておりませんわね。

 ルノルタ様、侯爵家次男でいらっしゃって、燃えるような赤い髪と赤い瞳が特徴の熱血漢の方でございますが、騎士科には通わず、わたくしと同じ普通科のAクラスに所属しております。

 そしてもう一人、セバストフ様、同じく侯爵家次男でいらっしゃいまして、ブロンドの髪に緑色の瞳の、ルノルタ様と同じく、普通科のAクラスに通っていらっしゃる方でございます。

 お二人とも婚約者がいらっしゃるはずなのですけれども、ダニエッテ様にしなだれかかられて鼻の下を伸ばしていらっしゃるところを見ますと、愛の通わない政略結婚なのかもしれませんわね。

 まあ、貴族なのですし、お母様達の例が特殊だと言われましたので、そんなものなのかもしれませんわ。


「ご覧になって、カロリーヌ様。フリーゲンが次々と王子方や接待役の方々にしなだれかかって、本当にあちらこちらを飛び回るコバエのようですわね」

「ご苦労な事ですわね。わたくしにはとても無理ですわ」

「イェニーナ様も毎回注意しに行くのは大変でしょうに、こりませんわね」

「そうですわね」


 あのように活発に動ける体力が羨ましいですわ。


「カロリーヌお嬢様、お薬の時間でございます」

「分かりましたわ、コレット」


 わたくしはいつものように増強剤をコレットから頂きまして、水で喉に流し込みます。

 昔はもっと飲みにくかったのですが、ティスタンさんの努力によって、糖衣という物を完成していただいてからが、ずっと飲みやすくなったのですが、丸薬の大きさが大きいので毎回呑み込むのには苦労してしまいます。

 けれども、これを飲まないと午後の授業まで体力が持ちませんので、仕方がありませんわよね。

 本当に、この一週間途中で倒れて早退していないことが奇跡だと思いますわ。

 これもこの丸薬のおかげだと思えば、飲むのに苦労致しますが、飲む甲斐もあるというものですわね。

 実はこの丸薬、今はまだ試験期間でございまして、わたくしの様子を見ながら調整している最中なのでございます。

 本当に様々な方から支えられてわたくしは生きているのだと実感しますわね。


「カロリーヌお嬢様、今日も上手にお薬が飲めましたね」

「もう、わたくしはもう十五歳ですのよ。いつまでも子供ではないのですから、丸薬ぐらいちゃんと飲めますわ」

「そう仰いましても、初めてこの丸薬を飲んだときは、喉に丸薬を詰まらせてしまったではありませんか。あの時は急いで典医を呼んで対処致しましたが、本当に肝が冷えました」

「も、もう。何年前の事を言っているのですか」


 コレットはわたくしの乳母もしておりましたので、いつまでたっても敵う気がいたしませんのよね。

 まあ、わたくしはお母様の母乳で育ったと聞きますし、乳母と言っても母乳を与えてくれたと言うよりは身の回りの世話を焼いてくれていたと言った感じなのでしょう。

 コレットの娘はわたくしと同じ年なのですが、今は平民が通う学校に通っておりまして、将来はエヴリアル公爵家で奉公すると今から目標があるようでございます。

 コレットの娘、ラッヘラというのですが、夢を語る時のキラキラとした目を見ていると、羨ましくて仕方がございません。

 生憎、わたくしは日々を生きるので精いっぱいでございますので、人生の目標というものが無いのですよね。

 それにしても、午後になると眠たくなってしまいますわね。

 学園が始まる前までは、昼食を頂いた後はお昼寝の時間になっておりましたので、余計に眠気が襲ってきてしまいますのよね。

 わたくしは食堂で学食を頂くのではなく、サロンで持参したお弁当を頂くのが基本スタイルでございます。

 と申しますか、我が家のシェフが食の細いわたくしでもちゃんと栄養が取れるようにと工夫して作ってくれているお弁当でございますので、今も有り難くその好意を受けているのでございます。

 普通の学食の食事ですと、量が多すぎて残してしまいますもの、そんな事をしてしまったら、折角作って下さった方に悪いので出来ませんわよね。

 それにしても、いつもの事ですが本当に眠いですわね。

 うーん、いつもの事ですが、一時間ほど保健室で寝かせていただきましょうか?

 幸い、午後一番の授業はダンスの授業と決まっておりますので、どちらにせよわたくしは参加できませんし。


「メンヒルト様、わたくしは一時間ほど保健室で休みたいと思いますので、この辺で失礼いたしますわ」

「まあ、本日もですか? 本当にカロリーヌ様は体が弱くていらっしゃいますのね。ダンスの講師にはわたくしの方から伝えていきますのでご安心ください」

「ありがとうございます」


 そんなこと伝えなくとも、ダンスの講師の方にはわたくしがダンスの講義に出られないことは事前通達しているのですけれども、ここはメンヒルト様の行為を無下にするのもなんですものね、ここはお言葉に甘えておきましょう。

 わたくしはコレットを伴って保健室に行きますと、ノックをしてから中に入ります。

 中には、今年赴任してきたばかりの養護教諭がいらっしゃいます。

 お名前をドレアヒムさんと仰いまして、侯爵家の三男でいらっしゃったのですが、お母様お抱えの典医のランドルフに感銘を受けたとかで弟子入りし、よく医学を学び、この度わたくしの入学に合わせてこの学園の養護教諭になったのでございます。

 まあ、わかりやすく言えば、わたくしの事をよくわかっているので、コネを使って今年から養護教諭になったのでございます。


「そろそろ来る頃だと思っていましたよ」

「今日もお世話になりますわ」

「ベッドは空いていますから、どうぞ、着替えてからゆっくりお眠りください」

「はい」


 わたくしはコレットを連れて着替えスペースに入りますと、あらかじめ持ってきて置いてあるシュミーズドレスに着替えまして、着替えスペースを出ます。


「ああ、今日はカメオ・ベージュ色のシュミーズドレスなんですね。よくお似合いですよ」

「ありがとうございます。先日出来上がったばかりのドレスなのですよ。学園に通うようになってから、わたくしもドレスを発注することが増えまして、アナトマさんには喜ばれているのですが、出費が増えてしまってお母様には申し訳ないと思っておりますのよ」

「何を言っているのですか。それでも通常の公爵令嬢が使う衣装代に比べたらずっと抑えられているじゃないですか、あまり気にしすぎるのも体に毒です。さあ、よく眠れるようにお香を焚きますので、ゆっくりとお休みください」

「ああ、いい香りですわね。本日の香りはなんでしょう?」

「沈香という東の国のお香ですよ。貴重なものなので、あまり手に入らないのですが、カロリーヌ様には特別です」


 そう言って唇に指を当ててウインクするドレアヒムさんは様になっていると言うか、元が顔の良い美青年だから絵になりますのよね。

 お母様が定期的に開催するお茶会でも、人気の方だそうですが、お母様曰く本人にそちらの趣味がないので愛でるにはあまり適さないのだとか。

 ああ、そちらの趣味というのは、お母様曰く薔薇世界でございますが、わかりやすく言うと男色でございますわね。

 アナトマさんが男色でいらっしゃいまして、銀細工職人のヴィリアンさんという恋人がいらっしゃいますのよ。

 お母様は所謂そう言う世界を堪能するのが趣味だそうで、定期的に同じ嗜好の同志の方々とお茶会を楽しそうになさっておいでです。

 羨ましいですわね、わたくしも同じ趣味の方と一緒にお茶会をしたいのですが、生憎わたくしにはこれといった趣味がございませんので、同じ趣味を持った方とのお茶会なんて夢のまた夢のお話なのですけれどもね。

 そもそも、お茶会自体、参加したことは片手程、主催したことなんて一回もございませんものねえ、今度シャメルお姉様にお願いしてお茶会に誘っていただきたいのですけれども、また熱を出してしまうかもしれませんし、安易にお願いは出来ませんわよね。

 わたくしは沈香の香りに包まれて、ベッドに横になりますと、眠りの世界に誘われて行きました。



 一時間ほど眠って、わたくしは爽快な目覚めを迎えますと、スッと目の前にレモネードが差し出されました。


「ありがとう、コレット」


 九月とはいえまだ暑い日が続きますので、寝起きには冷えたレモネードが欠かせませんわね。

 もっと寒くなったら温めたレモネードにするのですけれども、まだその季節ではございませんわ。

 わたくしがレモネードを飲んで一息つくと、タイミングよく午後一番の講義の終了の鐘が鳴りましたので、わたくしはコレットの手を借りて制服に着替えますと、保健室を後にいたしました。


「コレット、次の授業は何だったかしら」

「歌唱の授業でございます」

「そう、そうでしたわね。歌唱の講義はわたくしの得意科目でございますもの、楽しみですわね」

「カロリーヌお嬢様のお美しいお声をお聞きできるのは良いのですが、無理をしてしまってはまた喉から血が出てしまいますので、無理はなさらないで下さいね」

「分かっておりますわ。まだ初日の講義の事を言っておりますの?」

「もちろんでございます。講義の途中で吐血する令嬢がどこにおりますか。まったく、あの時は本当に焦りましたよ。すぐさまドレアヒムさんがいらっしゃったからよかったものの、もし用事があってすぐに駆け付けられなかったらどうなっていたことか」

「少し喉を切っただけではないですか。大事ありませんわよ」

「何を仰います。そこから雑菌などが入って、その美しいお声が濁ってしまったらどうするおつもりですか」

「コレットはわたくしの事を気にしすぎですわよ」

「産まれた時より見守っているのですから、気にしすぎるという事はございません。いいですか、何度も言うようですが、くれぐれもご無理はなさいませんように」

「わかっておりますわよ。無理をして学園で倒れでもしたら、それこそ学園に登校禁止とお母様が言い出しかねませんもの」

「奥様も心配なさっておいでなのですよ」

「ええ、お母様はいつだってお優しいですもの」


 礼儀作法には厳しい所もございますけれども、基本的にはわたくしに優しくしていただいておりますわよね。

 幼い頃のわたくしは、それはもう本当に病弱でございまして、何かある度に、いいえ何もなくても熱を出しておりましたので、お母様にジェレールお兄様やシャメルお姉様よりも甘やかされている自覚はございますわ。

 けれども、わがままに育つことが無かったのは、わがままになるほどの体力がなかったことと、お母様が教授してくださった淑女教育のおかげと言っても過言ではないでしょう。

 わたくしが無事に生活出来ているのは、周囲でわたくしを支えてくれている使用人のおかげですし、癇癪を起して辞めさせるなんて事出来るはずがありませんわ。

 歌唱の講義を受けるために、クラスを移動しておりますと、ダニエッテ様が向こう側からいらっしゃいました。

 そのまま横を通り過ぎるのかと思いましたら、急にわたくしの横で転びまして、大声を上げていらっしゃいました、正直意味が分かりませんわね。


「酷いです、カロリーヌ様! あたしが王子様達と親しくしているからって、嫉妬してこんなことするなんて、酷過ぎます!」

「なんの事でしょうか?」

「あたしに足を引っかけたじゃないですか! だからあたしが転んだんですよ!」

「ご自分で転んだ、の間違いではございませんか?」

「そんなはずないじゃないですか! 見てましたよね、アウグスト様、デブレオ様、ルーカール様、リードリヒ様、オンハルト様、ルノルタ様、セバストフ様!」


 ほら、皆様困っていらっしゃるじゃないですか。

 だって、皆様、ダニエッテ様が自分で転ぶところをしっかりと見ておりましたものねえ。


「困りましたわねえ。わたくし、このような方に絡まれてしまって、気分が悪くなってしまいそうですわ」

「カロリーヌお嬢様、具合が悪いのでしたら、保健室に戻りますか?」

「いいえ、大丈夫ですわ。次は歌唱の講義でございますもの。わたくし、歌唱の授業は好きなんですのよ。欠席なんて、したくありませんわ。けれども困りましたわね、このように無作法な方に絡まれてしまっては、講義に遅れてしまうかもしれませんわ。オンハルト様、この場はお任せしてもよろしいでしょうか?」

「あ、ああ。もちろんだとも」

「ではよろしくお願いいたしますわね」


 わたくしはそう言ってその場を立ち去ります。

 本当に、厄介な方に絡まれましたわね、気分が悪くなりそうですわ。

 けれども次は大好きな歌唱の講義ですもの、欠席するなんて事にならずに済みそうでよかったですわ。

 そう言えば、学園の講義は長期休暇以外、休みはなく、ほぼ毎日行われているのですけれども、お母様曰く、週に一日から二日は休日が必要なのではないかと仰っておりました。

 確かに、わたくしの体力を考えますと、週に二日ほどは休暇が欲しい所ですけれども、無茶は言えませんわよね、だって、お父様達はほぼ毎日休まずに働いていらっしゃるのですもの、わたくしだけ楽をするわけにはいきませんわよね。

 ジェレールお兄様も、シャメルお姉様も、文句など言っておりませんでしたし、そういうものなのでしょう。

 それに、月に一度ほどは休暇がございますので、全く休暇がないと言うわけではございませんし、それで満足すべきですわよね。

 さて、歌唱の講義を受けるためのクラスに到着したわたくしは、早速クラスの中に入ります。

 ざわついていた同じ講義を受ける方々が、一瞬静まり返って私を見て来ましたが、すぐにまたざわざわとお喋りを再開なさいました。

 さて、わたくしのお友達はこの講義を受けておりませんし、講義が開始されるまで暇なのですよね。

 お友達の方々は他の芸術クラスを受けていらっしゃるのですよね、この講義を受けていらっしゃる方の中にお友達を作ればいいとは思うのですけれども、皆様わたくしを遠巻きに見ていると申しますか、初日に吐血をしてしまったわたくしを変に気遣っていらっしゃる感じなのですよね。

 あれ以降は吐血しないように気を付けておりますのに、皆様気にしすぎだと思いますのよね。

 しばらく待っておりますと、歌唱の講師、ナーテ先生がいらっしゃいました。

 今日も艶やかな紅い髪の毛と、見る人を引き込む銀色の瞳が美しいですわね、思わず見とれてしまいますわ。


「欠席者はいらっしゃいませんね。それでは本日は、聖歌の中から『フェリチェスタ』を選ぼうと思います。皆様、教本の25ページを開いてください」


 そう仰ると、ナーテ先生はチェンバロを弾き、ラの音を出します。


「では、始まりの一節を、カロリーヌ様。お願いできますか?」

「はい」


 わたくしは伴奏に合わせて呼吸を整えると、息を吸い込みメロディーを歌いました。


「フェリチェスタ、その喜びは果てしなく我が身に降り注いでくる。フェリチェスタ、その美しさは果てしなく我が身を喜ばせる。フェリチェスタ、神のお許しを得てそれを得ることの幸いを我らは喜びと共に受け入れよう」

「……はい。結構です、相変わらず美しい声ですね」

「ありがとうございます」


 皆様が集中して私を見守っていて下さっているのが分かります。

 そんなに注目なさらなくても、もう吐血するようなことはございませんのに、皆様本当に心配性ですわね。

 歌唱のクラスは、基本的に侯爵家や伯爵家の次男以降、次女以降が受ける傾向にあります。

 なぜなら、学園を卒業してからも職にあぶれないようにするために、技術を磨くためですわ。

 まあ、わたくしは完全に趣味ですけれども、中には本気で歌手を目指していらっしゃる方もいるのです。

 歌が上手ければ貴婦人の開くお茶会などに呼ばれることもございますものね、皆様必死なのでございましょう。

 歌唱の講義はつつがなく済みまして、本日の講義は全て終了いたしました。

 帰宅する直前、またダニエッテ様が目の前に現れまして、訳の分からないことを叫ばれましたけれども、スルー致しまして馬車に乗り込んで家に帰ることにいたしました。

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