002 入学式

 神様にお会いしてから二週間、わたくしは何とか熱も下がりまして、学園の入学式に挑んでおります。

 式場にわたくしが姿を見せた瞬間、会場全体が一瞬静まりかえり、その後わたくしを見てざわざわとなさっていたのが気がかりでございますが、あまり周囲の事を気にしてはいけないとシャメルお姉様に言われておりますので、気にしないことにいたしましょう。

 入学式の式典は、椅子に座ってのものになりますので、わたくしは普通科のAクラスの席に座ることになります。

 これでも座学には自信がございますのよ。

 わたくしが会場に入ってくるのが遅かったこともあるのでしょうが、空いている席は上座のものと下座のもの数席……、公爵令嬢と致しましては下座に座るわけにはいきませんので、コレットを伴って上座に座りましたところ、早速といった感じに隣に座った令嬢に声をかけていただけました。


「貴女、エヴリアル公爵家のカロリーヌ様でしょう? わたくしはメンヒルト=インツ=レーラトガ、レーラトガ侯爵家の次女ですわ。カロリーヌ様とはお茶会で顔を合わせたことはございますが、こうしてお話するのは初めてですわね、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」

「こちらこそよろしくお願いします」

「それにしても、カロリーヌ様は病弱だと聞きましたけれども、その青白い肌、陽にあたったことのないような感じですし、ご苦労なさったのでしょうね」

「そんな、わたくしなどただ日々を送って来ただけでございます。感謝すべきは家族でございますわ」

「カロリーヌ様は家族に恵まれていらっしゃいますものね。我が家など、決して仲が良い家族とはお恥ずかしながら言えませんで、まあ、貴族にはよくある話でございますけれども、父も母も外に愛人を囲っているのでございますよ」

「まあ、そうなのですか」


 お母様とお父様方はとても仲がよろしいので、外に愛人を作るという事は絶対に考えられませんわね。

 まあ、ジェレールお兄様はアリアーヌ様が長男を産むまで側室は取らないと誓ったようですけれども、それっていずれは側室を娶るってことなのですよね、仕方のないこととはいえ世知辛いですわねえ。

 バンジール様もシャメルお姉様が第一王子を産むまで側妃の方々には避妊薬を飲ませているそうですし、結婚というのはきれいごとでは済まないものなのだとつくづく思いますわ。

 そう言えば、以前神様が仰っていた、ヒロインさんでしたかしら? その方は男爵家の子だそうで、そのお婆様が実は亡国の姫君だったのだそうですわ。

 まあ、その亡国は我が国から国を挟んでおりましたので、あまり関りはなかったのですが、ブライシー王国によって滅ぼされた国なのだとか。

 ブライシー王国は今でこそ落ち着いておりますが、先代の国王の時代までは、周辺の国に戦争を仕掛ける好戦的な国だったのだと学びましたわ、我が国もアーティファクトが正式起動していなければ危なかったかもしれないと神様に言われましたが、そのためにプリエマ叔母様を呼びよせたとも仰っておりましたわね。

 呼び寄せた、という表現が少し気になりましたが、神様は脳みそがお花畑で出来ているようなので気にしてはいけませんわよね。


「ふふ、それにしても皆様がカロリーヌ様に話かけたくてうずうずしていらっしゃいますのよ。なんと申しましてもエヴリアル公爵家の深窓の姫君ですもの、気にならないはずがございませんわ」

「そのようにたいしたものではございませんけれども、皆様のご期待を裏切らないようにしなければなりませんわね」

「まあ、カロリーヌ様はそこにいらっしゃるだけで十分に皆様の期待に応えていらっしゃいますわよ。自信を持ってくださいませ」

「そうですか?」


 何をもって自信を持てと言うのでしょうか? まあ、よくわかりませんけれども、入学式が始まりそうなので、わたくし達は壇上を見て口を閉じることにいたしました。

 それにしても、ジェレールお兄様やシャメルお姉様から聞いてはいましたけれども、入学式って無駄に長いのですね、あらかじめティスタンさんが開発した栄養補給の丸薬を飲んでおいてよかったですわ。

 あ、ティスタンさんというのはコレットの旦那様で、お母様のお抱えの錬金術師でございます。

 滅多に研究室から出てくることが無いのですが、わたくしの体の為にお母様が呼び寄せた典医と一緒になって医薬品を色々開発してくださっております。

 お母様が呼び寄せた典医には今もお世話になっておりますわ。

 お名前をランドルフさんと仰いまして、以前は街で細々と典医をなさっていたそうなのですが、その腕の確かさをお母様に認めていただき、わたくし付きの典医になったのでございます。

 本当に、お母様がいなければわたくしはまともに生活することが出来ませんわね。

 お母様はわたくしを丈夫に産んであげられずに申し訳ないと仰って下さいますが、わたくしはこうして生きているだけでも十分に幸せだと思いますのよ。

 生きてさえいれば、チャンスは巡って来ると言うのがお母様の口癖ですが、本当にそう思いますわ。

 命の危険と常に隣り合わせにおりますと、命のありがたみをより一層感じることが出来ますわね。

 さて、先だってお話いたしました各国の王子や接待役の方でございますが、同じ普通科のAクラスに所属しておりまして、早速令嬢方の視線を集めているようでございます。

 メンヒルト様ももちろんご興味があるようでございまして、チラチラと王子方や接待役の方に視線を送っていらっしゃいます。

 皆様、青春をしておりますわね。

 そんな事を考えていると、退屈な式がやっと終わり、わたくしはゆっくりと椅子から立ち上がりました。

 どうしてゆっくりかって? 急に立ち上がりますと、立ち眩みを起こしてしまうかもしれないからですわ。

 コレットでもわたくしを抱えて馬車まで運ぶことは可能ですけれども、出来るだけ負担をかけたくないので、これでもわたくしは日ごろから行動には気を使っているのですよ。

 入学式が終わりますと、その後は生徒の自由にと言った感じのパーティーがあるのですが、わたくしは壁の花を決め込みまして、壁際に用意された椅子に座ってコレットが持ってきてくれた食事や飲み物を頂いております。


「ちょっと!」

「はい」


 そんな声が掛けられて思わず返事を返してしまいましたが、公爵令嬢に対して「ちょっと!」とまず声をかけるような方は今はこの学園にはいらっしゃらないはずなのですけれども、どういうことなのでしょうか?

 王女様もわたくしの在学中に被るという事もございませんし、他の公爵家の令嬢でしょうか? いなかったはずですけれども、わたくしの記憶違いでしょうか?


「あんた、悪役令嬢なんだからしっかり仕事しなさいよね!」

「はい?」

「あんたがちゃんと動いてくれないと、あたしのハーレムが完成しないじゃないの!」


 …………ああ、この方が神様の仰っていたヒロインさんという脳内がお花畑の方ですのね。


「えっと、初めまして、わたくしはカロリーヌ=ドルミート=エヴリアル、エヴリアル公爵家の次女でございます。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「あたしはダニエッテ=レーネ=イブルスト、イブルスト男爵家の長女よ! いい? とにかくアンタはあたしがちゃんとハーレムエンドに辿り着けるようにしっかり働きなさいよね!」


 そう言って、ダニエッテ様は立ち去って行かれました。

 口を開かなければ、ピンクブロントと紅い瞳の可愛らしい令嬢ですのに、言葉遣いと言い目上の者に対する態度と言い全くダメダメですわね。

 ああいうのがお花畑というものなのですね、勉強になりますわ。

 それにしても、ハーレムと仰っていましたが、男爵家でハーレムという物を形成するには、相当の財力があって愛妾を囲わなければ成立しないと思うのですが、イブルスト男爵家というのはシャメルお姉様からもお母様からも話しを聞いたことがございませんので、いたって普通の男爵家なのではないでしょうか?

 それとも、これから何か一発逆転のチャンスがあるとか?

 そういえば、ヒロインさんのお婆様が亡国の姫君だったので、その関係で爵位が上がるとかあるのでしょうか? よくわかりませんわね。

 ブライシー王国に滅ぼされた国なんて、それこそ歴史をたどれば山のようにございますし、今更亡国の姫君の孫だったと言われても、我が国としても対応に困ってしまうのではないでしょうか?

 そんな事を考えながら、ダニエッテ様を目で追っていますと、各国の王子が集っている所に近づいて行きまして、よろけたふりをして倒れこんでいるのが見えました。

 ジェレールお兄様に聞いた、娼婦が男をたらしこむ時に行う手腕に似ておりますけれども、きっと気のせいですわよね、仮にも男爵家の令嬢が娼婦の真似事などするはずがありませんもの。

 そう考えながら様子を見守っておりますと、ダニエッテ様がチラチラとこちらに視線を投げかけてきますが、申し訳ありません、わたくしは先ほどの入学式で体力を使ってしまいましたので、もうここからしばらくは動くことが出来そうにありませんのよね。

 ダニエッテ様は二三言王子方と会話を交わしていらっしゃるようで、正直言って、見ているだけでしたら可憐な令嬢に集う美少年の図という感じで絵になるのですが、その美少女が男爵令嬢というのではあまり効力が発揮できないかもしれませんわね。

 あ、でも、レーベン王国の王妃様は元男爵令嬢ですし、その容姿を認められたら正妃になれるかもしれませんわね。

 まあ、どっちにしろ王妃にはなれませんけれども。

 だって、いらっしゃっている王子の方々は第二王子や第三王子、その接待役も次男でいらっしゃいますものねえ。

 まあ、次女のわたくしがこういうのもなんですけれども、そのハーレムとやらを作っても旨味、ありますでしょうか?

 プリエマ叔母様のように、ウォレイブ大公と一緒に各国を飛び回る外交官になるのでしたらともかく、内政にも外交にも明るくない大公妃になったとしても、ちっとも楽しくないと思うのですよね。

 あら、王子方とお話をしていらっしゃるダニエッテ様の方に、数人の令嬢方が近づいて行っていますわね。

 これはもしや、小説で読んだ虐めというものが目の前で実行されるのでしょうか?

 そう思ってワクワクしておりましたら、令嬢たちはダニエッテ様を王子方から引き離しただけでした。

 なんだかつまらないですわね。

 けれども、ダニエッテ様が居なくなった後は、その令嬢達が楽しそうに王子方とお話をなさっておいでです。

 先ほどよりも話が盛り上がっているように見えるのは気のせいではないはずですわ。

 やはり、その国の事をよく学んでいた方が話も弾みますわよね。

 いえ、別にダニエッテ様が各国の情勢を学んでいないと決めつけるのも良くありませんけれども、所詮は男爵令嬢ですもの、そんなに教養があるとは思えないのですよね。

 お母様が挿絵を描いた小説の中の男爵令嬢も、最初の頃は何も出来ない只の令嬢でございまして、ライバル役の公爵令嬢に負けないように努力をしていたと書かれておりましたわ。

 もっとも、お母様曰くあれは小説ように脚色された話だそうで、実は元の話になったレーベン王国の王妃様はさほど勉学に秀でた方ではないのだそうです。

 現実って難しいですわね。

 小説という物が如何に脚色されて大衆に歓迎されるように描かれているのかというのをお母様にお聞きして、恋愛ものの小説に関しては読んでも内容を信じることが出来なくなってしまいましたわ。

 我が国では、身分違いの恋の小説が流行っておりますけれども、わたくしには無理ですわ。

 貧しい家に嫁いでしまったら、わたくしの医療費をだれが負担してくださいますの? 自分で言うのもなんですけれども、わたくしってばかなり医療費がかかる令嬢ですのよ?

 平民の奥方の中には働いている方もいらっしゃると聞きますが、わたくしが働くとかまず無理ですし、身分差の恋とか本当に無理ですわ。


「あ、コレット。今飲んだクランベリーティーのお代わりを持ってきてくれるかしら? とっても美味しかったですわ」

「かしこまりました。お食事の方はどうなさいますか?」

「そうですわね、シュリンプを揚げたものが美味しかったですわ。ソースのケチャップというのはお母様が開発したレシピを使っていますのね、家で食べている物と同じ味がいたしました。それと、ポテトフライももう少し頂きたいですわ」

「かしこまりました、そちらも一緒に持ってまいりますね」

「お願いします」


 さて、コレットが居ない一瞬の間、わたくしは会場全体を見渡しますと、ダニエッテさんが羨ましそうに王子方の方を見ているのが見えました。

 そんなにお話に混ざりたいのでしたら、令嬢の事など気にせずに混ざればよろしいのに……、あ、もしかして話についていけないとか? 有り得そうですわね。

 コレットが戻ってくる前に、王子方の居る団体から一人離れて、メンヒルト様がこちらにやっていらっしゃいました。


「ご機嫌よう、パーティーは楽しんでいらっしゃる?」

「ええ、美味しい食事に楽し気な風景を見ているだけで心が躍るようですわ」

「それは何よりですわね。それにしても、王子や高位貴族子息にさっそくフリーゲンが湧いて出たようですわね」

フリーゲンコバエですか?」

「ええ、身分を弁えない男爵令嬢なんて、フリーゲンと呼ぶので十分でございましょう?」


 メンヒルト様の言葉に、わたくしは思わず苦笑を浮かべてしまいます。

 仮にも物語のヒロインをフリーゲン呼ばわりするなんて、神様が聞いたらまた四つん這いになって気落ちなさるのではないでしょうか?

 なんでも、この世界は上層世界の影響を受けやすいそうで、お母様の学生時代は『オラドの秘密』という乙女ゲームとやらが舞台になっていたのだそうで、わたくしの学生時代は『ラクリマの後で』という乙女ゲームが舞台になるのだそうです。

 乙女ゲームとは、女性をターゲットにしたゲームなのだそうですけれども、神様に詳しくお聞きしましたが、いまいちピンときませんでしたので、説明の大半を忘れてしまいました。

 上層世界とか言われましても、そんな神様用語で言われてもわからないですわよねえ。

 お母様の魂はその上層世界から来ているのだと、お母様がこっそりと教えてくださいましたけれども、それがなくとも、お母様は素晴らしい人なのだと思いますわ。

 それで、神様曰く、わたくしはその『ラクリマの後で』という乙女ゲームでは悪役令嬢という役柄らしいのですが、無理ですわよ。

 学園に通うのですら精一杯ですのに、誰かを虐めるなんて体力の無駄ですわよね。

 神様は、わたくしが役目を全うしなかった場合、誰か別の方がその役目を担うはずだと仰っておりましたので、その方にお任せしようと思いますわ。

 ええ、わたくしはその悪役令嬢という役割を放棄させていただきたいと思います。

 そこで飲み物と食べ物を持って来たコレットが帰ってきましたので、入れ替わりにメンヒルト様は王子方の方に戻っていきましたので、わたくしはお皿を横にあるテーブルに乗せてもらい、会場内の見物を再開致しました。

 制服なのでみんな同じような恰好ですけれども、所属する科によって制服は違いますので、ここから見ているだけでも目で楽しむことが出来ますわね。

 あ、ちなみに、六年前に制服の一新がございまして、わたくしの通う普通科の制服は、以前と同じローブ・ア・ラ・フランセーズを基本としておりますが、レースやフリルが多く使われた今どきの流行りのデザインになっているのでございます。

 正直、装飾品が増えますとその分重量が増しますので、わたくしと致しましてはシンプルにしてほしいのですが、学園長に許可を貰いまして、制服を若干改造することでなんとか対処しておりますのよ。

 本日のように正装をしての式典への参加になりますと、制服の上からヴァトー・プリーツを着る羽目になりますので、これが本当に肩に重くのしかかってくるのでございます。

 皆様よく平気な顔で立ってお喋りなさっておいでですわよね、尊敬いたしますわ。

 やはり、わたくしは屋敷でシュミーズドレスを着ているか、寝着を着ている時が一番楽でいいですわね。

 いけませんわ。

 こんな初日から輝かしい学園生活に絶望してどうしますの、わたくし。

 ここはしっかりと気合を入れまして、今後の輝かしい学園生活に胸を躍らせる場面ですわよね。

 神様も言っていたではありませんか、わたくしの運命が動き出すと。

 そうですわよね、たまには神様の言う事を信じて胸躍らせるのも良いかもしれませんわ。

 あまり神様の言う事を信じないと、神様が聞落ちしてしまって面倒な事になってしまいますし、今回は神様の言う事を信じることにいたしましょう。


「ちょっと!」

「……またですか? 今度は何の御用でしょうか? ダニエッテ様」

「さっきも言ったけどアンタは悪役令嬢なんだから、しっかり役割を果たしなさいよね! あたしが王子様達と話していたら文句を言うのがアンタの役目でしょう!」

「そう言われましても、わたくしは王子方と面識はございませんし、いきなり話に割り込むような無作法な真似をするわけにも参りませんでしょう? そうそう、無作法といえば、公爵家の令嬢に対して、『ちょっと』や『アンタ』呼ばわりするのがイブルスト男爵家の流儀なのでしょうか? それでしたら、座学を一から学び直したほうがよろしいのではございませんか?」

「なによ! 馬鹿にして!」


 そう言いながら、ダニエッテ様は満足そうな顔をしてわたくしの前から立ち去って行きました。

 何だったのでしょうか? 脳内がお花畑の方にはかかわらないほうが良いと言われておりますので、今の事も忘れたほうが良いのでしょうね。

 わたくしはシュリンプを揚げたものとポテトフライを頂きながら、クランベリーティーを飲んで、会場内を観察する作業に戻るのでございました。

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