ファーストライン 初動警邏 2

ファーストライン 初動警邏 2


勤務中の警察官がそう簡単には離れられないことを西峰は冷泉に告げたが、彼はスマホを取り出し二言三言ほど伝えて電話を終えると、すぐに彼女の警察電話がメールの着信を告げた。交通課の課長から「別命あるまで検非違使と行動を共にするように」との指示であった。

これが警察で囁かれる「見廻警邏の身勝手」と言うやつだ。本当に邪魔されないと言う事なのだろうと西峰は思いながら、その指示を受けたことを冷泉に伝えて警邏車へ乗り込むと署を後にした。

そして今、小松原駅前にある小さな喫茶店の対面席で西峰は食後の珈琲を見つめた。制服姿で店で夕食を取るなどという前代未聞の行為に、味のしないナポリタンを食べて、砂を飲むような水で喉を潤したところだというのに、目の前の冷泉査察官は呑気にコーヒーを飲んでいた。

話を聞くまではよかった。その後は夕食を食べながら伺いましょうと言うことだったので、てっきりコンビニ弁当などか、とも思ったが、警察署から10分とかからないこの喫茶店の目前の駐車場にパトライトを光らせたまま警邏車を乗り付けた。

アメリカの刑事ドラマかと呆れたが、その反面、本物の検非違使なのだとも感じた。彼らは制服でどこにでも現れる。酒場の隅に怪しい服装のやつがいると通報されて駆けつけると、検非違使の連中だった。という笑い話が警察ではよく聞かれる。


「さてと、話を聞かせてもらってもいいかな?西峰透子巡査」


制帽を被ったまま食事を終えた冷泉査察官がそう言って、コーヒーのカップを卓上に置いた。卓上にはいつの間にか妙に分厚いケースに入ったタブレットが置かれている。


「私、フルネーム名乗りましたか?」


怪訝そうな顔をして西峰は尋ねた。駐車場では名字しか伝えていないはずだ。


「いや、全く聞いてないよね。今、番号から割り出したところ」


悪びれもなくそう言って冷泉はタブレット画面を西峰に見せた。県警察のデータベースか何かから西峰の経歴が引き出されたようで、履歴書のような書式で纏められていた。


「さて、私の自己紹介は先ほどしたから良いとして、女性警察官から聞いた内容を教えてくれる?ああ、その人の氏名で呼ぶ必要はないよ。彼女か女性警察官かのどちらかでいいからね」


氏名などどうでも良いとでも言うかのような言い回しに西峰は怒りが湧いた。


「妙なところに拘るんですね。私は先輩と呼ばさせて頂いてもいいでしょうか?」


反抗的な態度とまではいかないが、仕事を教えてくれた先輩を無碍にも扱いたくはない。その思いが西峰を突き動かした。


「いいよ、じゃぁ、先輩としよう、で、どんな話をされたのかな?」


そう言って制帽を目深に被っていた冷泉が顔を上げた。二つの目の下には妙に黒いクマがあり、細面の顔が何処となく往年の俳優を思わせる顔つきであるが、目には光が宿っている雰囲気はない。そう、まるであの時すれ違った先輩のようであった。


「すれ違いざまでした、いつもの先輩と雰囲気が違っていて、こう、なんと言いますか、先輩は尊敬できる優しくて思いやりのある姉のような存在だったのですが、その時は暗い声で私を見てブツブツと呟くように一方的に言ってきたんです。心死やどりに気をつけてと」


「心死やどりに気をつけて、ですか?」


「ええ、言われて私も意味がわからなかったので、どう言うことか聞き直したんです、そしたら、あの子の家を調べて紙を見つけてと言われました」


「あの子・・・。殺された子のことだろうけど、紙を見つけて・・・ね」


「たぶん、そうだと思います。最後にお願いと、一瞬、普段の先輩にもどったような感じで言われました」


「なるほどねぇ、先輩自身は何か問題を抱えていたとかは見受けられなかったでしょ?」


「そんな素振りもありませんでしたし、私と出かけたりしてもそんなこと一言も言っていませんでした」


「そっか、まぁ、そのあたりか監察の連中のお仕事範囲として、最初の子を調べてとのことだったよね」


「はい」


冷泉がタブレットの画面を自身の方へ向けて二、三ほど操作をすると、お互いの見やすい位置に置き直した。西峰が視線を向けると、最初の事件の犯人で被害者でもある人物の写真が表示されていた。


「被疑者少女、藤堂弓子、17歳の高校2年生。これが父親殺しで被害者の人物、写真とかその他のものは見れていないでしょ?」


「ええ、署内でも限られた人しか閲覧できないようになっていましたので・・・見れていません」


「少年法で氏名は守られるし、被害者であっても加害者でもあるし、表にも出せてないからね。それよりもだ。この子自体に見覚えはある?」


写真は学生証から引用されたようで、知的な顔つきに眼鏡をした制服姿の女子生徒が映し出されている。その顔写真に見覚えはなかった。


「そっか、じゃぁ、こっちの写真に見覚えはある?」


画面が切り替わると、派手なメイクに髪型をした女性の写真が現れた。先ほどの写真とは似ても似つかない顔つきと表情で妙な色香を醸し出している。


「あ、あの時の子だ・・・」


「知ってる顔?」


「ええ、つい1ヶ月前に深夜に巡回中に補導した子です。父親が迎えに来て連れて帰ったはずです」


「そっか、じゃぁ、面識はあるわけだ」


「え?」


「その二つの写真は同一人物なの、二枚目はお風呂屋さんの写真だけどね」


冷泉はそう言ってポケットから妙に長いフィルターを備えたタバコを取り出すと卓上のマッチで火をつけた。深く吸い込んで煙を吐き出すとその煙は妙にゆらゆらしながら彼の周りを漂っている。


「お風呂や・・・そういうお店に未成年が」


「どうやらそうみたい。後々調べて判明したらしいんだけど、さて、もう一枚見てほしい」


再び画面が切り替わると同じような化粧に妙に薄着姿の女性の全身写真が映し出された。右目下の泣きぼくろが特徴的な大人の色香を漂わせていた。


「あ・・・」


「だよねぇ、やっぱりそう思うよね、彼女も同じ位置に泣きぼくろがあったでしょ?、現役警察官がまさかと思ったんだけど、どうやら、3交代制の合間にたまに出勤していたようでね」


「先輩が・・・」


絶望感が西峰を襲った。あの凛々しい先輩がこんな事をするはずがないと心のどこかで思ってしまうが、写真の下にある事実関係を記した内容を読み間違いでない事を県警察が立証していた。


「嘘だと思いたいのだろうけどこれは事実だよ」


タバコの灰をアルミの灰皿に落とした冷泉はそう言うと再び煙を燻らせた。西峰は取り乱した姿は見せなかったが心中穏やかではないはずだ。青くなった表情がそれを物語っている。思考も停止してしまっているのだろう。


「ところでさ、ちょっと聞きたいのだけど、彼女と出かけたことがあるって言っていたよね」


「は、はい。先輩に誘って頂いて出かけたりはしました」


「そっか、じゃぁ、彼女の車や彼女自身でもいいのだけど、三日月のようなものを身につけていたことはなかった?」


「三日月ですか?」


「そう、三日月」


先輩との出かけた記憶を思い出してみる。そういえば三日月のストラップの付いた財布を使っていた事を思い出した。


「財布にそんなストラップがついていたと思います」


「なるほど、それ以外はどこかにあった?」


「あ、スマホの壁紙が狐と三日月の描かれた絵でした」


「それって、こんな感じの絵?」


再び端末の画面が切り替わると、そこに妙に凛々しい狐の絵が映し出された。白銀の狐は妙に厳しい目でこちらを睨みつけ、その永く優美な尾は三日月のように曲がっている。尾の先からは御光が光っていた。


「あ、こんな感じのです」


「そっか、じゃぁ、信者だった訳か・・・」


「信者?」


「そう、孤月教団って知ってる?」


「新興宗教のですか?」


「そうそう、それ、これね、そこのシンボルマーク」


孤月教団、5年前から大規模に活動を始めた宗教団体である。大学や高校生などの比較的若い世代を勧誘し信者数を伸ばしていることで警察も警戒を始めた団体であった。


「西峰さんは勧誘されたことは無い?」


「あ、ありません。言われた事もないです・・・」


事実、西峰は先輩とはショッピングや食事を楽しんだ程度で、そう言った話もそう言った施設にも行ったことはなかった。


「なるほど。じゃぁ、お手つき前か」


「お手つき前?」


「そ、勧誘できるかどうか探ってたのかもしれない。ああ、まぁ、そんな話はどうでもいいのだけど、これで繋がったわけだ」


「どう言う事です?」


全く理解できない西峰に吸い殻を灰皿に捨てた冷泉が、2本目に火をつけて旨そうに吸ってからゆっくりと煙を吐きだす。その煙は再び彼の周りを漂った。


「そのお風呂屋さんね、運営母体は巧妙に隠されているけど、孤月教団なんだよ」


「え?教団が運営を」


「そう、あれ、知らない?意外とね風俗やってる教団って多いんだよ。あれ、儲かるからね」


「そんなことって・・・」


「まぁ、その話は置いて置くとして、彼女、紙を見つけてとも言ったんだったね」


「はい」


「そうか、じゃぁ、あの話も本当だったのか」


「あの話?」


まるで独り言を呟くかのように冷泉は言った。


「仮の話になるのだけどね。そのお風呂屋さんの話、それを彼女自身が自発的に行なっていたとしたらどう?」


「先輩が・・・自分からなんて有り得ません!」


思わず机を叩いて抗議の声を西峰は上げる。カウンターでカップを磨いてこちらの様子を伺っていたオーナー夫婦が、思わず驚いて身を震わせた。


「そう思うよね」


「ええ、先輩はそんな人では無いです!」


「そう、そんな人でない、と言う人がね。この教団には多いんだよ。政治家、軍人、警察官、その他公務員などなど、一見してそうとは見えない、職務に忠実な人が・・・というパターンが多くてね」


「それとこれと何の関係が・・・・」


「自発的にそれを行なっていながら、それを覚えていないと言ったらどう思う?」


再び灰皿に灰を落とした冷泉は視線をしっかりと西峰に合わせた。


「どう言う事です?」


「そうだなぁ、じゃぁ、その机に置かれたコップの中の液体はなに?」


冷泉がタバコの先で彼女の横に置かれているコップを指した。


「えっと、水ですけど」


「そうだよ、水だね。それが水だと、どうしてわかるの?」


「それは透明ですし・・・えっと、水だ、としか・・・」


「確かにそれは水だけど、それが実際に水かどうか飲むまではわからない」


「えっと・・・どう言う事ですか?」


「つまりさ、水といっても、それが本当にただ単なる水かどうかということ」


「いや、水は水としか・・・」


「そう、水は水としかいえない。無色透明であって匂いがない。いや、水道水なら匂いがあるかもしれないけど水は水。透明な液体で飲むことができれば水であるとも言える。逆にその水に何か細工をされ、徐々に徐々に慣らされていったとしたら、それも水と認識できるよね」


「えっと、洗脳のようなものと言いたいのですか?」


「いや、そうじゃないよ。洗脳はね、とっても難しいんだ。それにそこまで改変はできないよ。孤月教団の連中はね、徐々に徐々にをすっ飛ばして、それをやってのける。しかも、記憶の隠蔽まで行えて自由にすることができる」


「そんなことってあり得ないんじゃないですか?」


「そう、普通なら有り得ないよね。でも、君が言っていた紙が問題になってくる」


「紙ですか?」


「そう、西峰さんは御呪い(オマジナイ)を信じるタイプ?」


妙なカタコトで冷泉が煙を吐きながらそう言った。煙が変わらずに漂ってゆく。


「御呪いですか?」


「そ、呪詛でも呪いでも何でもいいや。そう言ったものは現実に存在する」


「えっと、どう理解していいか・・・」


西峰は揶揄われているのか、本心で話をしているのか、分からずに戸惑った。


「ああ、まぁ、話半分に聞いておいてよ。水の話に戻るけど、飲んでいた物が突然、水でないとわかったらどうする?」


「それは吐き出します」


「うん、そうだよね。で、それをずっと飲んでいたことが分かったら?」


「それは・・・」


西峰は胃の辺りが気持ち悪くなった。それがもし、水でなかったとしてずっと飲んでいたなどと考えるだけでも悍ましくなる。


「言い換えれば、隠蔽されていた自身の過去を全て知ってしまったとして、その時、人は平然としていられると思う?」


「あ・・・」


「職務に忠実な人ほど反動もある。簡単に壊れてしまうこともあるんだ。そして、それを祓う紙は現実に存在していた、彼女はそれを見て事実を知った」


「でも、だからって人殺しまで・・・」


「もし、自身の秘密を知ってしまった時、それが自分自身の過ちを犯してしまったとき、そして、それが自分が最も嫌悪する行為であったとしたら?」


「え?」


「彼女の死んだ母親は、自宅で売春していたそうだよ」


西峰にはその言葉に思い当たる節があった。先輩との警邏で補導した際に彼女はその行為を汚らわしいと説教をしていた。


「その顔つきだと思い当たる節があるんだろうね」


「はい・・・。先輩、そう言った行為が大嫌いでしたから・・・」


「なるほど、引き戻されて、現実を見せられて、そして行為に及んだか、しかも、それは補導して以前叱り飛ばした少女からのきっと静かな罵声かもしれない。ああ、これほど惨めな事はないね。心が死ぬほどにね」


「心が・・・死ぬほどに・・・」


「そ、だから、心 死 や ど り に気をつけてってことかもね」


そう言って冷泉はタブレットをカバンにしまうと再びタバコに火をつけた。煙があたりを漂いながら揺れめてゆく。

最後に自分で言った言葉を反芻しながら西峰は気持ちを落ち着かせる為に珈琲へと口をつけた。

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