第7話


 やがて下船した一行のもとに、男ものの服を着た、眼帯の女が歩み寄ってきた。

 目元のシワや雰囲気から察するに、齢はルイン達より一回り上。

 しかし、野生の獣を連想させる精悍な顔立ちは、なかなかの美人であった。琥珀色の片目も若者のように生気に溢れている。しなやかな身体にも、加齢による崩れは見られない。


「何事かと思って来てみたら、まさかねえ」

 女は片方だけしかない猫目を細くした。

さとの人?」

 ザナはこっそり、ラトナに耳打ちする。

「そうです。あの方はマルダーさん。郷一番の魔女です」

「魔女!?」

 ザナの背筋がピンと伸びた。


 ……大戦争以前、科学よりも古い時代から人類を栄えさせた魔法。その技術は文明崩壊を経ても生き長らえていた。

 そして現在、魔法使いあるいは魔女と称される継承者達は、時には研究者として古の術を解き明かし、またある時には技師として活躍しているのである。


「坊や。魔女を見るのは初めてかい」

 マルダーは前かがみになって、余裕に満ちた微笑みを少年に向けた。はだけたシャツの隙間から、陽に焼けた素肌が見え隠れする。


「お、おう」

 ザナは視線を逸らさぬよう、硬くなる。

「おやおや。警戒してるんだい。安心しな。別に乳臭いガキに興味は無いよ」

「ガキ!? ば、バカにするんじゃあないぜ、おばさん!」

 顔を真っ赤にして怒り出すザナ。そんな彼を尻目に、魔女はルインの前に立った。

 そして一つしかない目で、じっとルインの顔を見上げ始めた。


 反応に困ったルインは略帽を目深に被り、つい顔をそらしてしまった。

「……こっちは色男だけども、何だか貧乏臭くてたまらんねえ。うん、ラトナには絶対近づけなくない手合いさね」

「なんだぁ、テメエ……!」

 ルインのこめかみに青筋が浮く。しかしマルダーはどこ吹く風で、男共を無視。ようやくラトナに向き直った。


「ウチのお姫様も、そろそろ男の価値を見定める訓練を始めた方が良いわね。それはさておき、お帰りなさい」

 魔女は姫騎士を抱き寄せると、優しく頭を撫でた。


「ただいま、マルダー」

 そう言うと、ラトナはマルダーの肩に顔を埋める。するとすぐに、くぐもった嗚咽が聞こえ始めた。

 先ほどまで怒り心頭だった男たちは、あまりの落差に戸惑い、困惑顔を見合わせた。


 ………


 しばらくして、船着場に一台の車輌がやって来た。

 牧歌的ともいえる郷の風景とは不釣り合いの、履帯付きハーフトラック。しかも乗ってきた男達は、色とりどりのキモノや野良着姿と、何とも奇妙な風体をしていた。


 そんな彼らに、ラトナは挨拶の言葉をかけて回り、その後でドレスをトラックに積む作業が行われた。


「派手に壊してくれたじゃあないか」

 マルダーは腕を組み、傷付いたドレスを遠目に眺める。

「ごめんなさい」

 ラトナはバツの悪そうに俯いた。それを見たマルダーはくすりと笑った。

「どうして謝るのさ。ドレスは傷付いてなんぼ。コイツらは傷つく事で姫騎士を守る。逆に姫騎士は、着ているドレスを壊してでも、無事に帰って来なきゃならない」

 そこまで言うと、魔女は姫騎士の頭に手を伸ばした。


「傷入れたぐらいでしょぼくれていたら、その服に見合う姫騎士にはなれないよ」

 マルダーの言葉に、ラトナははっとした顔を上げた。

「そうだわ、マルダー。服で思い出したわ。この服の事なんだけれども」

 ラトナは道中で手に入れた青い平服の事をルクスに話した。やがて魔女は合点がいったのか、指を鳴らした。


「へえ。まだ残っていたんだね」

「どういうことです?」

 ラトナが怪訝な顔で問う。

「アンタも知っているだろう。先代様は、懇意にしていた王都の仕立て屋に、外務用の服を特注していたって。その服を届けていたのが……」

「フローリン商会?」

「そう。あの爺さんは、特に先代様のお気に入りでさ。若い頃はよく郷まで来ていたよ。鼻の下伸ばしたスケベ猿だが、根っこは義理堅い、良い奴だったね」

「そ、それじゃあ、あのお爺さん。いつでもお祖母様に渡せるように、この服をずっと大事にとっていたの?」

「かもね。着心地に問題なければ、そのまま貰ってやりな」

「い、良いのかしら?」

「良いに決まってる。あの人も生きていたらこう言ってただろうよ……『道具は使われてこそ輝くものだ』って」

 そう言うと、魔女は気後れする姫騎士の背を、軽く叩いた。


 ……それから、ラトナ一行とドレス、それに郷の男達を満載したトラックが出発した。なだらかな坂道を、のんびり丘を目指して登る。

 積み込み作業を終えた郷の男達は、野良着を着崩したり、襦袢も脱いで褌一丁になったりして涼んでいた。荷台中が漢の臭いに包まれる中、ラトナはドレスの肩に乗り、ルンルン気分で郷の風景を眺めていた。


「なあ、魔女さん?」

 ザナ荷台からそっと、運転席のマルダーに声をかける。

「お姫さんを助手席にやった方が良いんでねぇの? なんつうか、その……」

 すると魔女はカカカと朗らかに笑った。


「紳士なんだねえ、坊やは。大丈夫、ラトナは慣れてるんだ、こういうの。なんたって子どもの頃から、土臭い男どもの中で過ごしてきたんだから」

 ザナは釈然としない面持ちでラトナを見直す。視線に気付いたラトナは、柔和な微笑みを返した。


「狭くて揺れが酷いけど、もう少し辛抱してくださいね、ザナさん。じきに屋敷ですから」

「お、おう」

 ザナはぎこちなく頷いた。


 ………


 やがてトラックは、小高い山と、丘ばかり連なる区画にたどり着いた。


「着いたよ。野郎ども、さっさと降りた」

 運転席から降りたマルダーが荷台を叩く。

「着いた? 建物なんて、どこにも無いぞ」

 などと言いながら、ルインも荷台から降りる。


「あるじゃないか」

 マルダーはニンマリ笑って山の斜面を指差した。よく見ると、斜面のあちこちに、四角い窓や煙突が付いていた。丘のふもとには、ぶ厚い扉まで備わっているではないか。


「まさか……」

 ルインは呆けた。どうやら国守の屋敷は土の中にあるらしい。

「洞穴に住んでいるのか、姫さんは。郷の奴らはしっかり一軒家持ってるっていうのに?」

 狼狽えるルインの反応が面白いのか、男衆達はニヤニヤ笑って眺める。そんな中で、ラトナは平気な顔で、ルインの背中を押した。


「どうしたんです、変な顔をして。さあ、早く屋敷に入りましょう」

 ラトナ達は、荷台から降ろされるドレスを後にして、入口を潜った。


 扉を抜けると、そこは広い玄関であった。

 磨かれた床板に丸太で組まれた壁、そして丁度良い間隔で置かれた家具類が、落ち着いた空間を作り上げている。

 ルインは呻き声をあげ、略帽を脱いだ。

 ここは本当に地中なのか。船乗りは玄関と開けっ放しの入口を何度も見比べた。


「お帰りなさいませ、姫様」

「よくぞご無事で」

 奥の廊下からゾロゾロと、小袖姿の女中たちがやって来た。


「ただいま。元気そうで何よりだわ」

「姫様、また背が伸びたのでは?」

「きっと今に天井を破ってしまうわねえ」

「もう、みんなったら。お客人の荷物をお願い。私たちはお父様に会いに行くわ」

 歓迎する女中達に荷物を預けたラトナは、皆を引き連れて階段状の通路を昇った。


「こちらが客間です」

 通された部屋もまた、玄関と同じく奥ゆかしい雰囲気に包まれた空間となっていた。


 そんな部屋で彼女らを待っていたのは、毛皮の陣羽織を纏った大巨漢と小柄な女性、そして物々しい空気を纏った、強面の家臣達であった。


(デケェ!?)

 最後尾のザナは瞠目して大巨漢を見上げた。少年は自らの目がおかしくなったのではないかという気さえした。


 来訪者を見下ろす岩の如き四角い顔。そんな顔を支えるのは大樹の根元のような首。胴体はビア樽並の厚みと幅を持ち、四肢は丸太といってもいいほどの太さがある。

 もはや人間の姿をしたヘビードレスだ。


 そんな規格外の巨人は、ラトナの顔を見るなり……。

「おお、愛しの娘よ!」

 鋭い三角の目から、大粒の涙をボロボロこぼし始めた。みるみる内に目尻は下がり、優しい目つきとなっていく。

 そして、娘に駆け寄って、太い豪腕で力強く抱きしめた。


「よくぞ帰ってきた!」

 抱擁はしばらくの間続いた。

 ルインはハラハラした。巨人の腕の中で、ラトナが窒息でもしているのではないかと。


 しかし、それは杞憂だった。

「お父様ったら大げさですよ。郷に居なかったのは、たったの三ヶ月とちょっとなのに」

 巨腕の隙間から、ラトナの元気な声が聞こえてきた。ルインは感動の再会が、永遠の別れにならずに済んだと、こっそり安堵した。


「そうよ、あなた。娘はわたし達が思っている以上に大人になっているんだから。いい加減、その腕から開放してあげなさい」

 小柄な女性もニコニコ笑顔で巨人の側までやって来た。彼女の背丈は少年のザナよりも低く、容貌も落ち着いた雰囲気に反して、少女のように若々しく見える。

「嗚呼、そうだな」

 彼女の言葉を受けて、父親は抱擁を解いた。

「ただいま戻りました、お母様」

 抱擁から解放されたラトナが小さな女性に向き直る。

(おいおい……マジ?)

 一連のやり取りを見守っていたルインは、灰色髪をボリボリ掻いた。

 巨漢はラトナの父、小さい夫人は母親らしい。何というアンバランス。


「お帰りなさい、ラトナ。さあ、立ち話もなんですから、奥にいらっしゃい」

 夫人はラトナの腰に手を回して、客間の奥座敷を指した。

「……それと、珍しいお客さま達も」

 振り返って、ルイン達に人懐っこい笑みを向ける。その無邪気な笑顔は、なるほど確かに娘そっくりであった。

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