第8話
「……ふむ。ゴレムの奇襲とな」
ラトナの父、リガーリェ国守ティーゲル・クワドリガは、深刻そうに唸った。客間の奥座敷、床全てを覆う大絨毯に場を移した姫騎士は、今回の遠征について振り返っていた。
派遣された中央の政情に、昨今の流行り。そして、話題が旅団を襲ったゴレムの話になると、場の空気は一変した。
「ゴレムは演習中だった旅団を、側面から襲ってきました。それからは悲惨でした。こちらに立て直す暇さえ与えず、特に自分たちの障害になるであろう装甲車や、ヘビードレスを優先的に狙っていたようにも見えました。
物憂げに話すラトナ。
「これまで出会ったゴレムの中でも、あの集団は戦術を理解していたように思えます。これから先は、ゴレム達も知恵を巡らせて、戦いを挑んでくるかもしれません」
同席するルインや家臣団は皆、身じろぎひとつしない。黙って、そして真剣に、ラトナの話に耳を傾けていた。
「……こんな辺ぴな田舎に現れるゴレム共は、どれも単純な動きばかり。それは工場が大した魔術回路を組み込まず、数ばかり優先して作ってきたからじゃ。そういう個体は、先を見越して撃破できる分、御し易かった」
ティーゲルの傍に座る老人が、モゴモゴと話しだした。頭髪は一本も無いのに、眉毛は目を覆うほど枝垂れており、口さえも白ひげで隠れていた。まさに白髪のお化けである。
「……しかし、姫さまの言うとおりになるとしたら、我々も郷の守り方をいま一度見直す必要がありますな。お
老人は顔を上げて、ティーゲルに伺う。返答を求められたティーゲルは、渋面を崩さずに首を縦に振った。
「フンメル老の言う通り。この郷の守りは、ドゥクスの腰抜け共や、炙り狂うカウナの大行進でさえ崩れなかった。それさえも通じぬ世となろうとは」
ティーゲルはやおら腕を挙げ、部屋の脇に控えていた歳若い小姓を呼び寄せた。
「各守備隊の指揮官に伝えよ。明日、軍議を開くとな」
小姓は一礼した後、すぅっと、音もなく部屋から出て行った。
「さて、ラトナ」
ギラリと三白眼を光らせるティーゲル。
「ドレスを壊してきたようだな。それもかなりの損傷だと聞いている」
鋭い目で刺された娘は、ビクリと肩を震わせた。
「そ、それについてですが、お父さま。これにはワケが……」
ラトナは上目遣いに父を見上げた。
「そうだぜ。姫さんは、たった一人で戦場に残ってさ、ドレスをボロボロにしてまで、味方を守ったんだぜ!」
ずっと黙っていたザナが割り込んできた。
(バカヤロウ!?)
ルインが慌てて肩を掴むがもう遅い。ティーゲルは、ギロリとザナに視線を移してひと睨み。
鬼を宿したような、凄みのある形相も加わって、ザナをたちまち竦ませた。
「だ、だからさ。少しくらいは大目に見ても良いんじゃあないかなってさ。だってホラ、メイヨの傷とか何とか……言わない?」
額に汗を滲ませて、ヘラヘラ笑って言葉を紡ぐ。精一杯笑っているつもりらしいが、頰はヒクつき、顔色も悪かった。
そんな少年をじっと見ていたティーゲルは、硬い膝を叩き、
「然り!」
と、声をあげた。あまりの声量にルインとザナは驚き、座椅子ごとズッコケてしまう。
「戦の傷は名誉の証、鎧の傷は戦士の誉。よもや我が娘がここまで立派に戦えるようになったとは、父は感無量である。故にラトナ、お前のドレスを此度の武勲の証として、この屋形に飾りたい。どうだ!?」
(怒ってないのかよ)
(むしろ喜んでやがる)
肩透かしを食らったルイン達は、へなへなと坐り直した。
そして父の提案に娘のラトナは何も言い返せず、ポカンと呆けるばかりである。
「おお。それでは、娘のドレスが無くなってしまう。急ぎ新調してやらねばならんなあ、ウラルや!」
国守は厳つい四角い顔を妻に向けた。
「そうねえ。でもこういう時って、ドレスの持主の口から、直に返事を聞いた方が良いと思うの」
ラトナの母、ウラルはゆったりした口調で言う。
「どうかしら、ラトナ?」
水を向けられたラトナは、遠慮がちにおずおずと顔を上げた。
「お気持ちは嬉しいのですが、ご遠慮いただきたいなぁ……と」
「何故に!?」
父が前のめりになる。
「恥ずかしいから!」
娘は被せ気味に答えを叫んだ。
「決まったようね」
ウラルは長羽織の袖で口元を隠し、優雅に笑ってみせる。
「……ねえ、魔女殿。娘のドレスは治るのかしら。またいつ召集が掛かるか分からないし、出来るだけ万全にしておきたいのだけれども」
今度はウラルが、マルダーに話の矛先をむけた。
「元どおり治してみせるけどさ。時間はかなり掛かるヨ。それにねえ、ヘッツァー?」
と、魔女は肩を竦めて傍の男に向いた。
ヘッツァーと呼ばれた傷面の無骨な男は、一礼の後、厳かに話し始めた。
「奥方様。残念ながら、郷のドレスは若の野盗討伐で、殆ど出払っております。残っているのは作業用と部品取り用、それに故障したものが数着ばかり」
「むう、それは難儀な話しじゃ。如何しますか、お屋形様?」
白髪お化けのフンメルは、眉を八の字に歪めて、ティーゲルに伺い立てる。
「……魔女殿にはこのまま、修理に取り掛かってもらう。仮にまたすぐ、招集を掛けてきたら、その時は可能な限り時間を稼ぐとしよう。その為に我らは、日ごろ政に精を出しておるのだからな」
ティーゲルが方針を述べた後、話はひとまず中断となった。その後の会談は一変して、終始和やかな雰囲気で続き、やがて緩やかに終わった。
…………
……数時間後。
「皆の衆。今宵は姫様のご帰還を、盛大に祝おうぞ!」
フンメル老が盃を高々と掲げた。すると大食堂中から歓声が上がり、大小様々な盃が持ち上がった。
会談が終わると今度は宴だ。
屋形の大食堂には、クワドリガの一族や家臣団とその家族達が集まり、大賑わいとなっていた。
それだけではない。食堂の外、山の斜面をくり抜いた大広間には、郷の住人達が大挙して集まり、小さな祭り会場のような様を示していた。
「たまげた」
擯席に押し込まれたルインは、あまりの盛況ぶりにア然としていた。
大皿には山猪の丸焼きから、見たこともない郷土料理、キャベツの酢漬けに、茹でたイモが山のように盛られてる。参加者達は思いおもいに料理をよそい、美味しそうに食べては、麦酒で胃に流し込んでいる。
「まるで祭だな」
絶句の域に達した衝撃を忘れようと、ルインは透明の酒を口に含んだ。そしてむせた。
「火酒か……?」
ルインは喉が焼けるような感覚に、顔をしかめた。彼が飲んでしまったのは、ヴィーカという、芋を原料にした蒸留酒だ。リガーリェをはじめとする北部地域で広く飲まれている。無味無色で、アルコール度数が高いのが特徴だった。
「いつもこんな騒ぎなの?」
ザナはラトナに質問する。料理の出来に満足しているのか、少年は既に何皿も平らげていた。
「いつもは家族だけで、ささやかにやるのだけれども。ここまで派手なのは、初陣から帰ってきた時以来じゃないかしら」
ラトナは困った笑みで答えた。するとグラスを手にしたマルダーがやって来て、姫の肩に細腕を回した。
「騒ぎたくもなるさ。いっときは、行方不明の報せが届いたんだからね。我らが姫さまの身を案じる輩が屋形に押し掛けてさ。いやはや、抑え込むのに大変だった。ま、すぐに無事だって続報が入って来たんだけどもね」
そこまで言うと、魔女はグラスをぐいっとあおる。中身はルインを苦しませたヴィーカであった。
「今日はその時の反動もあるんだろうね。こんなお祭り騒ぎになっちまった」
「あらあら。そこまで皆さんに心配をかけてしまっていたのね、私は」
ラトナの表情が物憂げになっていく。
「気になさんな。混乱する戦場じゃ、情報は錯綜するもんさね」
などと話していると、女中達がラトナ達のもとに追加の料理や酒を運んできた。
「おいおい、まだ飯を出すのか? こんなに贅沢してよ、明日からの食事は大丈夫なのか。食料庫、空になってねぇよな?」
一向に減らぬ料理の山に、ルインは呆れ半分に言った。
「旅人に心配されるほど、リガーリェはひもじくないよ!」
マルダーは腰に手を当て、豪勢に笑う。
「心配しなくて良いなら、もっと食うぜ」
と、ザナは串焼きを数本まとめて、
手元の皿に移した。
「ええ、たくさん食べて下さいね!」
と、ラトナは手を合わせて囃す。
「……なあ、船乗り。宴の最中に悪いね。話があるんだけど」
徐に魔女は片目を細めて言う。
「アンタに仕事を頼みたい。明日、連れて行って欲しいトコがあんのさ」
ルインはマルダーを胡乱げに見返した。
「場所は?」
「ここから北へ20キロ。谷の外れに街がある。そこで、ドレスの材料を調達したい」
ザナは食事の手を止めて、おそるおそるルインの反応を伺った。
船乗りは魔女を乗せたがらない。縁起を担ぎたがる彼らの間には、大戦争よりも大昔の時代から、そのような習慣が根付いているのだ。
「その距離なら報酬はコレだ」
ルインはぶっきらぼうに三本指を立てた。
「へえ、魔女の頼みを引き受けてくれるとはね、感心したよ。安心しな、リガーリェのクワドリガ一族は金払いが良い。それくらいはキッチリ払ってやる」
「そうです。今回のお仕事の報酬も、しっかり用意していますからね!」
ラトナが自信たっぷりの口調で言う。
「そのせいかな。しょっちゅう懐具合が寂しくなるんだよね。特にみんなの食費でさ」
「うう……」
冷やかし混じりの暴露にラトナはたちまち困り顔。一方のマルダーは、機嫌を良くして交渉を再開させた。
「そういう事もあってさ、今すぐ前払いできるのは全体の三分の一だけ。残りはお宅らの出立日までに払うってのはどう?」
「問題ない」
赤ら顔の船乗りが頷く。ヴィーカの酔いが回り出していた。支払う側の姫騎士も「よしなに」と快く返答をする。
「それじゃあ交渉成立。明日は大忙しだよ、みんな」
魔女は空いた二つのグラスにヴィーカを注ぎ、ラトナとルインに渡した。
「オレの分は?」
ザナが口を尖らせて割り込む。
「ガキはサイダーで我慢しろ」
と、ルインは少年の頭を軽く小突いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます