ふわりと風を感じた後

「浮かぬ顔だな」


 九一郎さんは昨日の報告が終わり、朝の占術が終わっても私の部屋でくつろいでいる。


「そなたの手柄でもある。嬉しくはないのか?」


 昨夜は、兵が目的地の手前で物の怪と遭遇し、取り逃がしてしまったそうだ。

 そして、その物の怪が何故かこの城を襲ってきた。そもそも、この城を目指していたのではという意見も出たらしい。

 地図上にタロットカードを置いて場所を特定する占いは、まずまず当たっていたということ。

 とにかくほっとした。


 さっきは城主様からもお礼を言われ、今回は褒賞金も用意された。

 物の怪退治じたいは、私は何の役にも立ってないから、実感が無いと言うか。

 それより、昨夜のあのことがどうしても頭にちらついて、まともに九一郎さんを見ることができない。


 そして九一郎さんは、私の気まずそうな態度を気にしている。

 彼は腕を組んでやれやれと言葉をこぼす。


「まあ、おおかた予想はついておる。あの物の怪、心を捕らえ生気を奪う陰湿な奴じゃ。……俺の姿で何をしたのかは知らぬが」


 あ……気づいてた。私はみるみる体温が上昇した。

 九一郎さんはそれを見てとると、ジト目になった。そして視線をそらす。


「糞、あの化け物め。楽に死なせるのではなかった」


 忌々しげにそう漏らしていた。

 巫女守としての責任感とか、正義感なのかな。そんな風に怒ってくれるのは。

 それとも……


 彼は胡座あぐらをかいたまま背筋を伸ばし、気持ちを切り替えたように私を見据える。


「よし、もういっそ、嫌な思いをしたこの顔、殴ってみるか? そなたの気が晴れるなら何をしても良いぞ」


 た、確かに、やり取りできるのは彼しかいないのに、いつまでも引きずる訳にいかないよ。モヤモヤしたままは、嫌だ。

 ──『気になること』は、ちゃんと聞かなくちゃ。


 私はしどろもどろになったけど、白状した。夢で、呪いを解けば元の世界に戻れるからと、九一郎さんに身体を──迫られたことを。


 彼は絶句していた。


「あ、あの、あなたが、実際にそんなことをする人とは、思っていません。ただ──」


「あ、当たり前じゃ! そんな卑劣なまね──」と激昂しかけた彼は、感情を飲み込み、顔を片手で覆うと大きく息を吐いた。


「ああ……いや、すまぬ。そなたの不安は最も……か」


 そして手を外した時には、気を静めて覚悟を決めようとしているようだった。

「そなたに伝えていないこともある。順に話そう」と、彼は語り始める。


「はじめに、以前言った通り呪いの解き方は知らぬ。札巫女が元の世に戻る方法も知らぬ。戻ったなど、聞いたことがない」


「やっぱり、そうですか」と私は声を漏らす。所詮は物の怪の見せた夢。全部嘘なんだ。

 九一郎さんは言葉を続ける。


「実は、先代巫女が他に書物など残していないか確認しておる。占術の参考になればと思ったが。優れた巫女だったからな……呪いのことも何かわかるかもしれん」


「そう……だったんですか、助かります。ありがとうございます」


「しかし、元の世に戻りたいのも当然。家族にも会いたいだろう。この世は言葉も通じぬ。不便もなにも、寂しかろうな」


「仕方の無いことは、私も考えないようにしてます。言葉が分からないのは大変ですが。さくさんやサキガケもいますし……九一郎さんも……居てくれるので」


「ああ。さくは、札巫女の護衛のためにと鍛錬を積んできた。信用していい。あの通り表情があまり無いのは、感情に左右されぬよう訓練をうけたからだろう。俺は、巫女守として、女に怒鳴りつけたりせぬようしつけられてきた。そして……」


 九一郎さんはおもむろに語り出す。それは、私が思うよりも私は守られているというものだった。


「巫女守人は、札巫女を私利私欲に利用できぬよう、心得や法度はっとがある。仮にそなたを傷ものにでもしようものなら、俺は腹を切る、父上も只では済まん」


「え」かすれた声が出てしまった。


「サキガケもな、あれは未通女処女の尻が好きらしい。つまり、俺が巫女に手を出したらすぐにわかるぞ、という脅しでもある。父上の差し金だな。俺はさくに、山犬を寄越してもらえるなら雌をと要望したのみ」


 う、うそ……恥ずかし……。処女って、そりゃそうだけど。

 あのかわいいサキガケが来た理由も、ショックだけど。

 ──それよりも、理解できなかった。何故そこまで厳しい罰があるのか。城主まで、罰せられるのか。


「札巫女が身ごもる間、占術が出来なくなるらしい」


 そ、それで……?


「あと、もし……札巫女が」と、九一郎さんは、何故か言いにくそうに言葉を紡いでいった。


「巫女守人と……子をつくると、だな。子と会話が出来るらしい。それでますます、巫女守人やその家が、札巫女の力を独占することになる。それを嫌がるんだろう……ましてや俺たちは分家」


 こ、ども。

 かなりつっこんだ話、だ。


 分家と本家というのがあるらしい。本家の当主が、国主としてこのあたり一帯を取り仕切っていて、このお城の城主は臣下のような扱いみたい。

 同じ名字でも、兄弟でも、力関係があるんだ、良くわからない。

 巫女と巫女守はどうしても男女2人で行動するため、とられた策、らしい。

 九一郎さんは、『だから安心してくれ』と言う。


 安心。安心……?

 私はただ、『この先いつか彼と結ばれることがあったなら、元の世界に戻ってしまう』のかと。それが怖くて確認したかっただけで。


「もう嫌なことは忘れると良い。俺は何も出来ぬ身。現実には起こらぬ」


 そう言葉を続けた彼の顔は、これで解決するという安堵とも、吹っ切ろうとする表情とも思えた。


 それでさらに胸のつかえが苦しくなって。


「そんなの……嫌です」とポロっと出た。


 九一郎さんは、聞き間違いかと思ったようだ。

 少し間を置き、確かめるように「なにが、か?」と呟く。


「九一郎さんと結ばれることがないなんて……やだ……」


 だったら帰りたい。こんなところ辛いだけだ。

 どうしてこんなことに……。

 抑えようとしても、涙があふれてきた。


 下を向いていると、衣擦れの音と、床をこする音が近づいてくる。

 そしてふわりと風を感じた後、私は抱きしめられていた。


「すまぬ、追いつめてしまったか。まさか……そのような言葉が聞けるとは、思わなかった」


 九一郎さんは少し身体を離すと、喜びを噛みしめるような笑顔を見せる。少し躊躇ちゅうちょしつつも、私の頬をつたう涙を指でそっとぬぐう。


「ずっと、こうして触れたかった。俺もそなたと結ばれたい。初めて見たときから、ずっとそなたを想っていた」


 そして、まだぼんやりしている私にむかって、力の宿った目で呼びかけるよう彼は言う。


「俺たちにも『道』はある。心配せずともよい」


「み、ち……?」


「ああ。実はもとよりそのつもりでいた」


 彼は、その『道』を明かしてくれた。


 それは、本家に忠節を尽くすこと。

 つまり九一郎さんは、戦で武功を立てる。私は災害予知の占術を続けて成長し、斉野平の他の領土も守れるようになること。

 本家当主の国主様にそれを認められれば、札巫女と巫女守人は婚姻が結べると言われた。

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