エピローグ

 正美お姉ちゃんのアパートで一緒に暮らすようになって、数週間。お姉ちゃんは、ぼくをおそれるようになってしまった。お母様の時みたいに。しかたないな。ぼくの原型はなくなってしまったから。あの時、怪異を自分の体の中に無理やり封じ込めたことで、爪も髪も身長も異常に伸びた。お姉ちゃんに整えてもらったけれど、言葉は話せないままだ。


 いつか、彼女も立ち去ってしまうのだろうか。ぼくの愛を知らずに。


 口が効けないままのぼくは、紙に文字を書くけれど、マジックが画用紙をすべる音でさえ、お姉ちゃんは震えてしまう。


 せっかくこの生活を手に入れたのにな。


『もう、いいよ』


 お姉ちゃんは、ぼくの字に首をかしげる。


『自由になって。どこへでも行っていいよ。ぼくなら、大丈夫だから』


 できうるかぎりの笑顔を見せた。嫌々と、首を左右に振る仕草は、昔のぼくに少し似ていた。


 ぼくは、おくびょうだった。気づかないフリをしていたせいで、たくさん失ってしまった。お父様も辰宮のお兄ちゃんも、無事発見された。お父様からは、体の半分の自由を奪ってしまったけれど。


 ぼくは、リュックサックの中から一万円札が百枚束ねたものを三つ取り出した。お姉ちゃんに、それを差し出す。この場所を取り上げてしまったせめてものつぐないの気持ちだった。


 いらない、と首を振るお姉ちゃんの手に、乱暴に手渡した。


「こんな大金……」


 いいんだ。全部、汚れたお金だから。お父様が集めた、汚いお金なのだから。


 お姉ちゃんがこれから生きていくためには、これでも少ない方だ。だから。


 最後に、ぼくのわがままをさせて。


 ぼくは、お姉ちゃんの青白い頰に口付けた。お姉ちゃんは驚いていたけれど、泣きながらありがとう、と告げた。


 それから二人で、手をつないで、いつもみたいに深い眠りについた。


 お母様の夢を見た。どこかでしあわせにしているお母様の夢を。これも、陰陽師の力のなせる技なのかな?


 目が覚めたら、お姉ちゃんはいなくなっていた。画用紙には、ありがとうと書かれてあった。


 さようなら、お姉ちゃん。しあわせになってね。これからはたくさん笑えるといいね。たくさんの愛情をわけてくれてありがとうね。やさしい人と出会ってね。牛丸さんは、本当にごめんね。


 ぼくという鳥籠の中から出て行った正美お姉ちゃんへ想いを馳せる。どうか、いつまでも笑顔でいてください。


 おしまい

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

怪異なるものへのレクイエム 春川晴人 @haru-to

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ