第29話 楽天家
お高いお肉を持って、質素な造りのおじさんの家へと向かう。以前は神社の片隅で生活をしていたらしいけれど、本物の陰陽師がいたのでは、一般客が萎縮してしまうとかなんとか言われて、この家に住むことになった。
その頃はまだ、おじさんには綺麗な奥さんがいたんだけど、いつの間にか離婚していたんだよな。
そういえば、息子の博雅くん、元気にしてるかなぁ? おれ、もっとたくさん肉買っておけばよかったんじゃないかなぁ?
壊れたインターフォンを押すけれど返事はない。あかりはついているけれど、なんなら人の気配もない。
やんちゃ盛りの男の子がいれば、普通は障子が破れたり、窓が割れていたりするものだけれど、さすがは陰陽師の末裔、大人しく暮らしているんだな。
おれはスマホを取り出しておじさんにかけた。
『玄関はあいているから入っておいでよ』
おじさんにそう言われて、玄関の扉を横にひきながら一歩だけ入る。瞬間的に、なんと形容したらいいのか分からないような嫌な気分になってしまった。
「どうぞ。よく来てくれたね」
そう言っておじさんは、黒い服に身を包んで、白いエプロンをしていた。
「新妻みたいじゃないですか」
「そうそう。よく言われるよ」
嫌な感じはもうなくなっていた。なんだったのだろう?
「おじさん、肉買ってきたよ。博雅くんは元気?」
一度歩みを止めたおじさんは、笑顔のまま振り向く。
「いゃあ、実は博雅入院しているんだよ。なんて言ったっけ? ほら、胃腸炎!」
「あー、それは残念。いい肉買ってきたんだけどな」
「退院祝いにまた買ってきておくれよ」
「いいですよ」
おじさんはなぜだか鍋の用意をしていた。肉のない鍋。まるでおれが肉を買ってくるのがわかっていたかのような手際の良さに、少し震えた。
「どうした? 寒いかな?」
「ううん。あ、今度生活安全活性課に移動になっちゃったんですよ。で、ああ、内部機密だ」
うっかり怪異なるものの話をしそうになって、口をつぐんだおれを、やっぱりにこにこしながらおじさんが笑いかけてくる。
「そう言えば最近、港に変なものが出るんだって噂で聞いてね。いよいよわたしの出番かな、なんてわくわくしちゃってるんだ」
「おじさんは非常識な状態が好きですものね」
でも、おじさんの方から怪異なるものの話を振られるとは意外だったな。それでも話さないけど。
「混沌はおもしろいよ。わたしの欲望を満たしてくれるのだから」
「おじさん、そんなことばかり言っていると勘違いされますよ?」
「勘違いか。そうなのかな?」
はたして、おじさんはなにを知っている? 仕事柄、怪異なるもののを知っているとしても不思議じゃない。でも、なんだろう? さっきからおじさんの周りを血の匂いがまとわりついているような気がする。おじさんは、自分では肉を買わないのに、おかしいな。
「きみもあるだろう? 周りから理解されないような趣味嗜好が。わたしにとってのそれが、たまたま人間の阿鼻叫喚だったりするわけだけど。だから、この仕事はとっても向いているのだよ。だって、人が苦しむところを間近で見られるわけだからね」
「わかった。おじさん、ひょっとしてもう酔ってるんでしょう? ワインの匂いがしますよ」
「あっははっ。バレちゃったか」
そう言って、おれのグラスに赤ワインがそそがれる。なんだろう? 甘い匂いがする。
一口飲めば、やさしい甘さに意識を持っていかれそうになる。美酒とは、こういう酒のことを言うんだろうな。
でも、おかしいな? やたらに酔うのが早くないか?
「大丈夫ですよ。最初はちょっとこわいかもしれませんが、慣れれば快感を得られます。どうですか? 自分を解放してみませんか?」
おじさん? なにを言っている?
つづく
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