第1話 手相占い『レディ・S』

 ここは、手相占い『レディ・S』。その二階に間借りしているおれは、レディ・Sことこの店の主人である澄子すみこに声をかけた。


「おつかれ」

「おつかれ、牛丸ちゃん。今日もいい男ね」


 貼り付けたようなこの笑顔。美人だが、油断がならない。二階へは一階を通らせてもらわないと行くことができない。いわゆる外階段なんて存在しないのだ。


「どう? 今日暇だし、一杯やる?」


 澄子はお猪口をあおる仕草をして見せて、けらけらと笑う。


「いや。仕事中だし、忘れ物取りに来ただけだから。それに――」


 自分でその言葉を口に出すのは気がひけるが、澄子の毒牙から身を守るためには必要な言葉だ。


「イケメンのことは信用してないんじゃなかったのか?」

「うっふふっ。牛丸ちゃんだったら、アリかもしれないわよ? どう? お試しで」

「お断りだな」


 おれは足早に階段を登った。よりによって、資料を置き忘れるなんて失態、あり得ない。なぜなら今日は、満月の夜だからだ。


「あった」


 おれは、机の上に置きっぱなしにしていたUSBをひったくるようにつかみ取り、背広のポケットにしまい込む。


 駆け足で階段を降りると、獲物を狙うような澄子の笑顔と向かい合う。


「悪い。急いでいるから、そこ通して」

「うっふふーん。今度は一緒に飲んでよぉー!!」


 含み笑いの澄子を避けて、外に出る。ああ、なんて綺麗な満月なんだろう。


 おれは、怪異が出そうな港へと走り出した。


 ✴︎ ✴︎ ✴︎


「クビ、ですか?」


 信じられない思いで上司の顔を見れば、トカゲの尻尾切りなのだとすぐに悟る。


「クビってワケじゃないんだねどねぇ。左遷かな? うちとしてはね、牛丸ちゃんを買ってるんだけどね。上がね。どうしても辰宮さんちのおぼっちゃまを出世させなさいってせかすもんだから」

「……はぁ」


 そうは言っても納得できない。おれ、なにか失敗したっけ?


「いやね、こっちも辰宮さんのおぼっちゃまを出世させるにはどうすればいいのかな、なんて考えてもいたのよ」


 二回言う。つまりはまぁ、辰宮を出世させるためのところてん方式でおれを放り出すってことか。


「それでね、今後なんだけどぉ。牛丸ちゃんは新しくできた部署で働いて欲しいと上から言われててさぁ。ほら、牛丸ちゃんたしか、おじいさんが宮司さんだとかだっけ?」

「そうですが。それは、おじ側が引き継いでくれております」

「うんうん、わかってるのよ。そうじゃなくてさぁ、霊感っての? あるんじゃないかって、上が言うのにはさ」


 あるか、そんなもん。


「それで、表向きは『生活安全活性課』なんだけども。本当は、まぁ、あれかな? 直接行って、話を聞いた方がいいかな? とりあえず地下二階の『生活安全活性課』に行ってくれないかな? ぼくからはこれ以上は言えないんだよ」


 えへへと笑うこの人も、いつの日か辰宮のために押し出されるのだろう。有力者の息子として生まれてきたと言うだけで、この扱い。まったく納得ができないものの、机に置かれた段ボールに私物をつめていく。


「あれ? 牛丸さん、移動ですか?」


 そこへ、なにも知らない風な辰宮があらわれた。いいさ。上からの圧力ってだけで、こいつに罪はない。たぶんな。


「ああ。『生活安全活性課』へ移動になったんだ」

「へぇ? そんな部署ありましたっけ?」


 いいんだ。こいつに罪はない。でも、ヘラヘラするな。


「じゃ、お世話になりましたっ」


 移動に備えて、私物はなるべくたくさん置かないようにしていたのがさいわいした。おれは、逃げるように段ボール箱を抱えようとした。その手を、辰宮がさえぎる。


「持ちましょうか?」

「お気持ちだけで結構です」


 素っ気なくいうと、そそくさと出て行った。エレベーターに乗るまで、辰宮が付いて来やしないかいらだった。あいつのせいで今の仕事を追い出された。あいつのせいで。


 いや、違う。今度のことは、公私混同したおれが悪いのか。


 脳裏に、先月まで同棲していた彼女の顔が浮かぶ。正美まさみ。どんな時も正しくありたいと願う彼女らしい名前のその人は、今はどこにいるのかもわからない。


 どうやら、連続女性失踪事件に巻き込まれているらしいことまでは突き止めた。だが、これといった手がかりがない。


 おれは、彼女たちが最後に会ったらしいという占い師の『レディ・S』こと澄子の職場の二階に部屋を借りて、様子を伺っている。だが、どうやらそのことがバレたらしい。


 告げ口したのはおそらく辰宮。


 正美、どうか無事でいてくれ。


 つづく




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