第30話 過去と能力


「感想が正しいかどうか、そんなことはどうでもいい。お前には誰にも見えていない世界が見えている、そう思ったんだ。

 俺も見える人間だと思ってた。おかげでクラスでも、みんながどう思ってるか、どう望んでるのかを感じることも出来たし、それなりに信頼もされていた」


「君の人間観察の能力は、誇っていいと思うよ」


「でもお前は、俺が見えないものまで見えていた」


「買いかぶりすぎだよ。僕にそんな能力」


「いいや、あるね。現に今だって、お前はずっと考えてる筈だ。俺が何を言いたいのか、何を望んでるのか、何に悩んでるのかって」


「それは……いやいや、普通のことだろ? みんなそうして相手のことを考えて、関係をいいものにしようと思って」


「そう言えるお前だから、俺は勝てないと気付いたんだよ。今お前、みんなって言ったよな。でもな、黒木。人ってのは、そこまで相手のことを考えて生きてる訳じゃないんだ。どちらかといえば、どうやって自分の気持ちを伝えようか、そればかり考えてるものなんだよ」


「そう……かな」


「ああそうだ。それに普通の人間は、お前みたいな生き方をしてたら疲れてしまうんだよ。人のことばかり考えて、言葉の裏を探ろうとして、本心を見抜こうとして」


「……」


「俺と一緒に、飯を食いに行くとする」


「飯……う、うん」


「俺は肉が食いたいと言った。お前は蕎麦が食べたい。お前ならどうする」


「……肉を食べに行くと思う」


「だろ? でもな、普通は自分が食べたいものを勧めるんだよ」


「そうなのかな」


「ああそうだ。かくいう俺もそうだからな。そしてお前は思う。蕎麦が食べたかったけど、相手が嬉しそうだからこれでよかったって」


「……確かにそうかも知れない。蕎麦を食べられたとしても、僕はずっと気になっていると思う。本当にこれでよかったのか、肉にした方がよかったんじゃないかって」


「それがお前なんだよ、黒木」


「変な感じだけど、褒められてるのは分かるよ。ありがとう」


「お前はそういうことの積み重ねで、必要以上にストレスを感じてる筈なんだ。でもお前は、それで構わないと思ってる。このストレスは、相手の笑顔を損なうことに比べたら大したことないって」


「食べ物の話が、随分大きな話になったね」


「まあこれは、あくまでも例えとしての話だ。何が言いたいのかって言うと、そんなお前に俺は勝てないってことなんだ」


「……」


「ほとんどの人間がストレスに感じてしまう生き方を、お前は当たり前のこととして受け入れている。どうしてそんな生き方が出来るのか……お前自身も今、考えたこともないって顔で聞いている」


「そうだね、今君に言われてても、ピンとこないというか」


「お前、中学時代にいじめられてたそうだな」


 言葉が放たれると同時に、蓮司れんじの脳裏にあの頃の記憶が蘇ってきた。


「結構酷かったって聞いてる。初めは嫌がらせ、それが徐々にエスカレートしていって、殴られることもあったようだな。

 そんな生活が三年も続いた。学校という存在が、ある意味お前にとっては地獄と同義だった」


「……」


「そんな中で身に着けた能力が、それなんだよ」


「……あんまり嬉しくないね、そう言われると」


「そうだな。他人から理由もなく尊厳を踏みにじられる。自分に落ち度があるのなら、改善していけばいい。でもほとんどのいじめに、理由なんてものはない。ただ気に食わない、いじめていると楽しい、そんな幼稚な発想から生まれた犯罪行為だと俺は思ってる。

 そしてお前には、逃れる術がなかった。環境を変えない限り」


「そういう意味では、高校生になって願いは叶ったね」


「そうだな。同じ中学のやつ、お前をいじめてたやつもいただろう。でも高校生になって、やつらの意識はお前から離れていった。お前をいじめて笑ってるより、自分の高校生活をいいものにしたい気持ちの方が大きくなっていったんだろう。

 高校デビューってのは、いじめられてたやつだけが持ってる願望じゃない。みんな新しい自分になりたい、楽しい高校生活にしたいと思ってるんだ。まあ、いじめられてた当人からすれば、納得のいく解決方法じゃないだろうけどな」


「どんな理由でもよかった。反省や謝罪を求めようとも思わない。望んでいた平穏な日常が現実になった、それだけで僕は満足だった」


「でも、お前自身の能力は残った。周囲の空気を感じようとするその能力は、何物にも代えられない財産になった。

 そして尊厳を貶められ続けたお前、誰よりも痛みを知っているお前は、この世界で一番優しい人間になった」


「評価してくれるのは嬉しいけど、それは僕が望んだものではないよ。それに僕は……普通でありたかった。平穏に生きていきたかった、それだけなんだ」


「そうだな、確かにお前が望んだものじゃないと思う。ただ俺は、暴言と分かってあえて言わせてほしい。そんなお前に憧れた。羨ましく思った」


「どこに憧れる要素があったんだい? 僕にとってそれは、決して思い出したくない過去であり現実なんだ。僕の心の奥底には、あの時のことが鮮明に刻まれている。

 今でもたまにある。あの頃のことを夢に見て、汗びっしょりになって目覚める。しばらく呼吸もままならなくて、心の底から怯えている自分に気付く。怖い、逃げたい、もう嫌だ……こんな世界から消え去りたい、そう思ったこともあるんだ」


「だから暴言と言わせてもらった。お前の気持ちそっちのけでこんなこと、申し訳ないと思ってる」


「君には見ることのなかった世界だ。陽の当たる場所にいて、周りの人間はいつも君に温かい視線を送っている。羨望と言ってもいい。

 そんな君には想像も出来ない醜悪な世界を、僕は覗いてきた。そしてその世界に、いつまた引きずり戻されるかもしれない。そんな恐れを抱いたまま、僕は今日まで生きてきたんだ」


「かもしれないな。でもお前は、今日まで立派に生きてきた。それはお前の強さだと思う。そして……すまない、勝手なことを言って。望むことなく身に着けた能力のこと、羨ましいなんて言って。憧れはあっても、その為にお前がされてきたことを経験する、俺にそんな度胸はない」


「……」


「でも……それでも俺は、そんなお前が羨ましかった。どうしてか分かるよな」


花恋かれんのこと、だよね」



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