第17話 激しい感情


「難しい問題だよね、本当」


 紅茶を入れ終わると、花恋かれんはウイスキーを数滴落とした。


「私、お酒飲めるようになってるんだ」


「え? ああ、これね。まあ、付き合い程度には飲めるようになったよ」


「やっぱり10年って長いんだな。蓮司れんじさんもビール飲んでたし、それだけでも大人って感じがします」


「こんなの、全然大人じゃないよ。大人の振りをしてるだけ。中身は全然成長してないんだから」


 そう言って紅茶を口にする。


「さっきの話。れんちゃんが私たちのことで、色々動きたいってやつ」


「はい」


「いいと思うよ」


「いいんですか?」


「昔の私なら、きっとそうするって思った。まあ、お節介がすぎるとも思うけど……でも自分のことだからね。れんちゃんのしたいようにしてみるのも、ありだと思う」


「ありがとうございます」


「結果は覆らないけどね」


「……」


 そうつぶやいた花恋かれんの言葉に、れんの心が少し痛んだ。


 でも構わない。

 私はきっと、その為に来たんだ。

 何もせずに戻ったら、後で必ず後悔する。

 そしてそれは、私とれんくんの未来を決定付けることにもなってしまう。

 それは嫌だ。

 私はれんくんと、これから先も一緒にいたい。

 だから私は動く。そして変えてやるんだ、この未来を。





「私たちの心が離れていった理由。あいつが言うように、小さなすれ違いが重なっていったってのもあると思う。でも私にとって、それは大した問題じゃなかった」


「何かあるんですね」


「多分、蓮司れんじの方にもね」


「……」


 やはり蓮司れんじさんにも、何か隠してることがあるんだ。れんが小さくうなずいた。


「私にとって一番の理由。それはね、あいつが夢を捨てたことなんだ」


「え……」


 意外な言葉に、れんが思わず声を漏らした。

 れんはこれまでも、れんの夢を応援してきた。

 夢を語るれんの横顔に見惚れ、叶うことを願っていた。

 しかし今日、蓮から夢を諦めたと聞かされた。

 その事実は、れんの心を大きく揺さぶった。

 そして今、10年後の自分の口から、二人の関係にひびが入った理由がそれだと言われた。

 れんは混乱した。


「あいつはどう言ってたのかな、夢を捨てた理由」


蓮司れんじさんは……夢を捨てる勇気も必要なんだって言ってました。夢を夢と理解して、現実に生きる。それが大人なんだって」


「何それ。あのバカ、そんなこと言ったの?」


 呆れた口調で吐き捨てる。


「……まあいいわ。あいつね、就職活動を始める頃に、新人賞に応募してたんだ」


「……」


「何回目の挑戦だったかな。それまで何度も出してた。でもいつも、一次選考にも残らなかった」


「一次にも……ですか」


「うん。でもね、私はあいつの書く物語が好きだった。今は認められなかったとしても、書き続ければいつか認められる、だから頑張って欲しいって思ってた。結果を見て落ち込むあいつを、私は励ました。次があるよ、次はきっといけるよって」


「きっと私も、同じことを言うんだろうなって思います」


「だってあいつ、小説の話になると本当に楽しそうだったから」


「それに幸せそうで」


「そうそう。いつもは口下手で、何言ってるのか聞き取れないぐらいぼそぼそ喋る癖に、小説のことになったら別人みたいにテンション上がって」


「今でもそうです」


「あははっ、懐かしいなぁ」


「本当、れんくんの為にある夢って感じで」


「あははっ……」


「……花恋かれんさん?」


「でも結局、その時も結果は出なかった」


「……」


「まあでも、仕事をしながら挑戦する人、この世界にはたくさんいる。私はそんな蓮司れんじを支えていきたい、そう思ってた。でもあいつ、言ったんだ。『花恋かれんとの未来の為に、僕は夢を諦める』って」


「私との未来……」


「これからは地に足付けて、花恋かれんの為にも就職活動頑張るって。笑顔でね」


「……」


れんちゃん、同じ赤澤花恋あかざわかれんとして聞くよ。れんくんからそう言われたらどう思う?」


「私は……」


「腹立たないかしら」


「え?」


「私の為に夢を捨てるって言ったの。どう? 腹が立たない?」


「腹が立つ……と言うか、ショックって言うか」


「まあ、今のれんちゃんならそうなるのかな。何しろれんくんのこと、好きで好きで仕方がないんだから。そのれんくんから、自分の為に夢を捨てるって言われたら、ひょっとしたら感動して、泣きながら抱き着いたりするのかもね」


「そんなこと……でも、ちょっと嬉しいかもしれません」


「格好いいよね。好きな女の為に夢を諦める。現実を直視して、二人の未来の為に生きる決意をする」


「……」


「でもね、それっておかしくない? と言うか、私は卑怯だと思う」


「卑怯……」


「あいつはね、自分の限界に気付いてたの。物語を書くのは好き、でもプロとしてやっていくだけの力はないってね」


れんくんが、自分の限界を」


「でもね、それは別に構わない。頑張ったから、努力したから叶う、そんな甘い世界じゃないことぐらい、私だって分かってる。

 自分の限界に気付きました、だから諦めることにしました。それなら別によかった」


「じゃあ、何が駄目だったんですか」


「言った通りよ。私の為に諦めるって」


「あ……」


「あいつはね、夢を諦める口実に私を使ったの。私の為に捨てるって言ったの。それっておかしくない? と言うか私のこと、何だと思ってるの?」


「そんな……れんくんが、私の為って言って……」


「聞こえはいいよね。他の人が聞いたらこう言うんじゃないかしら。『夢を諦めてまで、彼はあなたとの未来を選んだ。そんなにも愛されてるなんて、花恋かれんは幸せね』って。ふざけんなってば!」


れんくん……れんくん……」


「いつかあいつは言うんだよ。僕には昔、夢があった。でも僕は、花恋かれんの為に捨てたんだって。

 そしてあいつはそう言うことで、私に鎖を巻き付けるの。お前の為に夢を捨てた僕を、これから一生愛していけってね。誰も望んでないから、そんなこと」


 感情を吐き出す花恋かれん

 その瞳は微かに濡れていた。



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