第2話  脳天かち割り丸



「お嬢様は天才ですな」



 頭を白髪で覆った老人が興奮した様子で言いました。ヴィドゥキント公爵がアンジェリークのために雇った剣術指南役です。名はゲルト、ザクセン領騎士隊へと入隊して腕一本で出世し、一代限りではあるものの男爵を叙位されました。公爵の剣の師でもあります。


 騎士隊を引退し教導をしていましたが、そろそろ完全に引退しようかと言うところで公爵が声をかけたのです。



「本当に初めて剣を握ったのかと思うほどにしっかりと構えられ、美しい太刀筋で振り下ろされるのです。初めてであの振り下ろしは数百年に一人の逸材です。その上で、振り下ろすたびに矯正されていくのです。ただ、あれは剣よりも太刀が合いそうでしたが」



 現世では初めてでも前世では二〇年以上、ほぼ毎日欠かさずに何百回と繰り返した動作なのでしっかりとしていて当然でした。体の違いを確認するための動作だったので調整しつつの振り下ろしでした。事情を知らなければ天才と思って当然でしょう。



「身体強化魔法の才も飛び抜けています。並の者であれば筋肉が引きちぎれるほどの強化を当たり前のようにこなすのです」



 身体強化魔法は全身に魔力を行き渡らせる必要があります。アンジェリークはそのイメージとして全身を循環する血液と血管を意識したのですが、それが上手くはまったのです。



「そうなると体力と筋力が残念ではありますが、これは時間をかければどうにでもなります」


「そこまで鍛えさせるつもりはないのだがな……」



 神妙な面持ちで聞いていたヴィドゥキント公爵が困ったように言いました。アンジェリークに指南役を付けたその日の夜にゲルトが押しかけてきたのです。



「何を仰る! あれだけの才能鍛えぬ手はない! 最後の奉公と思って来てみればなんという僥倖! まだまだ引退などできぬなこれは!」



 年を取って丸くなっていたはずのゲルトが鬼と恐れられた頃の口調に戻っています。



「……言っておくが、学園入学までだ。もしくは、娘が止めると言ったらやめだ。どれだけ才能があろうとあの子には武を求めてはいない」


「二年あれば十分だ。国一番にしてやれる」



 ニヤリと笑うゲルトにヴィドゥキント公爵は大きくため息をつきました。



 そんなやりとりのあった翌日の早朝、日の出とともに起きたアンジェリークは木剣を振っていました。前世とはいえ三十歳近くまでやり続けた習慣だったので、思い出すと素振りをせずにはいられませんでした。 


 着ている服は姉のお下がりの、乗馬服を元に作った運動服です。公爵令嬢が何故お下がりかというと、新しく仕立てた物が届くまで普段着のドレスで素振りしようとした為です。悲鳴を上げて止めようとするメイド長が苦渋の決断をしました。足下まで隠れるドレスは袴みたいに足運びが隠せるからいいのにとアンジェリークは思いましたが、取り乱すメイド長を見て口には出しませんでした。


 五十回ほど振ったところで木剣を鞘に戻す動作をし、素振りを終えます。



「我ながら、体力がなさ過ぎる……」



 疲労でぷるぷると震える自らの腕に顔を顰めました。身体強化を使えばまだまだできるでしょうが、それでは筋力、体力が鍛えられません。


 素振りを終えたアンジェリークにクララがタオルを手渡してきます。流れ出る汗を拭い、クララに返すとアンジェリークは言いました。



「では行ってきます」


「……どちらへ」



 クララが返事をする前にアンジェリークは駆け出し、二メートル半はある塀を蹴り上がって外へと飛び出していきました。


 あまりにも唐突なアンジェリークの行動は誰も止められませんでした。


 屋敷から飛び出したアンジェリークはそのまま屋敷のある都市を駆け、衛兵が止めようとするのを身軽さで振り切り、街道を駆け抜けて近くの森までやってきました。


 ザクセン公爵領には他の領や他国にまで跨がって広がる巨大な森、通称黒の森が存在します。黒の森の周囲は実り豊かになる事で知られていますが、反面森の中からは魔物が現れ、さらには盗賊達のねぐらまで存在する無法地帯ともなっています。アンジェリークがやってきたのはその黒の森です。



「よし、この木剣を脳天かち割り丸と名付けましょう!」



 森の中から現れた五体のゴブリンの脳天を木剣でかち割ったアンジェリークは、意気揚々と森の中に入っていきました。


 昨日、ゲルトの指導を受けた結果、アンジェリークは自身の現在の戦闘能力というのを大体把握しました。騎士並とは言えずとも、教養が無くて身体強化も真面にできない盗賊相手に負けるほど弱くはないぐらいだろうと。事実、ゴブリンの相手は余裕でした。


 自らの実力を理解したアンジェリークはいくつか気になったことを確認するために黒の森に訪れたのです。きちんと鍛えてからでも良かったのですが、どうしても好奇心を抑えられませんでした。



「よし、この辺りにしよう」



 アンジェリークは独り言を呟きながら魔法を使い始めました。


 前世を思い出す前のアンジェリークは魔法の研究に熱を上げていました。魔法の話になるとアンジェリーク大好きの姉ですら無表情に聞き流し続けるほどに話し続けるような魔法バカでした。そんなアンジェリークは前世を思い出し、前世の知識からなんとなく血管をイメージして身体強化魔法を行ったところ、一人こっそり試したときよりも遙かに強い効果を得られたのです。


 前世の知識は魔法に応用できる、そのことに気付いてアンジェリークは興奮しました。前世を思い出したからと言って魔法バカだった過去は消えず、今も魔法バカだったのです。今のアンジェリークは剣術バカの魔法バカなのです。


 屋敷で試すのは危険なので黒の森はちょうど良い実験場になり得ました。森林火災さえ発生させなければいいのですから。



「まずは穴を掘って……」



 アンジェリークの前の地面に土魔法により深さ一メートルほどの穴が空きました。続いて窪みの底にいくつもの返しのついた氷柱が並びます。最後に土魔法により穴が巧妙に隠され、目印の石が置かれました。



「うーむ、我ながら上出来。やっぱりイメージが大事なんだね」



 アンジェリークは満足そうに頷きました。穴を掘るのは井戸掘りなどで使われる魔法で、氷柱は本来敵にぶつける攻撃魔法です。返しがついているのはアンジェリークのアレンジですが。


 今まで氷結魔法というのは文献に書いてあることをそのまま扱ったり応用したりしていたのですが、水が水素と酸素の化合物であることを意識し、さらに熱とは分子の運動であるということまで考えて魔法を使った結果、魔力の消費効率が上がり、さらに氷の温度が明らかに零度以下になったのです。


 この世界は光、闇、風、土、水、火の六元素が世界を構成しているという六元素論が主流で、魔法も六元素論を元に構成されているのですが、原子分子からなる科学を根底にした魔法の方が効率が良いということは、この世界も原子分子で構成されている可能性が高いということでしょう。



「面白い実験結果がえられたね」



 悪辣な落とし穴を前にアンジェリークはニヤニヤと笑っていました。そしてさてと、とつぶやき次の検証のための行動に移りました。


 同じような落とし穴を定期的に作りつつ、アンジェリークは森の奥へと音を立てずに進んでいきます。何かの気配を感じたので隠れると、男が現れました。妙に服がボロボロで、後ろをチラチラと見ています。手には何やら袋を抱えていました。おそらく、盗賊のねぐらから盗品でも持ち出して逃げてきたのでしょう。アンジェリークにとって好都合でした。


 男の進む方向に先回りし、キョロキョロ辺りを見回しながら男の前に出ます。男はアンジェリークと目が合うと、ニヤリと笑いました。



「待て!」



 アンジェリークが怯えるようにして逃げ出すと、男が追いかけてきました。小綺麗な乗馬服もどきを着た少女がこんなところにいることに違和感を覚えないのだろうかとアンジェリークは呆れました。


 身体強化魔法を駆使して男との距離を徐々に縮めつつ走り、追いつかれる寸前に前方へと大きく跳びました。当然、反応できない男はアンジェリークの作った悪辣な落とし穴に落ちました。聞くに堪えない悲鳴が森の中に響きました。


 そんなに長くないとはいえ氷柱が足や尻に突き刺さり、しかも返しがついているため動くだけで激痛が走る、もはや泣くことしかできなくなった男が上を見上げると、笑顔で木剣を振りかぶるアンジェリークが見えました。



「ああ! 脳天かち割り丸が逝ってしまった……」



 アンジェリークは短いながらも身を尽くしてくれた相棒の死にホロホロと涙を流しました。


 脳天かち割り丸の墓を建てたアンジェリークは男の遺体を穴から引きずり出すと服を剥ぎ取り、腰に付けていたショートソードを脳天かち割り丸の代わりに腰に装備しました。続いて持っていた袋をぶちまけます。



「なんでドス?」



 袋から出てきた白鞘に収められた脇差を見て首を傾げました。太刀の部類は東方の国で作られていて交易品として帝国にも入ってきているのは知識としてありましたが、こんな物を命がけで盗み出す理由がよく分かりませんでした。


 抜いて刃を検め、欠けがないことを確かめると遺体の喉元に突き立てました。そしてそのまま股間まで切り開くと、横にも切り込みを追加してポテトチップスのパーティー開きのように男の皮を開きました。続いて筋肉を裂いて同じように開き、大腸、小腸を切り取ると体の隣に並べ、続いて膵臓、脾臓、膀胱、肝臓などなど、内臓を切り出して並べていきます。肋骨を鉈で叩くように割り切ると今度は肺と心臓を切り取って同じように並べ、開いた胴体から両足の先まで裂いて筋肉を剥き、続いて腕を裂いて剥き、喉から顔面を裂いて向いていきます。


 切れなくなってきたドスを男の服で拭った後に再度手足や顔などの肉を裂いて骨を引っ張りだし、順番に並べていきました。


 一時間ほどで男は皮筋肉、内臓、骨格の3種類に分けられて並べられました。



「ん~、魔力を溜める臓器とかあるのかと思ったけど、前世の人間と変わらないなぁ」



 脳味噌はぐしゃぁしたのでよく分かりませんし、内臓の数と配置、骨の数と形、筋肉も血塗れでよく分かりませんがおそらく同じです。前世で強くなるためにという理由で人体のことを学んでいたので間違いありません。



「ここまで同じなら役割も仕組みも同じだと考えて問題ないかな」



 アンジェリークは楽しい玩具を手に入れた子供のようにキラキラと笑い、森の奥へと歩き始めました。

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