転生!? 蛮族令嬢!

✝漆黒の陽炎✝

公爵領編

第1話 なんということでしょう!



 アンジェリーク・フォン・ザクセンが前世を思い出したのは十三歳の頃、一時頃に自宅の庭で珈琲を飲んでいたときでした。



 その庭はザクセン公爵家の名に恥じぬ立派な庭で、アンジェリークのお気に入りの一つです。そんな皇族を招いてお茶会を開けるような立派な庭で、聖カロリング帝国では女性にはふさわしくないとされる珈琲を飲むのがアンジェリークの密かな楽しみでした。



 珈琲を覚えた切っ掛けは尊敬する父であるヴィドゥキントと同じ物を飲んでみたいと思ったことです。家ではすっかり珈琲を飲むようになった娘に父は困ったような嬉しいような表情を見せていました。



 飲む珈琲はミルクも砂糖も入れないブラック、深入りで高温抽出させた酸味の薄く苦みの強いものです。とても十三歳の少女が飲むものとは思えませんが、アンジェリークは不思議とその味に懐かしさを覚えて好むようになったのです。



 庭で花の香りを楽しみながら帝都から取り寄せた氷結魔法に関する論文を読み、一息ついて珈琲を飲んだときのことです。アンジェリークの頭に一人の女性の顔が浮かびました。見覚えのないはずの黒目黒髪の顔を懐かしみつつ、妹がこんな珈琲を入れてくれたんだよなぁと思ったところで前世を思い出したのです。



 前世を思い出したアンジェリークは驚いたようにティーカップをテーブルに置くと、戸惑うように視線を彷徨わせました。どんなことがあろうと完全無欠の御令嬢という態度を崩さないアンジェリークの、初めて見る尋常ではない様子に側仕えのメイドであるクララが心配そうに声をかけます。



「お嬢様、どうかされましたか?」


「大丈夫よ。少しめまいがしちゃって……昨日の夜、本に夢中になって夜更かししてしまったのが悪かったみたい。部屋で少し休んでくるわ」



 アンジェリークはそう言って立ち上がり、品の欠けない程度に早足で部屋へと戻りました。


 部屋の前の廊下を見回し人がいないことを確認して部屋に入ったアンジェリークは、頭を思い切りぶつけるようにベットへと倒れ込み、呻くように呟きました。



「なんで女の子やねん……」



 前世のアンジェリークは地球の日本に住む男でした。しかもかなりの大柄で益荒男という言葉が似合うような無骨な男でした。友人から「お前は生まれるべき時代を間違えている」と言われるような男でした。


 今のアンジェリークは十三歳としてはやや小柄、公爵令嬢らしく白くスラッとした体型の少女です。胸が薄いのは年齢が原因だと信じています。


 性別も違えば体型も違う、合っているところが珈琲の趣味ぐらいしかないにもかかわらず、不思議とアンジェリークは自身の同一性に違和感を覚えませんでした。


 前世の自分と今世の自分を混同せず、なおかつ同一人物として認識している自分に気が付くと、問題ないならまあ良いかとアンジェリークは思考を放棄しました。



「これからどうしようかな」



 うつ伏せから仰向けへ移行し、天井を見ながらアンジェリークはぽつりと呟きました。


 現世の自分であるアンジェリーク・フォン・ザクセンはザクセン公爵家の次女です。帝国随一の美女と言われた母、アーデルハイド・フォン・ザクセンの血を濃く受け継いだ美少女で、公爵令嬢という地位にありながら奢ることもなく謙虚であり、魔力は帝国貴族の中でも上位に位置し、六歳で基本生活魔法を操り、十歳の頃には魔法学園入学資格を得られるほどに頭脳明晰という、絵に描いたような完璧な公爵令嬢です。


 前世を思い出すまでは彼女は自分の人生に疑問を抱きませんでした。しかし、彼女は前世を思い出してしまいました。


 前世でアンジェリークは剣術家でした。平成という平和な時代に生まれながらも剣を学び、体格と才能に恵まれひたすらに稽古を付けた結果、道場では他の追随を許さないほどに強くなっていました。その上でさらなる強さを求めた彼は他の流派の技を学び物にしていきました。



「……強くなりたいな」



 前世を思い出したアンジェリークは前世の焦がれも思い出しました。それは今世では感じることのなかった強い感情で、今世では感じたことのない強い欲求です。昨日の自分よりも強くなるためにひたすら木刀を振るうのが楽しかった、そういう前世を思い出してしまったのです。


 思い出してしまえばその思いを無視して今までのように公爵令嬢として淑やかに、この思いを封じて生きていくのが大変苦痛に思えました。思い出すまでは特に疑問も抱いていなかったから余計にそう感じました。



「騎士になろう」



 強くなるのであれば強い相手と戦う場を得ること、それを得るには強い相手が居る場所に行くべきだとアンジェリークは考えました。


 幸い、アンジェリークは第三子であり次女です。長男のパトリックは優秀で現在は王国魔法戦闘団副団長としてキャリアを積んでいて、長女のアレクサンドラは魔法学園に入学し、成績優秀と評判です。アンジェリークが多少やらかしたところでザクセン公爵家は揺るぎもしないでしょう。


 完璧と噂のアンジェリークが奇行に走ったらザクセン公爵家としての損害は大きいのですが。



「うん、よし」



 行動方針が決まったアンジェリークは早速動くべく立ち上がりました。


 ふと違和感を覚え窓を見ると高かった日が大分落ちていることに気が付きます。部屋に来て一時間経っていないはずなのにとアンジェリークは首を捻り、自分は思った以上に混乱していたのだなぁと納得しました。


 今の時間帯なら執務室、アンジェリークは早足で向かいました。



「お父様、お話があるのですが宜しいでしょうか」


「む……入りなさい」



 低く威厳のある声に合わせて部屋に入ると、アンジェリークの父であるヴィドゥキント公爵と公爵家の執事長であるエーリッヒが居ました。ヴィドゥキントは強面に精一杯の優しい笑顔を浮かべてアンジェリークを見つめています。



「少し体調を崩したと聞いたのだが、大丈夫か?」


「はい、もう大丈夫です」


「なら良かった。で、話とは何かな?」


「剣を学ばせてください!」



 普段の慎ましやかなアンジェリークとは違う溌剌とした物言いにヴィドゥキント公爵とエーリッヒは目を白黒させていました。



「……何故剣を?」


「今日調子を崩したのは昨晩夜更かしした事が原因ですが、その程度で倒れるとは武人としても名高いザクセン家の者として恥ずかしいと思ったからです」



 騎士になる、といきなり言っても許されるはずがありません。そもそもが、体力も筋力も足りていない上に今世の細い体では前世のような剛剣は不可能です。なので、まずは体力と筋力を付け、今の自分がどう動けるのか確認するために剣を振っていても不自然ではない状況を得ることにしました。


 アンジェリークの返答にヴィドゥキント公爵は顎に手を当て考え込むようにアンジェリークの目を見つめます。



「体を鍛えたいのであれば剣は必要ないんじゃないか?」


「体を鍛えるのであれば、魔法学園入学前に多少なりとも剣を扱えるようになっていた方がザクセン家の娘としてよいと思ったからです」



 ザクセン公爵家は建国時に皇帝の右腕として戦場を駈けた帝弟を祖とする一族です。帝国成立後も他国との戦争で武の一族として活躍し続けています。ゆえに兄パトリックは魔法戦闘団副団長として活躍していますし、姉アレクサンドラもザクセンの剣術を学んでいたりします。アンジェリークが剣術指南を受けていないのは剣よりも魔法の才を磨く方が良いと判断されたためです。



「……まあ、いいだろう。指南役を付けよう」


「ありがとうございます!」



 アンジェリークは満面の笑みで返答すると、身を翻して部屋を出て行きました。


 そんなアンジェリークを険しい表情で見ていたエーリッヒが問いかけます。



「よろしいのですか?」


「悪くはない。あの子に体力が無かったのは事実だ。鍛えたい、というのであればザクセンとしては止める理由はなかろう?」



 それに、とヴィドゥキント公爵は柔らかい笑みを浮かべます。



「今まであの子は我が儘らしい我が儘も言ってこなかった。母親がいなくて寂しいはずなのに、何一つ我が儘も言わなかったのだ。親として、やりたいことがあるのであればやらせてやりたい」


「……そういえば、そういう年頃ですね」


「本を読んで寝不足になったという話だからな。むしろ子供らしい一面が見れて安心もしたぐらいだ」



 自身にも身に覚えのある、思春期の空想に塗れた病のような思想を思い出し、二人は苦笑いを浮かべました。


 何のことはない、完璧な令嬢と呼ばれた娘にも思い出しただけで耳まで赤くなってしまうような時期が訪れただけなのだ。



 ヴィドゥキント公爵はこのときの判断を死ぬまで後悔し続けることになりました。

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