第3話 羅刹の女鬼

◆◆◆羅刹の女鬼

 平安京がこの地に移転した頃より建立されたこの古寺には、大きな本堂と良く手入れされた庭園が望めた。

 昼間は、参拝客の絶えないこの寺も夜更けの寺には人気も無く、並んで座した仏像たちは今にも動き出しそうに張り詰めた空気と静けさを漂わしていた。

 本堂から庭園を眺めれば、天空に丸く満ちた十六夜の月が金色に輝き辺りを照らしていた。


 寺の本堂で渡辺源次は一人、仏の前に静かに座り来客を待っていた。

 この手紙が届けられ、受け取った時から覚悟を決めた。

 ふと、さっきまで甲高く鳴いていた獣たちが声を潜め、静けさに包まれた。

 殺気とともに広い庭園の中央に一人の女が現れた。

 大小並べられた庭石の上空に丸い月が浮かび、月に照らされた女は、黒と銀の上等な衣服をまとい、朱色のおびで飾っていた。

 衣服からあらわになった褐色かっしょくの肌、美しい顔立ち、そしてひたいには二本の角。

 背には、背丈ほどの大太刀を背負う。

 源次は、目を見開き、息を飲んだ……。

 ――― 女の鬼……。

 ――― まさかいにしえの伝承に聞く、羅刹らせつの女鬼か。

 鬼族の中でも羅刹らせつ一族は戦いを好み、人の血肉を喰らい生気せいきを吸うと聞く。

 羅刹の男鬼は悪鬼の様にみにくく、女鬼は妖鬼の様に美しいと言う。


 羅刹の女鬼が本堂に足を踏み入れると伽羅きゃらの香が辺りに漂った。

 そして女鬼が口を開く。

「お前が……鬼切の太刀を……持っておるのか?」

 容姿は、二十歳ほどに見えるが、落ち着いた物言いがあやしさを引き立たせる。

「その鬼切の太刀を見せろ……」


 源次は、立ち上がると手に持つ黒鞘の太刀を顔の前に掲げ、つかを握るとゆっくりと引き抜いた。

 きたえられた美しい直刃が左右に伸びる。

 まるで太刀とも包丁ともいえるこしらえである。

「ふふっふ。美しいな……」

「その鬼切の太刀をいただく」


「そして、お前の血肉も……喰らうてやろう……」

 女鬼の切れ長な目の奥の黒い瞳が光る。

 源次の背中にゾッとしたものが頭の天辺に登り、ブルッと武者震いする。

 太刀をさやに納め、息を吐いた。

 突然、女鬼が前に跳躍し、大太刀を抜いたかと思うと源次に斬りつける。

 かろうじてけた源次は二、三歩飛び退る。

「ギシギシ」「ガタン」「ゴロゴロ」

 背にしていた仏像が肩口から袈裟けさに斬り下げられ、床に転がった。

 女鬼は、源次に向き直り、血の色の様なくちびるめ、ニヤリと笑う……尖った二本の白い牙が顔を出した。

「ふふっふ……その鬼切の太刀を置いて去れば……命は助けてやろう」


 源次は、重心を落とすと手に持つ太刀を抜き、肩口で太刀をかまえた。

 そして大きく息を吸い込む。

 そして女鬼をにらみ、目をカッと見開く。

「我こそは、源の頼光の家臣が一人」

「四天王筆頭を務める、渡辺の源次・綱なり」

「今宵、そなたを成敗し……安らかに成仏じょうぶつさせたもう」

 と高々と武士の名乗なのりを上げた。

「面白い!!」

 女鬼は、大太刀を振り上げると源次に襲いかかる。

「キンッ」

 金属が交差する音と共に火花が暗い本堂に飛び散る。

「キンッ」「キンッ」

 続けて二太刀。

「ギリッ」「ギリッ」

 つばぜり合いの金切り音が悲鳴を上げる。

 体と体がぶつかる。女鬼の美しい顔が源次の顔に近づき強烈な伽羅きゃらの香が鼻を抜ける。

 鍛えあげた腕であったが女鬼の腕力に押し負ける。

 すかさず、源次が横に飛び大太刀をかわす。

 女鬼は、本堂の中で大太刀を振り回し、源次を襲う。

 安置あんちされた仏像の腕が斬り落とされ、首が床に転がる。

 数体の仏像は、斬り崩され、壁が突き破られパラパラと崩れ落ち破壊される。


 たまらず、源次は戸口を蹴破り、庭園に飛び出した。

 庭園の周囲には、“もののけ”の襲撃を予測し松明たいまつかれ周囲を照らす。

 対峙した二人は間合いを計る様に動く。

「りゃあああ」

 源次が先に動く。渾身こんしんの力で太刀を振り抜く。

「キン」「キン」「キン」

 二人が交差し前後の立ち位置を変える。

 女鬼が大太刀を構える。ほほに一筋の太刀傷が浮かんだ。

 女鬼は、指でほほの太刀傷からにじむ血をぬぐうとペロリとしためる。

 殺気がひとみからにじみ出したかと思うと、大太刀を振り跳躍する。

「ガキン」

 かろうじて受け止めた太刀を握る腕が衝撃でしびれ押し戻される。

「ガハッ」

 反射的に顔をかばった左腕を通して顔に衝撃が伝わる。

 女鬼は、すきのできた顔面にりを放った。

 目がくらみ、思わず握った太刀を取り落とした。

 よろけながらも後ろにさがり、素手で顔を護る。

「ふうっ」「ふうっ」「ふうっうううう」

 肩で息をしながら呼吸を整える。

 そして、左手と左足を前に構えると低い姿勢でにらむ。

 女鬼は、手に持つ大太刀を地面に突き刺した。

無手むてで戦うか……付き合うてやろう……」

 と女鬼は言うと無手むての構えをとり……源次になぐりかかる。

「ガハッ」「ガハッ」

 女鬼の闘気をまとったこぶしけりりが突き刺さり源次の体をきしませる。

 ―――これがっ……羅刹らせつの鬼か……。

 牙をき殴りかかる。今しがた美しい女鬼の顔に付けた太刀傷がすで治癒ちゆし、傷後すら無い。

 りが入り、源次は地面に転がる。

「ガシャン」

 手元に鬼切の太刀が転がっていた。

「ふうっ」「ふうっ」「ふうっうううう」

 源次は、太刀を握ると既に感覚の無い手足で使い立ち上がる。

 ―――今までの武術修行が頭の中に高速で映し出され、今の状況に戻った。

 ―――死ぬ訳にはいかん

 ―――儂はまだ、こんな所で……死ぬ訳にはいかん

 目を見開くと目の前に屈強な羅刹の女鬼。

 源次は、鬼切の太刀を構えた。

 既に大太刀を肩越しに構え、源次をなぶる様に見る女鬼。

「そろそろ……終焉おわりにするか?」


「うおおおおお」

 源次が気合を込め雄叫びを上げ突進する。

 太刀を正面で小さく構えると、小さく左右に斬りこみながら突きを放つ。

 体と体が激しくぶつかる。

 たまらず女鬼が後退りする。

 壁ぎわに追い詰め、渾身の一撃で突く。

 刃が女鬼の皮膚を斬り鮮血が舞う。

「うおおおおお」

 渾身こんしんの力をめ、上から斬り下ろす。

「キインッー」

 甲高い金属音が響く。

 女鬼が左手で太刀を受け止めた。

「何っ」

 女鬼は腰に差していた短刀たんとうを左手に持ち源次の放った渾身の太刀を止めた。


「ふっ。鬼切の太刀で鬼の肉体は斬れても……これは斬れん」

 源次は後退りする。

 女鬼が動く。

 女鬼が薙ぎ払った大太刀が、源次の側面をとらえ押し斬る。

「がはっ」

 激しい衝撃と共に腕と肋骨ろっこつがきしみ、体が宙に浮き吹き飛ばされる。

 背中の衝撃と共に意識が飛んだ……。


 目を開ける。夜空には刻が過ぎたる十六夜いざよいの月。


 空に浮かぶ丸い月をおおいかくす様に女鬼の美しい顔が、目の前に現れた。

 女鬼は、仰向けに倒れた源次にまたがり、大太刀を両手で逆手に持ち替えると大きく頭の上に持ち上げ息を止めた。

 源次はおのれの死を確信し、止めを刺そうとする女鬼の黒い瞳に入った。

 そして女鬼はニヤリと牙をくと大太刀振り下ろした―――。

「グサッ」


 女鬼は、またがった身体を離し、地面に突き刺さった大太刀を引き抜いた。


「痛っ」

 源次は、きしむ体を起こし立ち上がる。

 女鬼はゆっくりと地面に転がった鬼切り太刀を拾い上げた。

 太刀の刃を裏表と確認する。そして手に持つ太刀をながめニヤリと笑う。


「何故!止めを刺さん!」


「なかなか面白かったぞ」とニヤリと笑う。


「その太刀は、必ず取返しに行く」


「ふふっふ……次は貴様を喰らうとするぞ」


 女鬼は先ほど一撃を止めた短刀たんとうさやごと腰から抜くと源次に向かって投げて渡した。

「貴様にそれをやろう……」

「貴様も鬼切の太刀が無ければ……鬼が斬れまい」

 女鬼の好みなのか朱色のさやに金銀の美しい細工さいくが施されている。さやから抜くと大振りな刀身に美しく浮き上がった波紋が青白く光った。

「そなた、名は?」

 源次の問いかけに、女鬼は目を細めて笑う。

羅刹らせつの一族に名は無い……武功ぶこうによって贈名おくりなはあるがの……」


 源次は瞼を閉じ、独り言を口にすると閉じた目を開けた。

「そなたを……十六夜いざよい修羅しゅらと呼んでよいか?」


 羅刹らせつの女鬼は目を細めて、また笑うときびすを返し闇夜に消え去った。


 ◆◆◆旅立ち

 渡辺源次が庭先で太刀を一心不乱に振っていた。

 もろ肌を見せたはかま姿の荒武者あらむしゃは、闘気を発した身体から蒸気が立ち昇り、玉の様な汗となって首筋から背を伝い腰に流れ落ちる。

 肩甲骨けんこうこつが柔軟に動き、鋭い太刀筋たちすじとなって空気を切り裂いた。

 動きが止まり、大きく深呼吸をすると空を見つめた。

 あの羅刹の女鬼との死闘以来、心にかかる思いが溜息ためいきをつかせた。

 生と死の間のギリギリの戦い……恐怖と……喜び。

 おのれにこれほどの力があったのか?という発見、そしてかなわぬ強敵の存在。


 源次は太刀たちを強く握りしめる天高く太刀を構えると……おのれの心を断ち切る様に太刀を振り下ろした。


 ◇◇


 屋敷の門の前に源頼光と金太郎が旅立つ男を見送ろうとしていた。

 若武者に似合うあい色の鮮やかに着物に旅道具を一式。

 背に太刀を背負い、腰には朱色のさやに金銀の細工さいくが施された短刀たんとうを差した姿で二人の前に立つ。

「源次兄。本当に行くのか?」

 さびしげにたずねる金太郎。

「頼光殿。儂のわがままを御聞き下さり、申し訳ござらぬ」

「必ず決着をつけて戻ってまいります」


「金太郎。頼光殿をくれぐれも頼むぞ」

 源次は、馬のあぶみに足をかけると勢い良く馬の背にまたがると二人に大声で挨拶あいさつする。

 手綱たずなを引き、あぶみる。

 馬は前足を上げながらいななくと、西に続く街道かいどうに向かって走って行った。

「必ず戻って来る!」

「儂は、必ず戻って来るぞ!」

 渡辺源次綱の馬上の姿は、西の山向こうへ小さく消え去ってった。


 おわり。



☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆

鬼切り源次 最後まで御愛読いただきありがとうございました。

短編小説 第一部として完結ですが、短編集として追筆していきたい思います。


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長編の姉妹作品も公開していますので、是非とも一読くださいませ。

★冥護の槍士と十六夜の鬼 ~一寸法師鬼譚・帝都編

★第六天の魔女 ~月華の巫女姫・編

★鬼切り源次 ~もののけ平安絵巻

★異剣丹心譚 ~幕末烈士編


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鬼切り源次 ~もののけ平安絵巻 橘はじめ @kakunshi

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