第14話 ミアーナはオアシスで足止めされる

 盗賊たちが村へ向かった後、誰もいないオアシスではまたしても異変が起ころうとしていた。


 風も無く、穏やかだったはずの水面に、ぽつぽつと泡が浮かび始めた。


 小さな、細かなその泡は、魚が吐き出した気泡が浮かび上がったものに良く似ているが、このオアシスに魚はいない。

 水面に現れる泡は、みるみる大きなものに変わって行き、やがて微かに水面が揺らぎ始める。

 ごぼごぼと浮かび上がる泡。

 水面の揺れも大きくなる。


 っざん!


 大きな波飛沫とともに、オアシスから飛び出した巨大な影。


 どぼっ!


 が、すぐに飛び上がった影は失速し、再度大きな水柱が上がる。


「しっかりしなさい!!」


 凛とした少女の声が響く。


「ここまで来れたんなら、もうちょっとくらい頑張れるでしょ!」


『 勝手な 事を 言うな! 』


 巨大な影から声が発せられる。影には側頭部に2つ突き出た大きな角がある。そして羽毛の全く生えていない翼、厚くて硬そうな表皮。鞭のようにしなる尾。骨ばった指先から鋭く伸びた鉤爪。裂けた口から覗く牙。黄色く光った大きな目に縦に長い瞳孔……ミアーナがシェラハとイリジス、そしてパミを抱えたままオアシスに仰向けで浮かんでいるのだ。


「だって!こんな所で、力尽きるのは嫌だからね!」


 シェラハは半泣きで叫んでいる。


『 死なないって…… 』


 呆れたように……それこそ人間くさく鼻の頭にシワを寄せた表情をつくったミアーナは、よっこいしょ、とばかりにゆっくり身体を起こして湖底に足をつく。

 ミアーナが動くと、周囲の水が微かに朱に染まった。

 大きな背中には、3人を水と岩の衝撃から護った時の無数の傷が刻まれている。


『 それよりも お前達こそ 生きてる か? 』


「勝手に殺すな」


 イリジスは既に自力で立ち泳ぎを始めている。


「ひぃっ……」


 ミアーナの腕に掴まったまま、逃げるように身体を反らせ、けれど泳ぐ事も出来ないのか硬直してしまっているパミが悲鳴を噛み殺している。


「ほら、あんたミアーナの邪魔になるからおいで」


 シェラハがそんなパミの首根っこを捕まえて岸に向かって泳ぎ始める。普通泳げない人間を引いて泳ぐのは、パニックに陥った泳げない人間に引き摺られて共に溺れてしまう危険の多い作業なのだが、上手い具合に今のパミは、大の苦手のミアーナに抱えられていたお陰ですっかり硬直している。

 程なく岸へ泳ぎ着く事が出来た。もっとも、岸へ付いた時にパミを引いていたのはイリジスだった。シェラハは、ミアーナからパミを引き離すとすぐにイリジスに手渡したのだ。

 岸に上がったシェラハは身の水滴を掃うよりも先にミアーナを振り返る。

 ミアーナは、先程浮かび上がった場所から全く動かずに、湯にでも浸かっているかの様に水面に顔だけを覗かせてじっとしている。


「傷は?大分痛む?」


『 痛い。 しばらく 浸かっていれば おさまる 』


 ミアーナが普通の獣と違うのは外見だけではない。砂を巻き上げる風を起こす事も出来るし、水を治癒に使う事も出来る。自然現象を司る……とまではいかないが、自然を自分の力として使う事が出来る。


「……なおるの?」


 ぼそりと呟いたのはパミだ。

 ミアーナを見る目が奇異を見るものではなく、気遣わしげなものになっているのに気付いて、シェラハは目を細める。


「大丈夫。得な体質よね。でも時間がかかるから、変なのが近付かないようにしないと」


 言ってオアシスの周囲に目を向ける。こんな時に盗賊たちに、村人達への脅し文句として言っていた毒でも撒かれたら、それこそミアーナの命に関わる。誰も近づける訳にはいかない……そう思っていた矢先、オアシスから一本伸びた道、おそらく村へと続くものだろう、その道から複数の男達がこちらへ向かって走ってくるのが見えた。一見したところは例の黒ずくめではなく、普通の村人の様な思い思いの格好だ。

 シェラハとイリジスは目配せをすると、パミを残したまま無言で駆け出す。

 パミには何が起こっているのか、無論分からないし、2人が何をしに、何を見つけて駆け出したのか、それすらも分かってはいない。常の旅路で鍛えられた2人の視力と、町暮らしのパミの視力には遠い隔たりがあるのだ。

 駆けながら2人は素早く言葉を交わす。


「良くて足止め、悪くて時間稼ぎね」


「怪我だけはしないようにな」


 2人は、こちらへ向かっている男達に気を許してはいない。黒装束の男達ではないとは言え、今オアシスには怪我をしたミアーナがいる。下手に人間を近付ける訳にはいかない。

 イリジスとシェラハがオアシスを取り囲む木々の間を抜け、畑に囲まれるだけの道に出たところで向こうから走って来た男たちも流石に気付いたらしい。戸惑った様に歩調を乱し、後続の者達を待つ様子になる。その間も2人はひたすら前進を続ける。


 程なく男達は立ち止まり、2人はその一群と向き合う形となった。


「あなた達に代表者はいる?」


 年若いシェラハの不遜な態度に男達が顔を見合わせ、ざわざわと何事かとさざめく。が、すぐに一際大きな体躯の男が前に進み出る。


「代表者……と言うほどの者ではないが。あんた達こそ何者だ?こんな所で何してる」


 男達は胡散臭げに2人を見ている。少し首をすくめてイリジスが続ける。


「ちょっとした事情があってね。悪いけど、この先には誰も進ませるわけにはいかないんだけど……」


 あっさりと聞き入れてはもらえなさそうだね。色めき立った男達の様子に、ぼそぼそとイリジスが口の中で呟く。


「この先のオアシスは我々の村のものだ。見たところあんたたちは他所の人間の様だ。大人しく引き下がっていただきたい」


 代表を名乗った男が、鋭い眼光を向けながらも落ち着いた口調で言う。


「けど、この先のオアシスは盗賊が占拠してるはずだろ?そんなところにあんた達が一体何の用なんだ?」


 イリジスの言葉に男達が顔色を変える。構わずシェラハが続ける。


「……私達は盗賊退治を頼まれて来たのよ」


 この一言で男達はあきらかに動揺した様だった。集団の最後尾辺りの男達などは、ぼそぼそと何かを話し合っている。「何でこんな所に……」とか「話がちがう」などと言った言葉が途切れ途切れに2人の耳に漏れ聞こえてくる。

 不意に、代表を名乗った男が何か重要な事に気付いたように、真剣な眼差しを2人に向けてきた。


「ディアンタル坊ちゃんは!?一緒なのか?」


 背後の者達にとってもそれは、重要な内容だったらしい。今までのざわめきが嘘の様に消え、しんと静まった全員が2人の答えを聞き逃すまいと注目する。


「ディア……?あぁ、パミなら……」


 言いかけたシェラハの言葉をイリジスが遮る。


「水と岩に飲み込まれたぞ。お陰で俺たちもこのなりだ」


 ずぶ濡れの二人の姿を改めて見る男達。その表情がみるみるこわばって行く。

 今の説明ではパミが死んだ様にも取れる……とシェラハは抗議しようとして気付いた。今話している、この男達の正体は一体何なのか。盗賊団に捕まっていた村の男達にそんなに早く情報が伝わる訳が無い。じゃあ、この一群は何者なのか……。


「そうか……それなら村長のあのご様子にも納得が行く。あんた達ともども巻き込まれたんだな」


 代表の男が、扉の向こうに引きこもったままの村長の様子を思い出しながら言う。男は、あの時アンダンタルの側にいた黒ずくめの男、盗賊のかしらだった。しかし、シェラハ達はそんな事に気付くわけが無い。依然この男達のハッキリしない正体を見定めようと苦慮しているが、男の最後の一言はどうしても聞き逃せなかった。


「巻き込まれたって……」


 イリジスも同様だったらしい。


「何が起こるか分かってた様な口ぶりだな。ひょっとして俺たちははめられたのか?あんた達に」


 ちっ……。


 と、首領が舌打ちを漏らす。同時に背中に括り付けて隠し持っていた大剣を引き抜く。背後の男たちも同様に剣を取り出す。抜き身の剣ばかり約30本が、傾きかけた太陽の赤い光を受けてギラリと輝く。

 男達は皆、邪魔な余所者を逃すまいとの必死の形相で2人を見据えている。

 それぞれ思い思いの剣の構えを取っているところを見ると、我流の集まりらしい。

 型破りな型をつかう者は盗賊には多い。そう云った者の剣は、下手をすると訓練された兵士の型にはまった剣よりもタチが悪い事が多い。太刀筋が読みにくいのだ。

 そうでなくても30対2。

 しかも、こちら二人は丸腰だ。まともにやり合うのは危険だろう。

 けれどこの先には怪我を負ったミアーナと、パミがいる。

 通すわけにはいかない。


 どうしたら良い……?


 考える間も無く、じりじりとにじり寄ってきていた男たちが一斉に2人に切りかかってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る