第3話 オアシスの村への潜入

 パミの村へは存外に早く辿り付く事ができた。



「あれが僕の村だよ!」


 シェラハの、ラクダの手綱を引く手の間に座ったパミが勢い良く叫び、前方を指差した。

 パミはシェラハと一緒のラクダに乗っている。

 後ろに乗ったシェラハは、おのずとパミの肩越しに指差す先を見遣るかたちになる。

 パミの指差す先には、ラクダの歩みに合わせてゆらゆらとゆれて近付いて来る黒い岩山がある。あの麓に村はあるらしい。

 ここは、キャラバンの姿が地平線に隠れてから、大きな砂山を5つ6つ越えたくらいの距離……ラクダに乗り、軽装で駆け抜けたシェラハ達には1時間とかからない距離だ。

 ちょっとした冒険活劇を期待していたシェラハにとっては拍子抜けだったが、砂漠の民の女児程度の体躯しか持たないパミが歩いて来れる距離だ、そう遠くは無いという事は想像出来ない事もなかったがこうも近くだとは……。うんざりして思わず手綱を引くラクダの足を緩める。

 ゆっくりと歩を進めるラクダ。

 淡い黄金色に輝く砂漠の中に突如現れた黒い岩山。

 その裾野に広がる濃い緑。

 さらにゆっくりと現れる赤レンガの家並み。

 目を見張るシェラハ。

 目の前に現れたのは背後の岩山の黒に引き立てられ、赤レンガの家並みの色彩を帯びて一層鮮やかに浮かび上がる木々の緑。オアシスの街。

 オアシスは見当たらないが、村の左側から岩山の背後に回り込むように延びている道……といっても、両端を背丈の低い緑の生い茂った畑が並んでいる中央を、畦道の様なものがはしっているだけなのだが、そんな道が一本延びているので、あれがパミの言う、村とオアシスを結ぶ全長約1kmの道なのだろう。その丈の低い緑の実りまでもがこの村にもたらされるのだ。

 シェラハの右後ろにラクダを進めていたイリジスが思わず感嘆の声を漏らす。


「こりゃぁ……盗賊が目を付けるのも……」


「当然だわね……」


 シェラハも同様だった。

 カラカラに乾いた砂漠の中にあって、一際緑の生命力に満ち溢れた空間。砂漠を渡り歩く自分たちでは叶わない安定した生活の場。


 遠い昔の記憶がよみがえる。自分もこんな家々の立ち並ぶ場所に住んでいた事があった。

 久しく会っていない母と共に。

 母と住んでいた街から父に連れられて砂漠へ出た。あれからもう5年近くが経ってしまった。5年の間、母には一度も会っていない。会う事を禁じられていた訳ではないが、あの場所の近寄りがたい雰囲気を理由につい疎遠になってしまっていた。今ではキャラバンは随分と遠くに来てしまっており、母のいる街へ辿り着く事すら困難になっている……そんな今になって少し後悔したりもしているのだが……。


 強く輝く中天の太陽の中に黒い影が躍る。眼を細めながら見上げるイリジス。

 上空高くに潜んでいたミアーナが、地表を行くシェラハ達に見えるように下降して来たのだ。影はシェラハ達の頭上を旋回している。

 普段なら無駄な騒ぎを嫌って、異形のミアーナは上空高く、人の視力の及ばないところに潜んでいる。それがこんな風に……と言っても鳩ほどの大きさにしか見えないくらいの高度は保っているのだが……簡単に目に捉えられる高さまで降りてくるのは、何か特別に伝えたい事がある時。危険や危機を知らせる時。

 イリジスには、前方の景色を見れば、ミアーナが何を言わんとしているのかはすぐに理解できたのだが、今回はシェラハが一向に気付いていない様だ。と言うより、先程から声を掛けているのだが応答がない。下手な事をすると負けず嫌いのシェラハはヘソを曲げてしまう。折角2人で出掛ける事が出来たこの場で、シェラハの不興を買うのは誠に不本意なのだがこの際仕方がない……。イリジスは決断した。


「シェラハ。とまれって」


 声と同時に右肩に置かれる手。


「え?なに?」


「やっぱ呆けてたのかよ。たく、俺がいなけりゃどうにもならないのな~」


 久しく会っていない母の事を思い出し、つい呆けていた事は認めるが、しかし何故それがイリジスがいなければどうにもならないと言うことに結びつくんだ?

 と、目に入る家並みが随分と大きくなっている事に気付く。


「ちょっと!」


 小声で、叫び、先刻から肩に置かれたままのイリジスの手を思いきり強く跳ね除ける。


「てっっ!」


「こんな近くなってるのに何悠々と正面から近付いてんのよ!」


 村は盗賊団によって蹂躙されていると聞いている。その村を救うためにシェラハ達は来たのだが、正面から堂々と乗り込んで戦う気は毛頭ない。いや、正面から乗り込んで戦ってはいけないのだ。

 盗賊団の人数も、力量も全く分からない。捕虜になっているはずの村民の様子も分からない。何処に盗賊団が潜んでいるかも分からない……何から何まで分からない事尽くし。そして更に長老から刺された釘……


「ただし、血は流してはならん。よって武器は無用じゃ」


 あの一言。村を無断で抜け出したパミに伴なわれてやって来たよそ者達を、盗賊団が見逃すわけは無い。堂々と正面きって乗り込めば、徹底交戦になる事は間違いないのだ。

 武器こそ持ってはいないが、腕には充分に覚えがあるし、イリジスだってこんなだけれど腕は立つ。そして一族が一目置くミアーナもいる。そこそこに渡り合う自信はあるのだが、長老の言葉を守らない訳にはいかない。いや、長老の言葉を守らずに痛い目に合った事が、幾度となくあるのだ。いいかげん懲りている。


「だからさっきから、いい加減ラクダから降りて様子を探ろうって言ってんのに」


 わざと大きな溜息をつきながら言うイリジス。どうやら本当に不覚にも、自分はイリジスの言葉も耳に入らないくらい呆けていたらしい。


「自分こそっ……さっさと降りれば!」


 強い口調で言うが早いか、さっさとラクダから飛び降りるシェラハ。一見苛立たしげな様子に見えるが、漆黒のゆるくウエーブがかった髪からのぞく耳は、まとったローブの緋と同じくらいに赤くなっている。


「わりぃ、わりぃ」


 それに気付いてかどうか、一瞬口元を緩ませたイリジスだが、しかしすぐに真顔に戻ってラクダから降り、さらにシェラハのラクダから手際良くパミを降ろした。



 さて、これからどうやって、この障害物の少ない砂漠を、盗賊団に見咎められる事無く村まで辿り着く事が出来るだろうか?

 夜まで待てば確実に人目につかずに近づく事は出来るが、中天の太陽が照らすこの時間から夜までは、時間はありすぎるほどある。更に今からこの砂漠は太陽の熱を蓄えて一層熱くなる。とてもじゃないがこんなところにじっとしている事は出来ない。


「行くか?」


「もちろん」


 短く言葉を交わして上空を見上げる2人。旋回を続ける影は先程よりも大きくなっている気がして、パミはあの大きな異形の獣がまた降りて来ようとしているのではと気が気でならない。おのずと視線が外せなくなる。


 と、その時イリジスがパミを有無を言わせない力でグイと引き寄せる。


 見ればいつの間にかイリジスとシェラハはローブを顔に巻き付けており、目元がわずかに覗くいでたちとなっている。さらにシェラハは降りたラクダ2頭分の手綱を引いており、そして合図を送るように、上空を仰ぎ見て大きく右腕を振り上げる。つられる様にパミも上を向くと、影は凄まじい勢いで一瞬の内にズームアップし、砂を巻き上げながら大きな翼を激しく羽ばたかせる異形のミアーナの姿が鮮明に目に飛び込む。反射的に悲鳴を上げたパミだったが、その声は響く事無くかき消された。


 にわかに吹き荒れる突風、巻き上がる砂塵。あたり一面が黄土色に塗りつぶされ、空と大地の境目も存在しなくなる。


 それを待っていたかの様に駆け出す2人。それに引き摺られる様にしてパミ。

 既に恐ろしい異形の姿は視界から消えている、いや、辺り一面に吹き荒れる砂埃と強風の為、目を開けている事もままならない。

 しかし2人は迷いのない足取りでぐんぐん進んで行く。目的地など見えないが、村に向かっているのは間違いないだろう。


 突然の砂嵐が去った後、辺りの景色は一変していた。

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