第3話 さみしさと襲来

「え? 引っ越しって、ネオンが?」

「あ……」


 まるで初耳だと、目を真ん丸に見開くシーシャに、ネオンはばつが悪そうな顔をする。


「キミ、この子に言っていないのかい?」

「だってアンタが行方をくらましたり色々あったから……!」


 ネオンは思わず言い訳を探したが、潔くないと自覚して、すぐに口を噤む。

 ロキの件をダシにするのはズルいと思った。先延ばしにしていたのは、自分なのだから。


「ホントのところ、何て言って別れたらいいのか、わかんなかったし……」


 神妙な顔をして言葉を絞り出すネオンに、シーシャはあっけらかんとして笑った。


「やだなー、別れるわけでも、縁が切れるわけでもないよ。住む場所が変わっても、遊びに来てくれるでしょ? ロキさんみたいに」

「そうだとも、ワタシはまだまだ十番街に入り浸るよ!」

「あんたはちょっと黙ってて」


 ロキにスナック菓子を与えて黙らせ、ネオンはシーシャを見つめる。


「ごめん、ギリギリまで言えなくて。私、誰かと住むのなんて、初めてだったし……正直、出ていくときのことまで考えてなかった」

「そんな深刻にならないでよ。あたしなんて、先のこと何も考えてないのに、ネオンはちゃんと目標があるんだもん。それだけですごいよ」

「目標……って言えるのかな、これは」


 ネオンは胸元のリボンタイを指で弄ぶ。

 その胸中は複雑に揺れていた。


 ただ、報われたかった。


 何も成せない自分が嫌だった。

 何も持たない自分に価値を見出せなかった。

 憧れの人に会うことができたら、何かを変えられると信じて、ここまで来た。


 だから、あのひとの階層に近づけることを、もっと喜ぶべきなのに。

 どうして言い様のない未練や不安が襲ってくるのだろう。

 

「……ここを出た後も、遊びに来てもいいの?」

「当たり前じゃん。何なら通話だって繋げるし。ネオンさえ会いたいって思ってくれたらね」

「……そう」

「ずっと仲良くいられる条件って、一緒に住んでるかどうかじゃないと思う。どこにいたとしても、会いたいか、会いたくないか。それだけだと思うんだよね」


 逆も逆で、一緒に住んでることは仲良い証明じゃないし、とシーシャは短く付け足した。おそらく、地上の家族のことを思い出しているのかもしれない。


「でも良かった、言ってくれて。ネオンって、いつかフラっと消えちゃうんじゃないかと思ってたから」

「私そんなイメージだった?」

「最初はちょっとだけね。でも今は違うかなー」


 シーシャは、彼女には珍しい表情で、大人っぽく笑う。

 その時、聞き慣れぬ通知音が鳴った。音を立てて震えているのはロキの端末だった。


「むぅ……もしもし」


 ロキは、スナック菓子を頬張ったまま、雑に通話に出る。


「……え? キミ、それは本当かい?」


 と思えば、たちまち真面目なトーンの声に変わった。何か起きたのかと、ネオンは反射的に身構える。

 ロキの表情を盗み見れば、その横顔は固かった。

 あのロキが、ガチの苦笑いをしている。


「ネオン嬢、お出かけは中止だ。どうやら”アレ”が来るらしい」

「”アレ”って?」

「ああ、キミたちは若いから、もしかしたら初めてなのかもしれないね」


 何のことかわからず、顔を見合わせるネオンとシーシャ。


「天界のミカエル坊ちゃんの癇癪さ。ん? 坊ちゃん? お嬢ちゃん? まあそんなことはどうでもいいか」

「は、天界? なんで急に天界の話が出てくるわけ?」

「さあ? ウチが人間を攫って来たことがバレちゃったのかもしれないね。加えてちょうど、あちらさんの虫の居所が悪かったんだろう」

「そのミカエルってひとが怒ると、どうなるの?」


 シーシャは呑気にロキを見た。


「ルシファーのとこに来てめちゃくちゃ暴れる」

「その”めちゃくちゃ”っていうのはどのくらい……?」

「下層から地層まで吹き飛びかねない大暴れかなー」

「は?」

「ああ、と言っても彼ひとりの力じゃないよ、ルシファーの反撃も込みで、だよ」

「と言っても、の後に入るフォローがフォローになってねえよ」

「大丈夫、地底に長く暮らしてたらよくあることさ」


 そんなにすんなり受け入れられることある? とネオンは半信半疑だ。そもそも、ミカエルとやらの襲来についても、急に言われたって全然頭に入ってこない。


「大丈夫、下層や中層なら、ちゃんと貴族が守ってくれるさ。街の外に無暗に出歩いたりしなければ、何も問題ないよ」

「そっか、それなら良かった」


 シーシャがトニックウォーターのおかわりに手を伸ばす。輪切りのレモンが透明なグラスに沈んでいく。受け入れが早すぎだろ、とネオンは呆れた。


「……待って、あんたはそれ、経験したことあるの?」

「うん、何回かね。前のは何十年前だったかな……期間中は街の貴族が防衛に専念するから、のんびり研究ができて楽だったな……って、」


 ロキはパアっと顔を輝かせた。


「そうだよ、こんな事態だから、貴族どもにワタシを見張っている余裕なんてないはずだよ! 凍結された研究成果だってあっさり取り返せそうだ、ふふっ、堂々と七番街に帰れるんじゃないかい?」

「こいつ、本当に自分の研究が出来れば何でもいいんだな……」


 地底がメチャクチャになりそうだというのに、どこまでも自分本位なロキ。いつも通りの姿に、ネオンは次第に肩の力を抜いていった。


「……あのさ。こんなことが起きるたびに、貴族はそうやって地底を守ってきたの?」

「そうだよ。完全な不死性、無尽蔵の魔力。それが上級悪魔であり貴族である所以の力さ。……ワタシにとっては呪いにも思えるね」

「呪い?」

「ワタシの頭脳をもってしても変えられないものがあるなら、虚しいし怖いじゃないか」


 何かに同情するかのように、ロキは曖昧な微笑を浮かべた。

 

「ともかく、力を持つ者は持たない者に施す義務がある。そうやって上手いこと噛み合いながら、あるいは嚙み合わず血が流れながら、これまで地底は回って来たのさ」

「……へえ。いつかあんたの魔具が一般的になったら、偉い奴らに頼らずに、大きなものを退けられるようになるのかな」

「おや、頼るのはイヤかい? キミは貴族がお気に召さないようだね」

「あんただって同じでしょ」

「それは違うよ。ワタシは別に貴族が憎くて研究をしているんじゃない。奴らは利用し、されるもの。それ以外の感情なんてないよ」

「え、そうなの?」

「そうだよ」


 ロキは大袈裟に髪をかき上げて、大見えを切ってみせる。


「ワタシは、どこまでも自分の頭脳を試したいだけさ! ワタシが地底の在り方を変えてみせることでね! それが大天才、ドクター・ロキの存在証明!」

「ブレないな……」


 ネオンは思わず微笑んだ。いつの間にかシーシャは、テーブルに凭れてウトウトと居眠りをしている。


(そっか、ロキのやつにはブレない意志があるから、苛烈な下層でも生きていけてるんだ)


 ネオンの脳裏をふと、不安が掠める。


 ロキみたいに、貫き通したいものがあるわけでもなく。

 シーシャみたいに、他者に素直に甘え頼ることもできず。


 ボディーガード守るための職業なんて肩書を背負っても、

 貴族みたいに、地底のすべてを守れるわけでもなく。


 私には、何がある?

 私がこの地の底で望むものは、報い? それとも、



 次の瞬間、アパートが崩れる勢いで激しく揺さぶられて、ネオンは慌ててシーシャを抱きとめる。テーブルから転げ落ちそうになっていたシーシャは、揺れに気づいて「わあ」と気の抜けた悲鳴を返した。


「お早い到着だったみたいだねえ」


 ロキが困ったように両手を上げて、光が消えてしまった街の喧騒を見た。

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