第六章

第1話 お好きなカードをどうぞ

 失わないで。変わらないで。

 愛に溢れた素敵な街で、ずっと楽しく暮らしましょう。


 この地の底でならきっと叶えられるのに、どうしてあなたは、そんな顔をするの?









「はあああ? ロキが行方不明!?」


 連絡を受けて、ネオンは思わず叫んでいた。


 砂塵に曇った窓ガラスの向こうに、街の明かりが滲む。

 作り物の極彩色の光。まばゆく彩られた看板。


 変わらぬいつもの十番街に、再び厄介事の気配が訪れようとしていた。


(ロキに例の返事をしようと思ったら、急に連絡が取れないし……何が起きてもおかしくないような奴ではあるけど、消えられたら困るでしょ、さすがに)


 ネオンが握り締めたスマホは、現在、フルーレティ邸と繋がっている。お屋敷のメイド長のヴェルヴェットが、端末の向こうで声をひそめた。


「ええ……ネオン様、先日のニュースはご覧になりましたか?」

「あー、地獄中が大騒ぎになったやつ。そりゃ勿論だけど……」


 事件とロキの失踪に何か関係があるのか? とネオンは訝しむ。


 ついこの間のパーティの直後。つまり、地上のワルプルギスの祝祭のすぐ後から。

 ひとりの生身の人間が、どういうわけか地獄の下層に転移してきたと、地底を揺るがす大事件になっている。


(謎の人間について、憶測と偏見で世の中は大盛り上がりだし)


 地獄の掟。

『地底に、魔に属する種族以外の侵入を許してはいけない』

 それが、王ルシファーの定めた、絶対不変の掟だ。


(たったひとりの人間の侵入でこの騒ぎだってのに、今思えばよく天使の存在を隠し続けられたよな……)


 ネオンは、以前に自分も天使の秘匿に加担していたことを思い出して、鳥肌を立てた。


「その人間の侵入経路なのですが……本人の証言では、こちらで言う移動ゲート、魔力ポータルのようなものを潜って来たとか」

「なんで? 地上にそんなものあるわけなくない?」

「はい……そうなると、誰かが無断で下層から地上へゲートを繋いだ、ということになります。いったい誰がそんな罪を犯したのか、貴族同士が激しく追求を始めました」

「それでこの前から、地底がちょっとピリついてたのか」


 ヴェルヴェットは、言いづらそうにしばらく沈黙する。


「……その結果、ポータルを繋ぐのにロキ様の魔具が使われたのではないかと、結論が出たらしく……」

「あー……そりゃ、厄介だ……」


 ネオンは頭を抱えた。


 地底の大天才、ドクター・ロキ。

 彼女の作る魔具は確かに万能だ。

 おまけに、『すべての悪魔に、平等に力を得る機会を与える』という理念により、魔力さえあれば誰の手によっても動かせるのだ。


「要するに、あいつの魔具が誰かに悪用されて、それで責任を取らされようとしてるってこと?」

「そうかもしれませんし、あの方自身がポータルを開いて、人間を連れてきたと思われているのかもしれません……何にせよ今回の件で、もともとグレーゾーン扱いだった彼女の魔具は、正式に黒、危険因子と判断されてしまいました」

「ちょ、ちょっと、何だよそれっ!?」


 ロキの身を案じて、ネオンはつい声を荒げる。


「それであいつ、姿を消したのか? それ、無事なのか……? ああでも、行方不明ってことは、貴族たちもロキの居場所を掴めてないんだよな?」

「おそらく、そのはずです」


 ネオンは肺から深く息を吐き出した。


「ありがと、色々教えてくれて」

「私の方でも、新しい情報が入ったらすぐにお伝えします。主様はもうしばらく下層に滞在しているでしょうから」

「うん……下層、かあ。あのさヴェルヴェット」

「なんでしょう」

「私さ、ロキの誘いを受けて、七番街に移住しようと思ってたんだよね」


 本当はちゃんとした場を設けて言うつもりだったけど、とネオンは切り出す。


「それでさ……もし良ければ、シーシャのこと、気にかけてやって欲しいんだ。ほら、あんたと最近すごく仲良いでしょ」

「え、ええと……」

「あの子を残して行くの、心残りだから。でも……やっぱり私は憧れを追いたいし、ロキの考えも好きなんだよね。だから、勝手だけど、お願いしたくて」


 階下から、鼻歌とシャワーの音が聞こえてくる。同居人は、ネオンの意思もつゆ知らず、のんびりとバスタイムを楽しんでいるらしい。

 

「……って、ロキがそんな状況じゃ、この話もどうなるかわかんないんだけどね」

「はい……その通りでございますね……」

「このまま有耶無耶になるのもスッキリしないから、どうにかして探し当ててみるよ」


 情報ありがとね、と改めて告げて、ネオンは通話を切った。









 さて、当のロキはどこへ行ったかというと。


「……まさか、キミが地上まで付き合ってくれるとは思わなかったよ」

「勘違いすんな。こっちにまで火種が飛んでくるのは御免だからな。ちょうど旅行にでも行きたい気分だったし、勝手にやってることだ」


 トランプのカードを切るヤドリを見つめて、静かに微笑む。

 人間の姿を借り、地上のモーテルに身を潜めたロキとヤドリは、テーブルを挟んで言葉を交わしていた。


「私は過去にお前と繋がりがある。お前を追う奴らが私のところへ尋ねて来るのも、どうせ時間の問題だったさ。クソ、面倒ばっかり起こしやがって」

「そう邪険にしないでくれよ、ワタシだって嵌められたのだから」


 手札の中のジョーカーを見つめて、忌々しそうに眉を歪めるロキ。


「ワタシが、魔具で地上にポータルを繋いだだって? 連中、何もわかっちゃいない。ワタシの研究はむしろ逆、上級悪魔の一方的な特権であるポータルを、こっちから防げるようにしたかっただけさ」

「あいつら、鍵なんてお構いなしにポコポコ好きな場所に移動するもんな」

「そう、鍵。まさにそれだよ。ポータルに対抗できる鍵を、一般の悪魔でも手に入れられるように広めたかったんだ」


 ロキは、ジョーカーを摘まんでわずかに手札から浮かせた。しょうもない小細工に、ヤドリは苦笑して隣のカードを手に取る。


「じゃあ、誰がお前とお前の魔具に、罪を被せたんだ?」

「あいにく心当たりが多すぎてね……」


 ロキは手札をシャッフルし、じゃあこれは? と言わんばかりに再び一枚のカードを飛び出させる。ヤドリは意に介さず、そこから最も遠いカードを引いた。


「はあ……それにしても、強硬手段に出たものだよ。奴ら、表向きにはワタシの魔具を蛇蝎のように嫌うが、自分にとって都合のいい時だけ、手のひらを返して利用する。だからワタシの研究は、これまでグレーでいられたんだけど」

「甘い蜜を捨ててでも、毒花を始末したかった誰かがいるわけだ」

「そんなロマンチックな例えをされたら照れちゃうよ」


 ロキの手の中のカードは二枚。不自然に飛び出た一枚。


「とはいえ世の中、蜜がないと生きていけない奴らばかり。どうせすぐ、ほとぼりも冷めるさ」

「違いない」


 ヤドリは滑らかな動作でもう片方を引き抜いた。

 引きずられて、不安定なカードが落ちる。ロキは空になった手を見てぼやいた。


「ノリ悪いなあ、ヤドリン」

「子供みたいなことしてんじゃねえよ」


 ヤドリの手の中にはスペードのジャック、そして、床には零れ落ちたジョーカー。


「まあ、しばらく研究が出来ないのは残念だけど、地上を見てたら退屈はしなさそうで良かったよ」

「こんなことでも無いと、出かける機会なんてなかなか無かったからな」

「ね、地上の技術を見て遊ぼうよ」


 ふと、ヤドリのスマホが鳴った。端末に表示された文字は、ネオン。


「誰からだい?」

「……珍しい。私以外にもお前のこと心配してる奴がいるぜ」

「”私”以外”も”? ヤドリン、ワタシのこと心配してくれてたのかい?」


 あ、とヤドリは咄嗟に自らの口を押えた。

 手のひらに感じた頬の熱と、ニヤニヤと吊り上がっていく目の前の唇が、憎らしかった。

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