第10話 エピローグ

 気がつくと、二階堂の視界に映るのは知らない天井だった。


(あ、れ……? ここ、どこだろう?)


 起き上がり、周囲を見回す。正面に窓があるのだろう、カーテンのすきまから入る日射しのおかげで室内がほのかに明るい。右側には床の間があり、左側に真っ白なふすまがある。初めて訪れた部屋のはずなのに、どこか懐かしさを感じるのは、この部屋が和室だからだろうか。


「えっと……玖遠くおんさんと戦って……。そうだ! 采牙さいが君に報告しなきゃ!」


 これまでの記憶を辿り、まだ采牙に報告していなかったことに思い至る。


 二階堂は布団から出ると、違和感を覚えた。玖遠から受けた傷が、きれいさっぱり消えているのだ。内蔵の痛みもない。


(誰かはわかんないけど、ありがとう)


 治療してくれた誰かに心の中で礼を言うと、二階堂は部屋を出ようとふすまを開けた。


「あ! おはようございます。気がついたんですね、よかった」


 そこにいたのは采牙だった。驚き半分うれしさ半分といった表情で告げる。


「おはよう。ごめん、心配かけちゃったみたいで。それと……」


 玖遠のことを言おうとした二階堂の言葉をさえぎるように、采牙は首を横に振った。


「気にしないでください。姉のことは、もう大丈夫ですから。ありがとうございました」


 笑顔でそう告げる采牙。気負っているわけではなさそうだ。


「そう言えば、ここって采牙君の家?」


「いいえ、長老の家です。今は、吟慈ぎんじさんが管理してるそうです。吟慈さんは、長老の孫なんですよ。俺は、昨日から居候させてもらってるだけで」


 と、采牙は素直に答えた。


 二階堂が気を失っている間――昨夜のことだが、蒼矢に客室をあてがったあと、吟慈が采牙に余っている客室を好きに使っていいと言ったのだ。姉を亡くしたばかりの彼の心情を気遣ってのことだろう。


「ここで立ち話もなんですし、居間に行きませんか?」


 コーヒーでも飲みながら話そうと、采牙は提案する。


 二階堂がうなずくと、二人は居間へと歩き出した。


「それにしても、二階堂さんも蒼矢さんも強いですよね」


 廊下を進んでいる途中、采牙が瞳を輝かせながら二階堂に言った。


 昨日、吟慈とともに家屋の陰に身を隠してから、こっそりと玖遠との戦闘を見ていたのだ。


「ありがとう。でも、確実に僕より蒼矢の方が強いよ。僕なんか、ちゃんと戦えるようになったのは最近だからね」


 そう告げる二階堂の脳裏には、武器を持つ前の記憶がよみがえる。戦う術を持たなかったが故に、相棒の命を危険に晒してしまった過去。もう、あの時のような思いはしたくない。


「それでもすごいですよ! どうしたら、そんなに強くなれるんですか?」


「そうだな……。やっぱり、特訓するしかないかもね」


 わずかの逡巡、確信めいた声音で二階堂が告げた。


 二階堂自身、それ以外に方法があるのかどうかさえ知らない。ただ、確実に言えることは、行動しなければ変わるものも変わらないということだ。


「特訓かあ……。なにから始めたらいいですかね?」


「采牙君の場合は、そうだな……術を使えるようになること、かな」


「回復術なら、一つだけですけど使えます。けど、攻撃系はまだ全然……」


 と、采牙は肩を落としてそう言った。


「回復系が使えるなら、それを伸ばせばいいんじゃないかな。誰かの傷を癒やすのも、強くなることの一つだと思うよ」


 二階堂が優しく告げると、采牙は満面の笑みを咲かせる。


 二人がそんな会話をしながら歩いていると、居間に到着した。


 居間では、蒼矢と吟慈がコーヒーを飲みながら話をしていた。食後なのだろう、こたつの上にはパンくずが乗った大皿がある。


「お! 気がついたのか。よかったよかった」


 二階堂に気がついた吟慈が声をかけた。


「おはようございます。すみません、ご心配をおかけしまして」


 言いながら、二階堂は蒼矢の隣に座る。


「いいって、いいって。俺達の方が助けられたんだから」


 なあ? と、吟慈はキッチンから戻ってきた采牙に同意を求める。彼が手にしている盆には、サンドイッチとコーヒーが乗せられている。どうやら、二階堂用に取っておいたらしい。


 采牙は、吟慈の言葉にうなずくと、それを二階堂の前に置いた。


 二階堂は、「いただきます」と言うとサンドイッチを一口食べた。ごく普通のたまごサンドだが、からしマヨネーズを使っているのか、ほどよい辛みがアクセントになっている。


「美味しいね、これ。采牙君が作ったの?」


「はい! 俺、料理はちょっと得意なんです」


 と、采牙はうれしそうに笑みを浮かべる。


 感想もそこそこに、二階堂は四切れのサンドイッチをぺろりと平らげた。


「ごちそうさまでした」


 と、コーヒーを味わいつつ告げる二階堂。


 そんな相棒の食べっぷりを横目で見ていた蒼矢は、


「復活して早々、食いすぎなんじゃねえの?」


 と、にやりと口角を上げながら少し呆れたように言った。


「戦闘後のお前ほどじゃないと思うけど?」


 コーヒーを飲み干して、二階堂が応戦する。


 二人のやり取りを見ていた吟慈は、


「素直じゃないんだからな、まったく。二人とも、食い終わったんなら帰んな」


 と、苦笑しながら言った。


「え? でも、倒壊した家はどうされるんですか?」


 できることがあるなら力になりたいと、二階堂は申し出る。


 だが、吟慈は首を横に振った。


「ここから先は、この里の住民でやるべきことだ。あんたらには、もう充分助けてもらったからな」


 だからこそ、二人にできることはもうないと告げる。


「わかりました。それでは、おいとまいたします」


 そう言って、二階堂は立ち上がった。蒼矢も後に続く。


 家を出た二階堂と蒼矢は、采牙と吟慈に世話になった礼を言った。


「礼を言うのはこっちの方だ。それと、森は一本道で通り抜けられるようにしてあるから安心しな」


 吟慈が言う森とは、里に到着する前に采牙の案内で通った森のことである。どうやら、吟慈の術かなにかで迷いやすいようにしてあるようだ。


「ありがとうございます。それでは」


 そう言うと、二階堂は蒼矢とともに吟慈宅を後にした。


 九尾の里を抜けると、柔らかな木漏れ日がきらきらと森の中を照らしている。瘴気しょうきを取り除いたせいか、清々しい空気に満ちていた。


「そう言えば、采牙君、回復系の術を使えるんだってね」


 もしかしたら、自分の傷を治療してくれたのも彼なのではと、二階堂が言った。


「使えるのは使えるけど、瀕死を治すのはまだ無理みたいだぜ。誠一を治療したのは、医療班っつう治癒術のスペシャリストだとさ」


 と、蒼矢が説明する。


「へえ、そんな人達がいるのか。じゃあ、呪いを解くこともできたり?」


「いや、それは無理らしいぜ。医療班は、あくまでも傷ついた奴を治すことに長けてるんだと」


 だから、呪いを解くことやお祓いのようなことはできないという。


 二階堂が目を覚ます前に、蒼矢も同じ疑問を持ち吟慈に聞いてみた。そうしたら、肩をすくめながら吟慈が答えてくれたのだった。


「そっか……。じゃあどの道、どうしようもなかったわけだ」


「そうみてえだぜ」


 そう言うと、蒼矢は大きなあくびを一つした。


「眠れなかったの?」


「誰かさんのおかげでな。でもま、お前の顔見たら、眠くなってきちまったよ」


 憎まれ口を叩きながら、蒼矢は安心したような顔でそう告げた。


「じゃあ、家に着くまで寝てていいよ。着いたら起こすから」


「おう。くれぐれも、安全運転で頼むぜ」


「わかってるよ」


 二人がそんなことを話しながら歩いて行くと、森の出口が見えてきた。吟慈が言った通り、森の中で迷うことはなかった。


 吟慈への感謝の念を胸に、二人は車に乗り込んで家路についたのだった。

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幽幻亭2〜呪縛の狐~ 倉谷みこと @mikoto794

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