第9話 「ありがとう」

 吟慈ぎんじは、蒼矢そうや采牙さいがを居間に案内する。


「適当にくつろいでくれ」


 そう言うと、吟慈はキッチンに向かった。


 蒼矢と采牙は、部屋の中央にあるこたつに入る。電源が入っていないため、中は当然暖かくない。だが、どこかホッとするような感覚がある。


 しばらくして、吟慈は人数分の湯飲みを乗せた盆を運んできた。


「たいしたもんはないけど、これで少しは落ち着くだろ」


 そう言いながら、湯飲みを二人の前に置いた。


「どうも……」


 蒼矢はそれだけ言うと、湯呑の中に視線を落とした。それには、緑色がきれいな緑茶が入っていて湯気を立てている。


 吟慈は小さくため息をつくと、


「心配だろうが、あいつらに任せておけば大丈夫だよ」


「そうだな……」


 と、うなずく蒼矢だが、言葉とは裏腹に表情はあまり晴れない。


「あ……あの! お腹、すきませんか?」


 気まずい空気が室内を支配しようした時、采牙が口を開いた。


「ああ、そうだな」


 と、吟慈は努めて明るく答える。


「……そう言えば、腹減ったかも」


 とつぶやいた蒼矢は、朝食しか取っていないことを思い出した。


「それじゃあ、俺が作りますよ。俺、料理には自信あるんです。吟慈さん、キッチンお借りしますね」


 采牙は、やや早口に言ってキッチンに向かっていった。


「……気ぃ使われちまったな」


 采牙の後ろ姿を見送ると、蒼矢は自嘲ぎみにつぶやいた。


「あれは、昔からああなんだよ」


 緑茶を飲みながら、吟慈が言った。


「昔から?」


「ああ。なんでも、気まずい空気が苦手なんだと」


「そっか。そりゃ、わりいことしたな」


「ああ、まったくだ。心配なのはわかるけど、少しはお連れさんのこと信じてやりな」


 少し説教じみた言い草だが、吟慈なりに励まそうとしているらしい。


 それを感じ取った蒼矢は礼を言うと、


「実は、そんなに心配はしてねえんだ。あのくらいで死ぬような奴じゃねえしな。ただ……」


 言葉を切って緑茶に口をつけた。上品な旨味が口の中に広がる。美味しい緑茶に気を許したのか、蒼矢は思いがけず饒舌になっていた。


 今まで、戦闘は自分が引き受けてきたこと。昨年の後半から、二階堂が戦闘に参加できるようになったこと。誰かに背中を預けて戦うことに、蒼矢自身あまり慣れていないこと。このままでは、二階堂の命がいくつあっても足りないだろうことなどを話した。


「そりゃ難儀だな。でもまあ、妖怪であるあんたが、フォローしながらやってくのが一番なんじゃないか?」


 それ以外には、自分には考えつかないと吟慈が告げる。


 たしかに、吟慈の言うことはもっともだった。戦闘経験も身体能力も蒼矢の方が上なのだから。


「まあ、それしかないよな……。あっ、悪い。初対面なのに相談に乗ってもらっちまって」


 蒼矢が慌てて言うと、


「いや、いいってことよ。困ってる時はお互い様だ。それに、あんたらは命の恩人だからな」


 礼を言わせてほしいと、吟慈は微笑む。


「あ、いや……結果的に、俺がとどめを刺しちまったから……」


 と、言いよどむ蒼矢に、謙遜はするなと吟慈が真面目な表情で告げた。


「あんたらが来てくれなかったら、今頃、俺やこの里に住む他の連中は玖遠に殺されてた。形はどうあれ、それを阻止できたのはあんたらのおかげだ。ありがとう」


 真正面からぶつけられた吟慈の思いに、蒼矢はとっさに言葉が出てこなかった。


 何か言おうと蒼矢が口を開きかけたとたん、


「お待たせしましたー!」


 と、大皿を持って采牙が戻ってきた。


「お、できたか」


 待ってましたと言わんばかりの吟慈の反応に、蒼矢は拍子抜けしてしまった。


 その切り替えの早さはなんなのかと、ツッコミを入れそうになる。だが、こたつの上に置かれた皿から漂う美味しそうな香りに心奪われ、そんなことはどうでもよくなってしまった。


美味うまそうじゃん」


 つぶやいて視線を向けると、皿の中には肉野菜炒めが湯気を立てている。


「それだけじゃないですよ」


 そう言って、采牙は人数分の丼を一つずつ運んでくる。


 順番にこたつの上に置かれたそれは、ふっくらと大きな油揚げが乗ったきつねうどんだった。これには、蒼矢も吟慈も子どものように目を輝かせている。


 配膳が終わると、


「さあ、冷めないうちに食べましょう」


 と、采牙はやや得意そうな表情で言った。


 三人はほぼ同時に「いただきます」と言うと、きつねうどんから食べ始める。うどんのもちもちした食感と、あっさりしているのにコクのあるスープに体だけでなく心も温まる。


 次に、肉野菜炒めはどうかと箸をつけた。一口大の豚肉は柔らかく、野菜はほどよく歯ごたえが残っている。うどんスープよりも濃い目のしょうゆベースの味つけに、三人の箸は止まることを知らない。


 三人は無言のまま食べ続け、あっという間に完食した。


 一息つくと、蒼矢は素直な感想を告げた。


 吟慈も満足げな表情でうなずく。


「ありがとうございます!」


 采牙は礼を言うと、小さくガッツポーズをした。上機嫌で食器の片づけを始める。


「……それにしても、まだ終わんねえのかな?」


 蒼矢がなにげなくつぶやくと、


「終わったら、教えてくれるだろうよ。それまで待つしかないさ」


 吟慈はそう告げると、なにかを思い出したように居間を後にした。


「待つしかない、か……」


 蒼矢は天井を仰ぐ。今はそれしかできないことに歯がゆさを感じるが、どうしようもない。


 このまま二階堂が助からなければどうしようか? と漠然と考えて、慌てて頭を振った。縁起でもないことを考える自分に嫌気がさし、苦々しく舌打ちをする。


 そこへ、吟慈が戻ってきた。向かいの部屋に寝具を用意したとのことだった。


「悪いな」


「いや、いいってことよ。風呂場も好きに使ってくれ」


 そう言って、吟慈はキッチンへと向かう。おそらく、采牙にも同じようなことを言うためだろう。


 彼に浴室の場所を聞くと、蒼矢はさっそく向かった。曇った思考をクリアにしたかったのだ。


 一旦、狐耳と尻尾を隠して浴室に入る。蒼矢の場合、人に変化へんげしている方がシャワーを浴びやすいのだ。


 清潔感のある風呂場で熱いシャワーを浴びていると、胸につかえていたもやもやが洗い流されていくような感じがした。


(あいつのことだから、けろっとした顔で帰ってくる。……きっと、大丈夫)


 そう心の中で自分に言い聞かせる蒼矢。その後のことは、実際に二階堂が戻ってきてから考えることにした。今この場で考えても、きっといい案は出てこないだろうから。


 浴室から出た蒼矢は、妖気でタオルと着替えを作り出す。もふもふのタオルで水気を拭き取り着替えると、ふいに大きなあくびが一つ出た。どうやら、思っていた以上に自分は疲れているらしい。


 用意してもらった部屋に行くと、蒼矢はもそもそと布団に入りすぐに眠りに落ちていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る