第7話 己の気持ち

 庭の外から剣戟の音が聞こえ、絃葉は勢いよく体を起こした。部屋に射し込む朝日。朝特有の静寂を切り裂く剣戟に、敵襲が来たのかと構える。だが、いくら注意深く耳を済ませても、怒号や悲鳴は聞こえてこない。不思議に思い障子の隙間から庭を覗き込むと、時之と兄の良忠が稽古をしていた。剣豪と称されている二人が手合わせをしているのは日常茶飯事だが、普段二人は絃葉が日中に琴や茶道の稽古をしている時に剣術に励んでいるので、この時間からやっているのは珍しい。


「もう一度いくぞ、時之!」

「ええ。私もこのまま参ります」


 凛とした佇まい。二人の瞳に漲っているのは揺らがない意志だけ。纏う雰囲気そのものが変わり、刀を構える両者。刀を構えてるだけだというのに、前を見据える真剣な眼差しに、縫とめられているように目を逸らすことが出来ない。束の間の時間に走る緊張感。刃の先から伝わる二人の責任感や信念。それらがのしかかってくる感覚に絃葉はそっと息を呑む。


 刹那、微かに時之の足が動いた。微々たる動きに気づく良忠。時之を制そうと刀を振る──が、風を薙ぎ払う音が聞こえた時にはもう良忠の刀に時之の斬撃が加わっていた。目に見えぬ早さ。一瞬で時之は間合を詰めたのだろう。耳を劈く金属音に、絃葉は思わず眉を顰める。良忠でなければ既に刀が弾き飛ばされていたのは確実。それは刀に触れる機会のない絃葉でもわかった。留まることを知らない攻戦。重いであろう時之の斬撃。それに圧されること無く、良忠は冷静に刀の軌道を追う。身を捩り、僅かな隙間に狙いを定める。一糸乱れぬ良忠の剣筋。攻防を継続する良忠に、絃葉はただ唖然する。圧倒されるとはまさにこの事だ。


「邪魔、しないようにしないと」


 とはいえ、活動に気付いたからにはこのまま自分だけが寛いで居るのも気が引ける。お茶でも淹れてこようと絃葉が台所に向かおうとしたその時、懐から懐剣が滑り落ちた。気づいた時には既に遅く、障子に当たった音に気づいた二人が一斉に絃葉を振り返る。


「……絃葉?」


 前髪の隙間から僅かに見える良忠の瞳が絃葉を捉えた途端、驚いたように見開かれる。


「っ、おはようございますお兄様。時之……」

「珍しいな、絃葉がこの時間に起きるのは。まだ早朝だが」

「絃葉様……申し訳ありません。起こしていまいましたか?」


 刀を鞘に納めながら時之は縁側へと近づく。結果的に邪魔をしてしまった絃葉は罪悪感を胸に募らせた。


「違うの。少し目が覚めて。それに謝らないといけないのは私の方。ごめんなさい。時之はまたお兄様と手合わせを?」

「はい。ですがもうそろそろ終わりにしようとしていました……折角のお二人の時間ですので、私はこれにて失礼致しますね」


 慇懃に告げ、時之はその場を後にする。取り残された絃葉は縁側に腰を下ろす良忠を一瞥した。決して仲は悪くは無いが、普段それぞれ行動しているのであまり関わる事自体が少ない。視線を彷徨わせていると、良忠はわざとらしくため息を零した。


「別にそんなに堅くならくていい。俺と絃葉は確かに話す機会はあまり無いが……」

「……はい。あの、お兄様の剣術しっかりみたのは初めてでした」

「そういえば、お前はいつも別で茶道や華道の稽古しているんだったか。時之にはいつも手合わせを頼んでいる。俺は強くなり、いつか父上のように任務を果たしたいんだ」


 良忠は抜刀すると、刀を掲げる。


「守るため、使命を果たすために刀を振るのが武士だ。絃葉は刀に触れる機会はあまりないと思うが、武士を残酷なものだとは思わないで欲しい。互いの信念がぶつかり合うからこそ、免れない死がある。……昨日母上の前に現れた妖と会ったらしいな。父上から聞いた」

「はい………会い、ました」


 突如出てきた妖の言葉に絃葉は気を引きしめる。やはり良忠も梓忠や時之と同じく妖は悪だと先入観を抱いてるのだろうか。余計なことは言わないよう唇を噛み締めていると、不意に良忠と目が合う。


「……絃葉。俺はその妖とお前を肯定する訳ではない。けど、お前はもう少し自分の気持ちに素直になったらどうだ?」

「自分の気持ちに?」

「ああ。お前は妖にあったみたいだが、これからあの妖をどうしたいんだ?」

「私は……」


 思考を廻らす。妖狐と色葉に何があったのか──その真実を実際に会って聞けば、あの妖狐は危険に晒される可能性は高くなる。周囲の者は過去を出しては皆口を揃えて妖は危険だと告げているが、己の心に湧き上がる疑念は拭えない。例え真実が切なく、残酷でも。あの妖狐を最後まで信じ抜く事は罪なのだろうか。


「私はあの妖を」


 ──守りたい。


 浮かび上がった偽りない気持ち。揺るがない意思。それは次第に決意となり、己の力へと変わっていく。絃葉は懐にしまった懐剣にそっと手を置く。それは自分自身の気持ちを確かめるように。一呼吸置いて、絃葉は良忠を真っ直ぐ見据えた。


「お兄様──宜しければ私に剣術を教えて下さい」

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言の葉に想いをのせて 東雲紗凪 @tutunome

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