第7話 修道女のため息5



 声のしたほうをふりかえる。

 柱のかげから僧衣をまとった男が現れた。華やかな金糸の刺繍ししゅうをほどこされた衣服を見れば、位の高さがうかがえる。


 なるほど。これがウワサのセヴランかと、ワレスは直感した。ひとめ見て、いい男だったからだ。


 まだ、とても若い。ワレスとそう年齢は変わらない。よくある黒髪黒い瞳だが、顔立ちは女性のように美しい。だが、修道女なら頭からフードをかぶって髪を隠しているから、まちがいなく男だ。


「失礼。迷ってしまいました。私はマチアス・ル・アズナヴール。マノンの兄です」と、用意の嘘をつく。


「そうですか。伯爵家の……ですが、本来、修道女の間は男子禁制だ。妹君の部屋から出ないようにしていただきたい。でなければ、おひきとりください」

「ごもっとも。すぐに帰る。だが、また迷うかもしれないので、あなたに案内してもらいたいのだが」

「私と言えど、そこからさきへは行けない」


 そう言うので、ワレスは聞いてみた。


「あなたは?」

「私は修道士長のセヴランです。まもなく神官になります」


 なるほど。神官ならば、異性との接触を完全に断たなければならない。神官になることが決まっているセヴランも、それに準ずる立場なのだ。


 だが、ワレスはこの男の顔に見覚えがあった。以前、会ったことがある。いったい、どこだっただろうか? つい最近のような気がするのだが。


「お若いのに修道士長か。それは素晴らしい」と、ワレスは見えすいたお世辞を言った。が、セヴランの顔つきはくもる。


 ワレスもそうだったし、エチエンヌも神殿で生きるしかない事情があった。若くして神に身命をなげうつなんて、ふつうの男にとっては生きながら死ぬのと同じだ。深いわけがあるに違いない。


「あなたはなぜ、神官になるのですか?」

「どうして?」

「悲しげな顔になったから」


 セヴランは何やら物思いにふける。


「私は数年前に恋人を亡くしました。だから、残りの人生を神に捧げるのです。永遠の愛を亡き恋人に誓ったので」

「なるほど」


 なんだか、この男はおれと似ているなと、ワレスは思った。


 一見、まったく逆の方向へ行ったように見える。だが、恋人を亡くしたそのときから、一方は神の道へ進むことで現世の愛を断ち、もう一方は心の底でずっと変わらぬ愛を死者と交わしながら、うわべだけの恋にあけくれる。それもまた、誰か一人に真心を与えないための一つの方便……。


「そう。あなたに神の導きがありますように」


 セヴランの手をとり指さきにキスをする。セヴランはどことなく、うしろめたいような目つきをした。なんとなく、何かがおかしい。


 疑問に感じながら、もとのろうかを歩いていく。


 部屋に帰ると、マノンはいなかった。ユーリアもいない。ニコルは一人で部屋の掃除をしている。


「マノンはユーリアと出ていったのか?」

「…………」

「違うのか?」

「それが、ユーリアは洗濯に行っています。わたしはお止めしたのですが、どうしても聞き入れてくださらなくて……」


 つまり、マノンは侍女をふりきり、一人で出ていった——と。あれほど厳重注意しておいたのに、あきれたことだ。


 しかし、これは予想どおりである。どうせまた、庭へ出ていったのだろう。


 ワレスはテラスから外へむかう。貴族の庭園では見ない花やハーブが目につく。

 すると、頭上から声が聞こえてきた。見あげると、二階の窓辺で修道女が二人、話している。


「今夜……」

「ええ。もう、それしか……」

「今度こそ間違えないように」

「修道女のため息……」


 顔は見えない。しかし、その声は今朝方、夢うつつで聞いた女のそれだ。

 なんだかとても悲しげで、涙をおさえる仕草をしながら手をにぎりあっている。


 すぐに捕まえたい。だが、どうやってその場に行けばいいのか間取りを考えていたときだ。修道女の片方がワレスに気づいた。あわてて二人は去っていく。そのとき、彼女たちのよこ顔が見えた。


 そうだ。あの二人は昨日、マノンにひっついていたときにも見かけた。一人はマノンの刺繍の先生だ。もう一人は途中でやってきて、先生と話していた。


 もうだいたいのところわかった。

 ワレスが昨日の薬草園へ行くと、思ったとおり、マノンがスズランの花をむしっている。


「マノン!」


 ワレスが呼びかけると、ビクリと肩をふるわせた。イタズラが見つかった子どもの顔をしている。


「まったく! やっぱり、おまえはとんでもないヤツだな!」

「だって、だって!」

「だってじゃない! おまえ、ほんとに死んだらどうする気だ?」

「死なないもん。シスターがそう言ってた」

「死ぬんだよ!」


 言い争うワレスたちを見て、物陰からエチエンヌがやってくる。


「エチエンヌ。今日、ここで毒草をむしっていたのは誰だ?」

「マノンさまだけです。少なくとも、私が見ているうちは」

「だろうな」


 ワレスはマノンの腕をひっぱって部屋までつれて帰る。

 そして、今すぐアズナヴール家から家令をつれてくるよう、ニコルに頼んだ。


 しばらくして、家令はやってきた。すでに、ワレスが何を言いだすつもりか予測しているようだ。顔を見るなり、例のハンカチをとりだす。


「申しわけござりませぬ。じいが……このじいやがすべて悪いのです。姫さまは何も悪くございません。なにとぞ、おゆるしくださいませ」


 ワレスの前に平伏して、文字どおり平謝りだ。

 白髪の目立つ頭を見おろして、ワレスは自分を落ちつけるために深呼吸する。


「……つまり、おまえがマノンをそそのかしたんだな?」

「はい。姫さまに泣きつかれまして、あまりにもおかわいそうでしたので」

「毒殺されそうだと嘘をついて、おれをここへつれてきた。ほんとは何もなかったんだ。ただ、マノンがおれに会いたがってただけ。そうだな?」


 つまり、自作自演だ。だからこそ、侍女と三人でお茶をたしなんだのに、毒を飲んだのはマノンだけだった。腹ぐあいが悪かったんじゃないかとたずねると、いやに強く毒だと断定した。


 すべて、じいやとマノンが仕組んだ嘘だったからだ。


「しかも、マノン。おまえ、昨日はおれがスズランを毒草だと言ったら、それを自分の食事に入れて自ら食べた。今夜もやるつもりだったろ?」

「だって、ワレスが心配して、ずっといっしょにいてくれるかなって」

「だからってほんとに毒を食うやつがあるか!」

「ごめんなさい。ごめん……」


 マノンの両眼からボロボロ涙があふれおちる。ほんとに反省しているのだろうか? 自分で毒を食らうなんて、とんでもない娘だ。エキセントリックにもほどがある。


 しかし、マノンは意外なことを言った。


「でも、最初のときも、ほんとに気分が悪くなったよ。それはボクがやったんじゃない。二回めは自分だったけど」


 ワレスは硬直する。

「なんだって?」

「だから、一回めに倒れたのは、ほんとだよ」

「じいやと計画して毒殺されそうになったふりをしたんだろう?」

「そのつもりだったよ。でも、その話のあと気持ち悪くなったから、お芝居する必要なかった」

「…………」


 それならば、少し話が変わってくる。

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