第7話 修道女のため息4



 あたりを探したが誰も見つけることはできなかった。

 自室に帰り、ワレスはすっかり日が昇るまで眠りについた。


「マチアスさま。マチアスさま。起きてください。もうすぐ昼になりますよ」


 誰かに優しくゆり起こされて、ワレスは目をさました。エチエンヌが頬をそめて見おろしている。そういえば、マノンの兄のふりをしているのだった。


「マノンさまがお呼びなのだそうです。さっきから何度も、むこうからお迎えが来ています」

「むこうって?」

「修道女の間です」

「ああ」


 エチエンヌはワレスの胸に頬をよせてから、着替えを手伝ってくれた。きっと彼は女性だったなら、かいがいしい妻になるタイプだ。


「エチエンヌ」

「はい」

「修道士と修道女は生活の場が完全に隔絶かくぜつされてるよな?」

「もちろんです」

「今朝、おまえが帰ったあと、女の声が聞こえたんだ。誰かと話していた」

「そんなはずありませんが……」

「そうだよな」


 エチエンヌからレイグラ神殿の間取りを聞いた。


 レイグラ神殿にかぎらず、この皇居内の十二の神殿では、中央に祈りの間と呼ばれる場所がある。神を祀る祭壇をもうけた、もっとも神殿らしい儀式をとりおこなう場所だ。


 その左右に修道女の間、修道士の間という、それぞれの生活の場がある。男女が顔をあわせるのは祈りの間だけである。宿舎は複数の神殿と共有だ。


 では、昨日のアレはなんだったのだろう? ワレスが寝ぼけていたのだろうか?


「エチエンヌ。おれはマノンのところに行くが、おまえに頼みたいことがある」

「はい。なんでしょう?」


 瞳をキラキラさせて従順に問われると、なんだかうしろめたい。マノンの毒殺未遂に関連しているとなれば、危険がないとは言いきれない。


「庭へは男女どちらでも行けるんだろう?」

「場所によりますが、薬草園は共有の場です」

「薬草園というより毒草園だな」


 ワレスが言うと、エチエンヌは苦笑した。


「まあ、そうですね。ただのハーブもあるにはありますが、ほとんどは猛毒を持つ植物です」

「だよな。キョウチクトウ、トリカブト、スズラン、チューリップ。あまつさえ、天使の笛や修道女のため息まで」

「よくご存じですね」

「薬草については学校で習う」


 エチエンヌは説明した。


「この十二の神殿は、すべて皇帝陛下の所有です。皇室のためにわれわれは働いています。陛下の御世が末永く安泰であるように神に祈ることもそうですが、神殿によっては、もっと実質的な働きがあります。たとえば、死者の安息を司るデリサデーラの神殿では、代々の皇家のかたがたの墓をお守りいたします。星の神ルーラの神殿では、天体を見てまつりごとを占います。

 ここ、レイグラの神殿は法の番人です。罪人には陛下のご裁定にそった罰をくだします。つまり、死刑者には死を。そのための毒を用意するのです」

「やはりな。そうじゃないかと思った」


 平民の死刑の方法はたいてい絞首刑だ。広場で首をしめられ、さらし者にされる。罪人に遺族がいない場合は死体が何日も放置されることすらあった。そういう点、中世とあまり変わっていない。


 ただ、罪人が貴族の場合は別だ。身分があるので、かなりの重罪であっても、貴族専用の監獄に生涯を幽閉されるだけで終わることが多い。死刑の場合は毒殺だ。そのための猛毒を育てているのが、このレイグラ神殿というわけだ。


「誰かがその毒を悪用して、マノンを殺そうとした。おそらく、あの症状はスズランだろうな……」


 スズラン。何かひっかかる。

 ワレスは考えこんだ。

 エチエンヌが問いかけてくる。


「それで、私は何をしたらいいですか?」

「ああ。誰かが毒を盗みださないか、薬草園を見張っていてほしいんだ」

「一日じゅうはムリです。私にも労働がありますから」

「ああ。昼間のあいだだけでいい」

「一刻だけなら、なんとか」

「わかった。それなら——」


 作戦を耳元に吹きこむと、エチエンヌはくすぐったそうに笑った。


 そのあと、ワレスは修道女の間へ帰り、マノンの部屋へむかった。


「ワレス! 遅い!」

「どうしたんだ? 何かあったのか?」

「うん!」


 また毒でも……というわけではなかった。いやに瞳がウルウルしていると思えば、


「ボク、男の子に好きって言われた!」

「……えっ?」

「朝の散歩に行ったとき、修道士に会ったんだ。前に祈りの間でボクを見たときから、ずっと気になってたんだって!」


 まあ、マノンは見ためだけで言えば、可愛い女の子だ。男装したり、男の子のようなふるまいをしたり、ちょっと変わり者ではあるものの、造作はひじょうに整っている。ひとめ惚れする男がいても不思議はない。


「ふうん。相手は誰? 名前くらいは聞いたんだろ?」

「うん。とってもキレイな男の子だよ。エチエンヌって言うんだ」

「…………」


 ワレスはひざからくずれおちそうになった。たしかに、行儀見習いに来た貴族の娘をくどけばいいと言った。まさか、それをさっそく実践するとは。


「……キスはしたか?」

「えっ?」


 マノンは答えない。が、その顔は真っ赤だ。エチエンヌは優秀な生徒らしい。ワレスの教えを忠実に守っている。十三の小娘にいきなり大人のキスをしたわけだ。


「……キスだけだよな?」

「えっ? キスのほかにもすることあるの?」

「いや、ない。まだ、おまえは知らなくていい」

「ふうん?」


 そこは省略してくれて、ホッとする。


「わかった。ところで、おれはちょっと神殿のなかを調べに行く。今日は侍女たちといっしょにいるんだぞ?」

「ええ? ワレス、行っちゃうの? つまんない」

「おまえのためなんだ。我慢しろ」


 文句を言うマノンを残して、ワレスは神殿内をうろつきまわった。


 修道女の間をワレス一人で歩いていると、女たちの視線が痛い。責めるような目をしている者もいるが、ほとんどは食い入るように凝視している。男というだけでめずらしいだろう。その上、なにしろ、皇都でも屈指の美青年だ。ワレスが声をかけたら失神しかねない。


「スゴイ美形ね。美神アレイラ神殿の神官かしら?」

「まさか。神官なら、よその神殿になんて行かないわ。異性を見たらいけないんでしょ?」

「セヴランさまより美男ね」


 そんなコソコソ話が聞こえてくる。


(セヴラン? 誰だろう?)


 だが、たずねようとすると、キャーキャー歓声をあげて逃げていく。修道女というのはあつかいにくい。


 しかたなく、ワレスは進んでいった。

 やがて、祈りの間とおぼしきところに出る。天井の高い講堂に祭壇。神像がある。


 すると、とつぜん——


「どなたですか?」

 男の声がした。

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