第7話 修道女のため息3



 目の前で倒れたマノンは、たしかに毒を飲まされていた。やはり、誰かに命を狙われている。


「いいか? ニコル。ユーリア。おまえたちは片時もマノンのそばを離れるな? 少なくとも、必ずどちらか一人はそばについているんだ」


 侍女二人にそう言い残し、ワレスは女性用の宿舎を去った。いくら兄とは言え、寝室は別々でなければならない。ただの行儀見習いのマノンでも、そこは守らなければならないのだ。


 修道女や神官たちの宿舎はいくつかの神殿で共同のようだ。皇居内の神殿の一つずつは規模が小さい。一つの宿舎で三十人ほどが寝泊まりしている。


 ちなみに、神に生涯を捧げると言っても、神官や巫女と、修道士、修道女は厳密に言えば異なる。

 他国ではどうか知らないが、ユイラでは神託を告げることのできる者たち、またはそれをめざす者たちが神官、巫女であり、それ以外の男を修道士、女を修道女と呼ぶ。

 マノンのように行儀見習いとして一時的に居候いそうろうしている者は修道女(修道士)見習いである。


 神官や巫女は男女の居場所を厳格に峻別しゅんべつされている。異性を見ることもゆるされない。見れば、心が乱れるからだ。神の声を聞くのは、それほど難しいことなのだ。


 それにくらべれば、修道士や修道女はまだ戒律が優しい。昼間の祈りの儀式などは、同じ神殿に仕える者なら、男女が同座することもある。また、場合によっては還俗がゆるされていた。


「では、私めは屋敷へ戻らねばなりませぬので。あとのことはよろしくお願いいたしまする」


 家令はそう言って、去っていった。去りぎわにもう一度、泣きまねをしておくべきか迷っていたが、もう必要ないと判断したらしかった。そっけなく背をむける。


「マチアスさま。こちらへどうぞ。急なこととて掃除も行き届きませんが」


 若い修道士のエチエンヌが案内してくれた。部屋はせまいが個室だ。たぶん急な客用につねに用意されている。掃除が行き届かないなんてことは、まったくなかった。清潔そのものだ。


 ワレスは寝台に腰かけながら、エチエンヌに話しかけた。


「エチエンヌは何歳?」

「なぜです?」

「とても若いから。まだ十代だろう?」

「はい。十六になりました」

「なぜ、その年で神に身を捧げると決心したんだ?」

「私は赤ん坊のころ、神殿の前にすてられていましたので、それ以外の選択肢がありません」

「ふうん」


 すて子。しかも、わざわざ皇居内のこの神殿の前にだ。おそらく貴族の娘が人に言えない子どもを宿して、ひそかに生んだあと、始末に困ったのだろう。ここは一般人が入ってこれる場所ではない。


「そうか。かわいそうにな。本来なら、どこかの令息として何不自由なく育てられただろうに」

「どうせ身分違いの恋の結果でしょう。とっくにあきらめがついておりますよ」


 十六とは思えない物言いをする。十三なのに幼児みたいなマノンとは正反対だ。


「そう悲観することはないんじゃないかな? おれなら、行儀見習いに来た貴族の娘をくどいて婿養子を狙うな」


 エチエンヌはワレスのおもてを見つめたあと、急に笑いだした。


「素敵です。そういう方法もあるんですね」

「修道士見習いのうちは、まだ手がある。神官にさせられる前に決着をつけるんだ」

「そんなこと考えもしなかった」


 ワレスは手招きして、エチエンヌを自分のとなりにすわらせる。

 明るいクリームブラウンの巻毛に水色の瞳のエチエンヌ。ユイラ人だから顔立ちも女の子みたいに可愛い。少し面長で、将来はハンサムになるだろう。


「女の子のくどきかたを教えてやろうか?」

「どうやるの?」

「キスが上手なら、たいていの女は落とせる」


 エチエンヌの肩を抱くと、少年はそっと目を閉じた。頬は紅潮し、胸に手をあてると心臓がドキドキしている。きっと初めてだろう。

 もつれるように寝台に倒れこみ、濃密なキスをくりかえす。


 もちろん、エチエンヌが可愛かったから、というのもある。だが、それだけが理由ではなかった。


 ワレスは自力で神殿を逃げだした。でもそれは、アウティグル伯爵の援助がなければ、かなわなかっただろう。だから、未来の選択肢をうばわれたエチエンヌが、過去の自分を思わせた。できるなら、自由になってほしい。


 やがて、エチエンヌはウットリとささやく。


「女の子より、あなたがいい」

「大丈夫。今に女のほうがよくなる」

「そうかな?」

「そうさ」


 夜明け前に、エチエンヌは帰っていった。

 うとうとしていたワレスは、ろうかを歩く足音に目をさまされる。この時間に誰だろう? それとも朝の早い神殿の連中だから、もう起きてきたのか?


「……さま」

「しッ。こちらです」


 おかしい。今の声は女ではなかったか?


 ワレスはベッドの上に起きあがった。しかし、それきり話し声は聞こえない。空耳だったのだろうか?


(まさかな。ここは修道士たちの寝所だ。女の声なんてするわけがない)


 そうは思うのだが、なんだか気になる。寝室をぬけだし、ろうかを歩いた。人影はない。が——


(この花は……)


 柱のかげに白い花が落ちている。一見、百合に似た美しい花。天使の笛と呼ばれている。可憐な見ためとは裏腹に、強烈な毒花である。強い幻覚作用があり、人間が口にすると異常行動を起こす。


 女の声。それに毒。

 なんだか、イヤな予感がする。

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