第42話(模擬戦⑧)16歳
【前回:わたしは魔力不足に苦しみながら、ヘルミとの決勝戦に臨む】
わたしは左手に片手剣を持ち、ヘルミと向き合う。
二本の短剣を逆手に構えたヘルミには一分の隙もない。人を寄せ付けない雰囲気も相まって、ヘルミ自身が鋭利な剃刀のようだ。
ヘルミが言う。
「どうした、攻めてこないのか」
「そうね。ゆっくり楽しませてもらうわ」
わたしは余裕ありげに答えたが、実際には余裕などなかった。
魔力の残量は限られている。オルガに分けてもらい、休憩で少し回復したとはいえ、巻き戻しはもう使えない。
リンナとの試合のように、いきなり加速魔法を使う手はある。だが、わたしはヘルミの攻撃をまずは受けてみようと思った。魔力を身体能力の強化に振ったヘルミの戦法を体感してみたかった。
わたしはもともとヘルミと同じ風属性の魔法使いだ。ヘルミの技は、わたしが成し得なかった風魔法のひとつの到達点だった。
「じゃあ、こっちから行くぞ」
ヘルミは次の瞬間、眼前にいた。まさに風のように。
一瞬で距離を詰めたヘルミが左手の短剣で下から斬り上げてくる。わたしはのけぞるようにしてかわす。続いて右の短剣で横なぎに斬りつけてきた。わたしは下がらずに前に踏み込み、頭を下げてかわす。そのままヘルミの横をすり抜け、距離をとる。
「ひゅう」
ヘルミが口笛を鳴らした。わたしが攻撃を受け切ったのを褒めるかのように。あそこで下がっていたら
わたしはほぼ全力だったが、ヘルミはまだ本気を出していない。そして受け切ったとはいえ、ヘルミはわたしを完全に捕捉していた。戦闘中、ヘルミの眼球が上下左右に細かく動き、わたしの挙動を読み取っていた。
おそらく、ヘルミは魔力で眼球も強化している。ライラとの一戦をみると、視覚のみならず、聴覚や嗅覚も強化しているかもしれない。五感をフルに駆使して敵の動きを予測している。
感心する間もなく、ヘルミが再び距離を詰めてきた。
わたしはいったん横飛びに逃げつつ、片手剣でヘルミのすねに斬りかかる。素早く反応したはずだが、魔力で強化されたヘルミの動きは一枚上手だ。ヘルミはわたしの剣の軌道を見極め、間合いの外に下がった。
ヘルミと対峙していると、焼けつくような緊張感とともに、胸の奥がゾクゾクしてくる。魔法の可能性を追究する喜びに、わたしの身体が反応しているのだ。
ヘルミの身体強化は、わたしの魔法にも応用できるのではないか。時間魔法を身体の一部分にだけかけるのはどうか——。
試合の途中なのに、そんなアイデアが次々と浮かんでくる。普段から魔法のことばかり考えているわたしは、ヘルミから受ける刺激が楽しくて仕方がない。
「ねぇ、ヘルミ」
「何だ?」
「あなたって、やっぱり素敵ね」
「はぁ? な、何言ってやがる」
「あなたのこと、すごく気に入ったんだもの。素敵よ。もっともっと深く知りたい」
わたしを睨みつけるヘルミの顔がみるみる耳まで赤く染まった。ヘルミは頭を左右に激しく振ると、声を上げた。
「妙なことを言うな! それよりも、本気を出しやがれ」
本気を出せ、か。
そこまで言うなら、見せてやろう。
もとより時間魔法を使わずに勝てる相手とは思っていない。わたしは心の中でイメージの砂時計をカチリとまわす。
その瞬間、ヘルミの表情が変わった。ヘルミが魔力を全開にして、後方に飛びすさる。
それは理屈ではなく、動物的な勘だろう。ヘルミは研ぎ澄まされた五感で危機を察知し、全力でわたしから離脱しようとした。
だが、もう遅い。わたしは加速魔法を発動した。
ヘルミは一瞬で数十メートルも後方に移動していたが、わたしは楽々と追いつくと、ヘルミの背中に回る。
わたしはヘルミの逆立ったブロンドヘアを後ろから眺める。細い首筋と、しなやかな背中も。その背中に手をあてて押さえつけた。
「うわあああ!」
ヘルミは、わたしに背後を取られたことに気付くと叫び声を上げた。闘技場の床を転がるように前のめりに逃げ、距離をとると立ち上がった。
ヘルミが青ざめている。
それはそうだろう。
わたしから離れるために後方に下がったはずが、そのわたしが先回りしていたのだ。
観客席も唖然としていた。
決勝まで圧倒的な強さを見せつけていたヘルミが、突然、恐怖に取り乱したからだ。
ヘルミは逃げるときに短剣をひとつ落としていた。わたしはそれを拾い上げ、ヘルミに投げた。ヘルミは苦もなくキャッチすると、観客席には聞こえないくらいの細い小さな声で言った。
「アタシより速いヤツなんて、学校にはいないと思っていた」
「いないかも。わたし以外には」
「それに、その魔力。まさかオマエは、
「よくわかるのね」
「馬鹿な。デタラメすぎる」
「否定はしないわ」
「……このままで」
「うん?」
「このままで、済むか!」
ヘルミが再び魔力を全開にすると、二人になった。
幻像や残像ではない、自分の完全な複製を生み出す高度な魔法だ。有効時間は数秒から数十秒と短いが、攻撃力が倍増できる。かつてヴィルマが使ったのを見たが、通常はこの若さで習得できる技ではない。
二人のヘルミが左右から同時にわたしに斬りかかる。休む間もなく、執拗に。狂犬というあだ名がつくのもわかる、狂ったような激しい連続攻撃だ。
しかし、加速魔法を発動したわたしには、脅威でも何でもない。いまのわたしは至近から放たれた矢をつかむことだってできるのだ。
わたしはヘルミの攻撃の全てを片手剣で受け止め、いなす。頃合いを見て短剣を奪うと場外に捨て、二人のヘルミにそれぞれ腕を絡めて投げ技をかけた。
加速魔法を解除すると、二人のヘルミが絡み合うように、もんどり打って倒れ、一人に戻った。わたしは立ち上がろうともがくヘルミに追い討ちをかけ、さらに投げ飛ばす。
数秒後に再び起き上がったヘルミは、周囲を見渡して短剣を探す。それがわたしの手で場外に落とされていたことに気付くと、肩を落として戦意を喪失した。
「勝者、アイカ」
教授の言葉に、闘技場にどよめきと歓声が広がる。キーラとアレクシスが観客席から駆け降りてきて、わたしに抱きついた。
「やったね、アイカ!」
「あはは、本当に優勝したよ。アイカ、おめでとう」
「ふふ、ありがとう」
魔力はあと少しでなくなる寸前だった。
ヘルミは闘技場の真ん中に、ひとり、座り込んでいる。わたしはキーラたちから離れ、場外から短剣を拾い上げると、ヘルミに近づいた。
トサカのような髪の毛が戦闘でくしゃくしゃに乱れている。放心しているヘルミは、年相応に幼く見えた。
わたしが歩み寄ると、ヘルミがつぶやいた。
「……負けた」
「はい、これ」
わたしは短剣を差し出した。
ヘルミは短剣を受け取り、わたしを見る。その途端、ヘルミの両眼から涙がこぼれた。
「負けたっ。くっ……。卒業するまで、誰にも負けないって、決めていたのにっ」
わたしはヘルミの肩に触れようと手を伸ばす。ヘルミはその手を払いのけて立ち上がり、そのまま走って闘技場を出て行った。
教授とレオ、それにライラとリンナも闘技場に上がってきた。いろいろな人に話しかけられ、讃えられ、喧騒の渦に巻き込まれながら、わたしはヘルミが立ち去った方を見ていた。
【模擬戦の章、終了。次回は幕間】
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