第43話(幕間 赤い牛)19歳

【第34話(幕間 カレフ潜入)の続き:わたしとヘルミとアレクシスは隣国カレフ王国に潜入した】


「うわぁ……」

 わたしは馬車の窓から見える景色に、思わず感嘆を漏らした。


 カレフ王国の首都タリアは中世から商都として知られる街だ。城壁に囲まれた市街に入ると、馬車や荷車がにぎやかに行き交っていた。建物の多くは中世そのままの造りで、石壁とオレンジ色の瓦屋根の対比が美しい。


 わたしはノール帝国の外に出たことがほとんどない。父や母や姉が生きていた頃に家族で旅行したことはあるが、カレフに来たことはなかった。


 ヘルミがわたしに腕を絡めて言う。

「うふふ。はしゃいでいるアイカさまって、何だか珍しい。タリアは教会が見所ですよ」

 アレクシスが口を挟んだ。

「わかっているだろうけど、観光に来たんじゃないからね」


 街には、二種類のローブを着た魔法使いがいた。聞いていた通りだ。黒と白の縦じまが聖堂魔法師団、赤地に金の縁取りが「赤い牛」と呼ばれる傭兵魔法師団だった。


「それにしても赤牛野郎が鬱陶しいですね」

 ヘルミがささやく。確かに、一癖も二癖もありそうな連中が肩をそびやかしている。


 縦じまが正規の魔法師団だ。だが、三年前に現ルドルフ王が即位して以来、赤いローブが幅をきかせている。ルドルフは赤い牛を手駒に権謀術策をめぐらして王位を簒奪したのだ。


 カレフはノール帝国に比べれば小国だが、ルドルフのもとで国の右傾化が急速に強まり、ノール帝国との関係はかつてないほど悪化している。


 馬車を駆る案内役のフーゴが釘をさした。

「赤い牛ににらまれると面倒ですよ。気をつけてください」

 フーゴはタリア市民として何十年も暮らしている初老の男で、ノール帝国の協力者、いわゆる「草(間者)」だ。


「アイカさまのことですから、揉め事を起こさない自信はないですよね」

「まぁ、ほどほどにしておくわ」

「ほどほどにじゃないって。二人とも頼むから目立たないでくれよ」

 アレクシスが懇願した。


 ところで、わたしたちは商人に扮している。タリアは交易が盛んで他国からの出入りも多い。ノルンを出る前に、ちゃんと大手商社のキヴィ商会から仕事を請け負っていた。かつての学友で、いまは同社の会長代行を務めるキーラに手配してもらったのだ。


 タリアでは、実際に宝飾品などを届けたり、買い付けたりもした。アレクシスは行く先々で如才なく商人と話し込み、情報を集めている。

「政情の変化は相場や流通に現れる。商人の噂話は馬鹿にできないからね」


 あちこち動き回った末に、夜は酒場に繰り出すことにした。


 ノール帝国やカレフ王国では飲酒に年齢制限がないが、わたしはお酒があまり好きではない。飲むと魔力の精度が鈍るからだ。

 だが酒場は見聞を深めるには格好の場だ。

「どんな店がいいですか」というフーゴの問いに、「では、赤い牛ご用達の店を」とリクエストした。


「さすがにそれはマズいんじゃないか」

 アレクシスが呆れたように言う。

「はいはい。弱気なメガネザルはホテルで留守番していなよ。夜の街にはアイカさまとわたしで繰り出しましょう」

「いや、僕も行くよ。お前たちだけだと、何をしでかすか心配だ」


 目指す酒場は、赤い牛の本拠地にほど近い歓楽街にあった。

 かなりの大箱だ。天井が高く、客層も商人から騎士まで幅広い。赤いローブ姿も見える。戦争準備で街が活気づいているせいか、酒場の賑わいは異様なほどだ。


 わたしたちはホールの中ほどの席に腰掛けた。ちょうど隣に赤い牛が三人座っている。奥の席にも二人いるので、店内には赤い牛は総勢五人だ。


 隣の三人組は大柄な男共で、下卑た声で笑いながら、悪態をついたり、店員に横柄な態度を取ったりしていた。

 フーゴは可哀想に緊張で顔が引きつっている。


「ヘルミ、挑発するなよ」

 アレクシスが小声でささやく。

 しかしヘルミは挑発する気満々のようだ。

「だって、ねぇ、アイカさま。せっかく悪名高い赤い牛と接触できる絶好の機会なんだから。実力を知りたいですよね」

「悪い子ね、ヘルミ」

「ふふふ」


 ヘルミは上着を脱ぎ、肩を露出させた薄着になっていた。その人目をひく可憐さで赤い牛が絡んでくるのを期待したのだろうが、三人組はヘルミに気付いていない。酔いがすっかり回っているらしく、おまけに仲間同士で口論を始めてしまった。


 わたしは三人組の魔力をひそかに推し量る。魔法使いというよりは、街のゴロツキと変わらないレベルで、やや拍子抜けだ。


 ただし、奥の席にいる別の赤い牛からは、強いプレッシャーを感じた。壁を背に座っている大柄な女性だ。探りを入れすぎると、こちらに気付くかもしれない。わたしはその女性に気を向けるのをやめた。


 突然、隣の席から怒号がわき、あろうことか椅子がわたしの方に飛んできた。

 男の一人が口論しているうちに興奮して投げ、手元が狂ったらしい。なんて迷惑な連中だろう。ヘルミがわたしの前に片手を伸ばし、飛んできた椅子を難なくキャッチする。


 周囲の客がざわついた。うら若き女性が細腕で椅子をキャッチした異様な図に驚いたようだ。

 だが、次の瞬間、客たちはさらに驚くことになる。ヘルミが立ち上がって連中の一人に近づき、椅子を振りかぶって男の脳天に叩きつけたからだ。木製の椅子が割れて飛散し、男は床に崩れ落ちた。


 店内のあちこちから悲鳴が上がる。

 残る二人もさすがに酔いがさめたようで、「何しやがる!」といきり立った。


「渡りに船ってやつですね。アイカさま、牛をミンチにしても良いですか」

「存分にどうぞ」

 ヘルミは二人目の男が伸ばしてきた手をつかむと、そのまま握りつぶす。指の骨がポキポキと折れる音がして、男が悲鳴を上げた。三人目が殴りかかってきたが、ヘルミは紙一重でかわすと勢いを利用して相手を投げた。男は頭から落下し、そのまま床に伸びた。

「弱すぎて魔法を使うまでもなかったですね」

 ヘルミが微笑んだ。


 その時だ。

 奥に座っていた例の女性から、魔力の波動が広がった。一瞬でホールの空気が一変するほどの強烈さだ。魔力にあてられ、ヘルミが身を震わせた。


 女性が立ち上がる。

 赤みがかった短いブロンドヘアの下に、怒りの表情を浮かべて。女性とは思えないほどの巨躯だ。レオくらい上背があり、体格もがっしりとしている。手足が太く、まるで水牛のようだ。


 あいつは危険だ。


 わたしは瞬時に判断すると、時間魔法を発動する。三十秒位を一気に巻き戻した。


 隣の席では口論が過熱しているが、ヘルミはまだ手を出していない。

 わたしは皆をうながすと、急いで席を立った。わたしが立ち上がった直後、そこに隣の席から椅子が飛んできた。


 退散するために出口に向かいながら、ヘルミがささやく。

「アイカさま、いま巻き戻しを使いましたよね。わたしが何かヘマをしましたか?」

「ううん、ヘルミは隣の三人組を一瞬で叩きのめしたわ。面倒が起きそうだったから、残念だけど、なかったことにしただけよ」

「それなら良かった。それを聞いて少しスッキリしました」


 わたしは店を出る前に、フーゴに聞いた。

「ねぇ、あの奥に座っている女性、あれが誰か知っている?」

 フーゴはちらりと奥を見ると、すぐに目を伏せてつぶやいた。声が震えている。

「あれはマルタです。泣く子も黙る赤い牛のエースです」


 彼女がカレフ随一の使い手、高位魔法使ハイランダーい、マルタ・イルヴェスだった。やはり只者ではなかった。これも巡り合わせだろう。マルタとわたしは、後に戦うことになる。


【次回から本編は新章:わたしは魔法学校で新たな魔女に出逢う】

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