第22話(冒険者たち③)13歳
はじめて時間停止ができたときの感激は忘れられない。
わたしは魔力を丁寧にコントロールして、息をとめて「時の歯車」から抜け出した。
ほんの数秒間だが、わたしは他の誰にも使えない、自分だけの魔法を使うことができたのだ。
わたしはイーダに報告してほめてもらいたいと思った。だが、彼女はもういない。それに、そもそもわたしは彼女が残してくれた紋章のおかげで魔力を身につけたのだ。
「時間停止は目的ではないぞ。ただの手段だ」
興奮するわたしに、アルマは冷ややかにこう言った。
「大事なことは、時間をとめてどうするかだ。それに、呼吸するように魔法を発動できないと意味がない」
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その通りだ。
何かことが起きたとき、魔力をゆっくりと制御する余裕などないし、敵は待ってくれない。
今がまさにそうだった。わたしは、謎めいた三人の魔法使いを前に、魔法を使うかどうかの選択を迫られている。しかし、いまこの状態で時間停止をまともに発動できる気がしなかった。
魔力を体内で循環させた瞬間に、気付かれるのではないだろうか。そんな恐怖もあった。
わたしは後ずさりした。無様にも足がもつれて、後方に転んで尻もちをついた。
「おや、大丈夫ですか」
細身の青年が近づいてきて、わたしに手を差し出した。
この場合、手を取るのが礼儀だろう。だが、わたしは自分で立ち上がった。手を取ってはいけないという気がした。
スカートの土を払って前を向く。
「余計なお気遣いだったようですね」
青年は差し出した手を戻す。にこやかな表情のまま、ポツリとつぶやいた。「勘のいいお嬢さんだ」
笑顔の奥に魔法使いの本性が見えた気がした。
わたしは身構える。
「ハーリン卿、あなた方は、いったい——」
「あぁ、アイカさん。わたしのことはルカとお呼びください」
ルカと名乗った青年はあくまで笑顔を保ったままだ。魔力も感じない。
だが、魔法使いというのは、そういうものだろう。いかにもな怖い顔をして襲ってくる敵ばかりではないのだ。
そこに、サーリネン卿の姉が割り込んできた。
ごく自然な動作で、ルカとわたしの間に身体をいれる。そしてルカに「あまり驚かせぬように」と言った。
姉はわたしを正面から見つめた。長身と褐色の肌、堂々とした体躯に気圧される。
何よりも彼女は目が覚めるほど美しかった。長いまつ毛の下の瞳は黒く、深く、吸い込まれそうだ。
彼女は言った。
「アイカ殿、それほど身構えないでもらいたい。我々はあなたに何かをするつもりなどないのだ」
「そうでしょうか」
わたしは一言、そう答えるだけで精一杯だった。
彼女はなおも言う。
「ヨナス殿は我々を遠ざけたいようだ。だから、ちゃんと自己紹介ができていなかった。わたしはヴィルマ・サーリネン。帝都の魔法使いだ」
そして、後方に控えた弟を振り返って言い添える。
「あれがわたしの弟、レオ・サーリネンだ」
この姉、ヴィルマこそが、帝国最強の魔法使いだった。
宮廷魔法師団の筆頭であり、国民の賛美と畏怖を一身に集める存在だ。破格の能力を持つ魔法使いにのみ称号が与えられる、十人もいない
もちろんわたしはこのとき、そんなことはまったく知らない。
庭の向こうから誰かが走ってきた。
ヨナスだ。その後ろから執事のクラウスが初老の体に鞭を打つようにして追いかけてくるのも見えた。
「ちょうどいい。アイカ殿も我々も、頭を冷やした方がよさそうだ」
ヴィルマが言った。
ヨナスはぜいぜいと息をはずませながら、我々の顔を順に眺めた。ずり下がった眼鏡を指で戻し、ヴィルマに問う。
「サーリネン卿、これはどういうことですか。アイカに個別に接触するのは、ご遠慮いただきたいと言ったはずだ」
「ヨナス殿、何か誤解があるようだ。我々は何もしていませんよ」
ヴィルマが答える。
「ヨナス」
わたしは思わず言葉を挟んだ。失礼は承知で会話に割って入った。ヨナスに確かめておかねばと思ったのだ。
「魔法使いの皆さんは、いったい何をしに、帝都からやって来たの?」
まさか冒険をしにきた訳ではないだろう。
ヨナスの視線がわたしからヴィルマに移り、再びわたしに戻った。
ヨナスが観念したように、言う。
「この方々は、調査官だ。宮廷魔法師団から遣わされた。アイカ、お前のことを調べたいと言っている」
点と点がつながった気がした。
なるほど。どうりで、こんな僻地にまで、わざわざ帝都からやってくる訳だ。
レピスト家の襲撃事件については、これまでにも何度も事情聴取されている。とはいえ、この三人はこれまでに屋敷を訪れた、いかにも役人然とした調査官とは毛色が違うようだ。
「わたしは、別に構いません」
そう即答したが、ヨナスは厳しい表情を浮かべたままだ。
「アイカ、この方々は、被害者として話を聞きたい訳ではない。事件の重要な参考人として、アイカから改めて話を聞きたいそうだ」
わたしは唖然としていたに違いない。
ヨナスが言わんとしたことの意味に、数秒遅れで気がついた。
この人たちは、まさかわたしを疑っているのだろうか。あろうことか、父と母とイーダが殺された事件の犯人として!
わたしはヴィルマをにらみつけた。正直、怒りと興奮のあまり、頭に血が上っていた。
ヴィルマの表情から笑みが消えた。
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「アイカ殿、仕方がない。まわりくどい言い方はやめよう」
ヴィルマがわたしに向き直った。
もはや魔力を隠す気もないらしい。庭の空気が一瞬で変わる。
ヴィルマが言った。
「我々も探しているのだ。帝都に仇なす憎き敵のことをな。アイカ殿はあの屋敷にいた魔法使いの中でただ1人、生き残った。その事実を考え直したいのだ」
レオがいつの間にか、わたしの横手に移動している。逃げ道を防ぐつもりだろうか。鞘から抜いてはいないが、背丈ほどの大剣を手にしていた。
「どういうことですか」
わたしはヴィルマをにらみつける。
「ふむ、わたしも腹の探り合いは本意ではない。この際、アイカ殿にはっきりと聞いておきたい」
風が中庭を吹き抜ける。
ヴィルマの全身から沸き立つような魔力が立ちのぼる。彼女はわたしを見据えて、こう言った。
「アイカ殿、あなたが『終幕の魔法使い』ではないのか?」
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