第4話(襲撃の夜④)10歳

 わたしは家族から愛情を注がれて育った。

 決して優秀でも孝行でもない娘だったが、家族の愛情を疑ったことはない。幸せな子供時代だった。


 父と母とイーダが死んだ後、わたしは悲しみと絶望の中で考えた。


 誰に殺されたのか。

 なぜ殺されたのか。

 どうやって殺されたのか。

 あのとき、いったい何が起きたのか。


 あの日から、ずっと考えているが、真相は見えてこない。

 わからないことだらけだ。


 屋敷には当時、父と母と姉のほかにも、魔法使いがいた。父の側近や護衛らが合わせて5人。彼らもみんな殺された。

 つまり、わたしを除いて8人もの魔法使いがいながら、太刀打ちできなかったことになる


 改めて思うのだが、魔法の世界に、絶対に不可能ということはない。


 例えば「理外の魔法」というものがある。

 地・水・火・風の四属性に当てはまらない特殊な魔法や、未知の魔法を指す言葉だ。


 私が使う時間魔法も理外の魔法と言える。いまの覚醒したわたしの能力であれば、その気になれば、魔法使いが何十人いても負ける気はしない。


 そう考えると「どうやって殺されたのか」を突き詰めることは、あまり意味がないのかもしれない。

 不可能を可能にするのが魔法だから。結果がすべてだ。

 大事なことは、家族が死んだという事実だ。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 あれは深夜の二時ごろだった。


 自室のベッドで寝ていたわたしは、激しい悪寒に襲われ、飛び起きた。まもなく屋敷のどこかで何かが破裂するような、大きな音が繰り返し聞こえた。地響きと空気の震えも。


「ヨハンナ!」

 わたしは侍女の名を叫んだ。隣室で寝泊まりしているヨハンナが飛び込んできた。


「ヨハンナ、聞こえた? あの音はなに?」

 ヨハンナはまだ十代半ばと若いが、気配りが細やかで信頼できる侍女だ。


「わたしにも聞こえました。緊急事態が起きているようですね」

「さっきから嫌な気配が充満しているわ」 

「ええ、魔力のないわたしでも感じます。万が一のために、逃げられる用意をしましょう」


 ヨハンナはすぐにコートと靴を持ってきた。それから懐剣も。

「まだ動かない方が良いでしょう。何かあれば、ダニエル様やイーダ様がきっと、お嬢さまのところに来られるはずですから」

「うん、わかった」


 わたしはパジャマの上からコートを着込んだ。

 胸騒ぎがとまらない。


 わたしの部屋は屋敷の端だ。4階建ての建物の2階にあった。

 ヨハンナが護身用の棒を手に、窓から外をうかがう。

「煙が上がっているような気もします。中央の広間のあたりでしょうか。でも、暗くて距離があるので、よくわからないですね」


 音が聞こえたのは、最初だけだ。

 さらに数分が過ぎた。


「静かですね」

 ヨハンナが言う。それは「静かすぎて妙だ」という意味だ。屋敷の中で明らかに何かが起きているのに、騒ぐ声も悲鳴もない。なぜこんなに静かなのか。


 父と母とイーダは大丈夫だろうか。


 わたしは待っていることに耐えられず、ヨハンナに言った。

「ねえ、ちょっと様子を見に行こう」


 これまで冷静だったヨハンナが初めて、戸惑いの表情をあらわにした。わたしとそれほど年齢が変わらない少女であったことを、思い出した。


「お嬢さま。これは明らかに異変です。お嬢さまを様子見に行かせる訳にはいきません。かといって、お嬢さまをひとりにして、わたしが見に行ってもいいのかどうか……」


 わたしはヨハンナを抱きしめた。平静を装っているが、彼女もぶるぶる震えている。

「わかった。ヨハンナ、ここで待ちましょう」


 突然、扉が開いた。

「アイカ!」

 イーダが呼ぶ声がした。

「あぁ、イーダ!」

「アイカ、無事でよかった」

 わたしは安堵した。頼もしいイーダが来てくれたなら、もう大丈夫だ。


 だが、部屋に入ってきたイーダを見たわたしは凍りついた。イーダは全身に傷を負っていた。顔の左半分が腫れて、左眼が開いていない。こめかみから黒い血が垂れていた。


「どうしたの、イーダ」

 わたしはイーダに駆け寄る。頬にそっと触れると、彼女は痛そうに顔をしかめた。


「やられたわ」

「どういうことなの」

「敵にやられた。屋敷が襲われたのよ」

「えっ」


「アイカ、あなたは逃げてもらうわ。もう時間がない。この部屋もまもなく安全ではなくなる」


 イーダは扉と窓の外を確かめ、それからヨハンナに荷物の指示を始めた。


「そんな。敵って、いったい何者なの?」


 イーダは答えるのをためらった。

 顔を歪め、強ばらせ、数秒の間、何やら思い詰めた表情を見せていたが、やがてこうつぶやいた。


「終幕の魔法使い」


 その言葉を聞いたとき、わたしはどう受けとめていいのか、よくわからなかった。ざわざわとした不安と恐怖と、それから納得のいかない気持ちが胸の奥でぐるぐると渦巻いた。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 終幕の魔法使い——。

 その名は知っている。というか、知らないものはいないだろう。ノール帝国の創世神話に出てくる、神の名前だからだ。


 終幕の魔法使いは女神ノルンの半身とも、夜啼鳥ナイチンゲールの化身とも言われている。


 はるかなむかし、まだ古王国が繁栄の絶頂にあったころ。人々は享楽におぼれて傲慢になり、女神ノルンの言葉を聞かなくなった。

 そこで、怒った女神が終幕の魔法使いをこの世に遣わしたのだ。


 終幕の魔法使いはにび色のローブを着た鳥の姿で現れる。そして、地上のあらゆるものを飲み込んだ。

 山も、木も、家も、家畜も、もちろん人も。最後には空さえも飲み込み、世界を無に帰した。何もなくなった虚無の中から、女神がまた世界を創り直すのだ。


 帝国の民であれば、子供でも知っている話だ。


 わたしは女神ノルンを信奉している。

 しかし、神話と現実とを混同することはない。神の存在は信じても、神がこの世においそれと現れるとは思っていない。


 だが、イーダの表情は真剣だった。冗談を言う状況ではない。


「予想はしていた」とも言った。「レピスト家は古い魔法使いの血筋だから。いつかはこんな日がくるかもと警戒していたわ」


「イーダ、どういうことなの。終幕の魔法使いって、本当にいるの?」

「わからない。でも、ここ数年、古い血筋の貴族が何度か襲われていたの。表立って騒ぎにはなっていないけどね」


「その傷は、その敵にやられたの?」

 そう聞くと、イーダは身震いした。

「恐ろしい敵だわ。あんなやつは帝都でも見たことがない。鈍色のローブを被った、くらき目の魔法使い——」

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