第5話(襲撃の夜⑤)10歳

「イーダ、あなたの魔法でも、敵わない相手なの?」

「まったく敵わなかった。わたしは蛇ににらまれた蛙みたいに、魔法をまともに発動させることすらできなかった」

 イーダのこんな弱々しい表情を見るのは初めてだ。


「それで、お父さまとお母さまは、いまどうしているの」

「……」

 わたしが尋ねると、イーダは無言で唇をかみしめる。


「ねぇ、イーダ?」

「……死んだわ。お父さまも、お母さまも」


「イーダ、うそでしょう」

「うそじゃない。あいつに殺されたのよ」


 わたしの鼓動が激しくなる。

「そんなのうそだ。信じられない」


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 襲撃を受けた時、母とイーダは広間に、父は自室にいた。

 イーダが言うには、突然、轟音と共に広間の窓ガラスが全部割れ、室内が真っ暗になった。


「気がつくと、目の前にあいつが立っていた」


 イーダが振り返る。「敵だという認識はあったのに、身体が動かない。魔法も繰り出せない」。次の瞬間、敵が放った閃光に、母の身体が貫かれていたという。


「わたしは叫び声を上げたわ。その途端、身体がようやく動いたから、お母さまに駆け寄った」


 まもなく「アマンダ、イーダ、何事だ?」と叫びながら、父が広間に駆けつけたそうだ。その父も、敵を見た途端に身体が固まり、母と同じように閃光に貫かれた。


「わたしは立ち向かおうとしたわ。手近にあった椅子や燭台を投げて抵抗して、そして、魔法を発動しようとした。でも、なぜか魔法が出せなかったの」


 敵が閃光を放ち、イーダは必死でよけた。直撃はまぬがれたが、半身が焼けて片目がふさがった。

 そして、父の護衛が駆けつけて応戦しているすきに、イーダは父と母を抱えて廊下に出た。


「不思議なことに、廊下に出て、あいつから離れると、魔力が戻ったの。お父さまとお母さまに急いで回復魔法をかけたけど、間に合わなかった。二人とももう息をしていなかったわ……」


 イーダの言葉がわたしの胸をえぐる。思わずふらついたわたしの身体をヨハンナが支えた。


 イーダはわたしの両肩に手を置いて、顔を寄せた。

「アイカ、よく聞いて。お父さまとお母さまだけじゃない。他のみんなもやられた。もう屋敷に残っている魔法使いは、わたしとアイカだけよ」

「そんな」

 わたしは愕然とする。


「悲しみに浸っている時間はないわ」

「イーダ、じゃあ、一緒に早く逃げよう」

「ううん、逃げるのは、あなただけよ」

「どうして?」

「逃げてもきっとすぐに追いつかれる。わたしがあいつを足どめしている間に、あなたはレイン家に逃げなさい」


 イーダはヨハンナの方を向き、言った。

「ヨハンナ、あなたが一緒に逃げて。裏門につながれた馬を使って、山越えをしてレイン家の屋敷まで連れていってちょうだい」

「承知しました、イーダさま。命に変えてもアイカさまを無事に送り届けます」


「イーダ、待って。あなたを置いてなんか逃げられないわ」

「アイカ、お父さまとお母さまが亡くなった以上、わたしがレピスト家の当主なの。わたしはこの屋敷で最後まで戦うわ」

「いや、いやよ。一緒に逃げよう」


 イーダが手をのばしてわたしの頬をなでる。

「お父さまとお母さまも、きっとそう願っているはず。あなただけでも逃げのびてほしい。あなたがわたしたちの希望なのよ」


 それからイーダは懐から何かを取り出した。赤い血が床にしたたり落ちる。


 それらは切断された左手だった。

 手首から上の部分が2つ。

 わたしはある予感に打ちのめされる。

「イーダ、まさか……」

「ええ、お父さまとお母さまの左手よ」


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 それらは確かに、見覚えのある手だった。


 父のゴツゴツと大きな手の甲には土の精霊の紋章が、母のしなやかな白い手には水の精霊の紋章が、かすかな光を放っている。

「手だけはあいつに奪われないように、切断して持ち出したの」


 絶句したわたしに、イーダはさらに信じられないことを言った。

「アイカ、お父さまとお母さまの紋章をあなたに移すわ」

「えっ」

 イーダの言葉が衝撃的すぎて、理解が追いつかない。


「さあ、アイカ、左手を出しなさい」

「イーダ、いったい何を言っているの?」

「ヨハンナ、アイカを押さえていて」

 ヨハンナがわたしの身体を後ろから羽交い締めにした。


 イーダは片手で2人分の左手を持ち、もう片方の手でわたしの左手首を握る。そして呪文を唱えた。聞いたことがない呪文だ。


「いくわよ」

 イーダがわたしの左手に父と母の手を押し付ける。

 その瞬間、わたしの左手が青い炎に包まれて燃え上がった。

「あああああ!」

「アイカ、我慢して」


 左手から魔力の流れがわたしの中に一気に入りこみ、体内を駆けめぐった。全身が強烈な熱と痛みに襲われる。


 しばらくして青い炎が鎮まると。わたしの左の手の甲には父の紋章が、手のひらには母の紋章が刻まれていた。


「これでいい。初めて使った魔法だったけど、うまくいったわ」


 紋章は通常、自分の属性のものを、1人が1つだけ持つ。

 理屈の上では紋章が複数あれば魔法の幅が広がるが、そう上手くはいかない。複数の紋章を刻もうとすると、互いに干渉して紋章がうまく定着しないのだ。


 だが、このときは様々な要素が成功を後押しした。

 父と母の左手は死んですぐに切り離されて時間がたっておらず、受け取るわたしは娘なので拒絶反応が起きにくい。また、すべての紋章が違う属性で、イーダの魔法の技能も高かった。


 そして、自分でも気づいていなかったが、わたしは魔力の容量が人並み外れて大きかったのだ。魔法が苦手だったにも関わらず。


 父と母の左手は紋章を失うと枯木のようにしわしわに萎んだ。イーダはそれらをそっとベッドの上に置くと、自分の右手の袖をまくった。

「さぁ、次はわたしの番。わたしの右手の紋章を、今度はアイカの右手に移す」


 もはや返答する気力もないわたしの右手にイーダが自分の右手を重ねる。イーダが呪文を唱えると、今度は右手が燃え上がった。わたしは熱と痛みにうめいた。

 

「これでいい。紋章は祖先から受け継いだ魔法使いの証し。お父さまとお母さま、それからわたしがいなくなっても、わたしたちの魔法はアイカに受け継がれるわ」


 父の土属性の紋章。

 母の水属性の紋章。

 イーダの火属性の紋章。

 そして、わたしが持っていた風属性の紋章。


 これらを得たことで、わたしは四つの属性をすべて持つ稀有な魔法使いとなった。これが後に時間魔法の習得につながるのだが、このときはもちろん、そんなことはわかっていない。










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