第5話(襲撃の夜⑤)10歳
「イーダ、あなたの魔法でも、敵わない相手なの?」
「まったく敵わなかった。わたしは蛇ににらまれた蛙みたいに、魔法をまともに発動させることすらできなかった」
イーダのこんな弱々しい表情を見るのは初めてだ。
「それで、お父さまとお母さまは、いまどうしているの」
「……」
わたしが尋ねると、イーダは無言で唇をかみしめる。
「ねぇ、イーダ?」
「……死んだわ。お父さまも、お母さまも」
「イーダ、うそでしょう」
「うそじゃない。あいつに殺されたのよ」
わたしの鼓動が激しくなる。
「そんなのうそだ。信じられない」
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襲撃を受けた時、母とイーダは広間に、父は自室にいた。
イーダが言うには、突然、轟音と共に広間の窓ガラスが全部割れ、室内が真っ暗になった。
「気がつくと、目の前にあいつが立っていた」
イーダが振り返る。「敵だという認識はあったのに、身体が動かない。魔法も繰り出せない」。次の瞬間、敵が放った閃光に、母の身体が貫かれていたという。
「わたしは叫び声を上げたわ。その途端、身体がようやく動いたから、お母さまに駆け寄った」
まもなく「アマンダ、イーダ、何事だ?」と叫びながら、父が広間に駆けつけたそうだ。その父も、敵を見た途端に身体が固まり、母と同じように閃光に貫かれた。
「わたしは立ち向かおうとしたわ。手近にあった椅子や燭台を投げて抵抗して、そして、魔法を発動しようとした。でも、なぜか魔法が出せなかったの」
敵が閃光を放ち、イーダは必死でよけた。直撃はまぬがれたが、半身が焼けて片目がふさがった。
そして、父の護衛が駆けつけて応戦しているすきに、イーダは父と母を抱えて廊下に出た。
「不思議なことに、廊下に出て、あいつから離れると、魔力が戻ったの。お父さまとお母さまに急いで回復魔法をかけたけど、間に合わなかった。二人とももう息をしていなかったわ……」
イーダの言葉がわたしの胸をえぐる。思わずふらついたわたしの身体をヨハンナが支えた。
イーダはわたしの両肩に手を置いて、顔を寄せた。
「アイカ、よく聞いて。お父さまとお母さまだけじゃない。他のみんなもやられた。もう屋敷に残っている魔法使いは、わたしとアイカだけよ」
「そんな」
わたしは愕然とする。
「悲しみに浸っている時間はないわ」
「イーダ、じゃあ、一緒に早く逃げよう」
「ううん、逃げるのは、あなただけよ」
「どうして?」
「逃げてもきっとすぐに追いつかれる。わたしがあいつを足どめしている間に、あなたはレイン家に逃げなさい」
イーダはヨハンナの方を向き、言った。
「ヨハンナ、あなたが一緒に逃げて。裏門につながれた馬を使って、山越えをしてレイン家の屋敷まで連れていってちょうだい」
「承知しました、イーダさま。命に変えてもアイカさまを無事に送り届けます」
「イーダ、待って。あなたを置いてなんか逃げられないわ」
「アイカ、お父さまとお母さまが亡くなった以上、わたしがレピスト家の当主なの。わたしはこの屋敷で最後まで戦うわ」
「いや、いやよ。一緒に逃げよう」
イーダが手をのばしてわたしの頬をなでる。
「お父さまとお母さまも、きっとそう願っているはず。あなただけでも逃げのびてほしい。あなたがわたしたちの希望なのよ」
それからイーダは懐から何かを取り出した。赤い血が床にしたたり落ちる。
それらは切断された左手だった。
手首から上の部分が2つ。
わたしはある予感に打ちのめされる。
「イーダ、まさか……」
「ええ、お父さまとお母さまの左手よ」
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それらは確かに、見覚えのある手だった。
父のゴツゴツと大きな手の甲には土の精霊の紋章が、母のしなやかな白い手には水の精霊の紋章が、かすかな光を放っている。
「手だけはあいつに奪われないように、切断して持ち出したの」
絶句したわたしに、イーダはさらに信じられないことを言った。
「アイカ、お父さまとお母さまの紋章をあなたに移すわ」
「えっ」
イーダの言葉が衝撃的すぎて、理解が追いつかない。
「さあ、アイカ、左手を出しなさい」
「イーダ、いったい何を言っているの?」
「ヨハンナ、アイカを押さえていて」
ヨハンナがわたしの身体を後ろから羽交い締めにした。
イーダは片手で2人分の左手を持ち、もう片方の手でわたしの左手首を握る。そして呪文を唱えた。聞いたことがない呪文だ。
「いくわよ」
イーダがわたしの左手に父と母の手を押し付ける。
その瞬間、わたしの左手が青い炎に包まれて燃え上がった。
「あああああ!」
「アイカ、我慢して」
左手から魔力の流れがわたしの中に一気に入りこみ、体内を駆けめぐった。全身が強烈な熱と痛みに襲われる。
しばらくして青い炎が鎮まると。わたしの左の手の甲には父の紋章が、手のひらには母の紋章が刻まれていた。
「これでいい。初めて使った魔法だったけど、うまくいったわ」
紋章は通常、自分の属性のものを、1人が1つだけ持つ。
理屈の上では紋章が複数あれば魔法の幅が広がるが、そう上手くはいかない。複数の紋章を刻もうとすると、互いに干渉して紋章がうまく定着しないのだ。
だが、このときは様々な要素が成功を後押しした。
父と母の左手は死んですぐに切り離されて時間がたっておらず、受け取るわたしは娘なので拒絶反応が起きにくい。また、すべての紋章が違う属性で、イーダの魔法の技能も高かった。
そして、自分でも気づいていなかったが、わたしは魔力の容量が人並み外れて大きかったのだ。魔法が苦手だったにも関わらず。
父と母の左手は紋章を失うと枯木のようにしわしわに萎んだ。イーダはそれらをそっとベッドの上に置くと、自分の右手の袖をまくった。
「さぁ、次はわたしの番。わたしの右手の紋章を、今度はアイカの右手に移す」
もはや返答する気力もないわたしの右手にイーダが自分の右手を重ねる。イーダが呪文を唱えると、今度は右手が燃え上がった。わたしは熱と痛みにうめいた。
「これでいい。紋章は祖先から受け継いだ魔法使いの証し。お父さまとお母さま、それからわたしがいなくなっても、わたしたちの魔法はアイカに受け継がれるわ」
父の土属性の紋章。
母の水属性の紋章。
イーダの火属性の紋章。
そして、わたしが持っていた風属性の紋章。
これらを得たことで、わたしは四つの属性をすべて持つ稀有な魔法使いとなった。これが後に時間魔法の習得につながるのだが、このときはもちろん、そんなことはわかっていない。
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