第3話(襲撃の夜③)10歳

「ねえ、何か魔法を見せて」


 女の子は人懐っこい笑顔でわたしにせがむ。ほかの子供たちも集まってきた。


 仕方がない。

 わたしは子供たちが拾ってきた小枝を一本もらう。それを短く折って束にし、手のひらにのせた。

 さっきコケでやったように、小さなつむじ風を起こす。小枝が宙に巻い上がり、らせんを描いた。


「わっ、すごい」

「くるくるまわってる」


 それだけだ。たったそれだけのことなのに、子供たちは目を輝かせ、歓声を上げて小枝を見つめた。

 小枝はしばらく宙を舞っていたが、やがてパラパラと地面に落ちた。


「アイカ」

 肩を叩かれる。いつの間にか、イーダが小屋から出てきて、後ろに立っていた。

 わたしが魔法を披露しているところをイーダは見ていただろうか。だとしたら、恥ずかしい。得意げにやっていたとイーダに思われたくない。


 あわてて弁解しようとしたわたしに、イーダはやさしく微笑み、「わかっている」という風に黙って首を振った。

「これから集落のおさのところに挨拶に行きましょう」

 イーダはそう言うと、先に歩きはじめた。


 長は六十歳くらいに見えた。緊張した面持ちで、イーダと向かいあっている。わたしは、会話の端々から、彼らが隣国カレフ王国から流れてきたことを知った。レピスト家の所領の一部はカレフとの国境に接している。


「悪いようにはしない。集落の人たちが近くの村に入れてもらえるように交渉するわ」

 イーダはそう話した。「秋の収穫期になったら、どの村も働き手を欲しがるはずだから。その頃に話を進めましょう」


 長は深々と頭を下げ、礼を言った。

 そんな風に話がまとまり、さて、と腰を浮かしかけたイーダの表情がこわばった。


 視線の先、室内に置かれた座卓の上に、一枚の札があった。

 手のひらより一回りほど大きいサイズで、見たことのない模様が描かれていた。その模様はノール帝国の国旗によく似たY字だが、微妙に違う。


「あっ」

 長があわてて札を手に取った。「これは違うんです。そういうつもりではありません」。長はそう言って、しどろもどろになって釈明し始めた。


 イーダは軽くため息をつくと、札を渡すように身振りで促す。長がおずおずと札を差し出した。

 イーダが手にした札を横からのぞき見したわたしは、国旗との違いに気づいた。Y字の向きが天地逆なのだ。


 わたしは後に、それが「逆Y字」と呼ばれる図象であることを知る。ある新興の教団のマークだ。

 貴族らの魔法至上主義に異を唱え、魔法の制限や、魔力のない人の地位向上などを訴えている。教団の名は「新しき光」といい、大陸各地で信徒を増やしていた。


 イーダがきっぱりと言った。

「翼持つ女神ノルンの御名において、ノール帝国で彼らの教義が浸透することはないでしょう」

「承知しています。我々の中に信徒がいる訳ではありません」

「その言葉、信じてよいのですか」

 イーダが手に持った札に突然火がつき、一瞬で煙になった。イーダが魔法で燃やしたのだ。


 長は縮み上がった。

「もちろんです。女神ノルンに誓って、嘘は申しません。その札は通りがかりの旅の者が置いていったものです」

 イーダが長を見据えた。

「この地で安住の地を得たいのであれば、疑わしき行動は慎むことです」

 いつになく高圧的なイーダの言葉に、わたしは驚く。長は繰り返し頭を下げた。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 集落を出たイーダは言葉少なだった。

「遅くなったわね。そろそろ帰らないと」

 イーダが先頭で馬を駆けた。わたしと護衛も後を追い、そのまま屋敷に戻った。


 最後に少し後味の悪い出来事があったが、わたしにとっては新鮮な一日だった。


 屋敷にいるだけでは、何もわからないことばかりだ。馬上から見た景色の美しさも、人々の営みも。

 だからこそイーダは、わたしを外に連れ出したのだ。何もわかっていないわたしの行く末を案じて。


 イーダは先々のことをいろいろ考えていた。

 今でも思うのだが、イーダは自分がまもなく死んでしまうかもしれないという、そんな予感があったのでははないか。


 魔法学校の卒業後の進路もそうだ。

 イーダは火属性の魔法使いで、強力な攻撃魔法が使える。在学中から高い技量が評価されており、宮廷直轄の魔法使いに推挙する声もあったと聞く。それらをすべて断って故郷に戻ったのは、なぜか。何か思うところがあったのではないだろうか。


 さて、わたしの両親についても触れておこう。


 父のダニエルは貴族としては異色の経歴の持ち主だ。魔法学校を出たあと、帝都の学校で土木や建築を学んでいる。


「領主でなければ技師になっていた」

 それが父の口癖だった。

 もっとも、父がそう言うたびに、「あらあら」と母のアマンダが笑って茶化すのが常だった。「あなたはすでに、領主ではなく、技師なのではなくって?」


 父の書斎は壮観だ。そこはわたしが屋敷の中で、図書室の次に好きな場所だった。


 中央の大机は、製図に使う定規、コンパス、羽ペン、インクつぼ、鉱石標本など、さまざまなモノで溢れている。床は測量用具や望遠鏡などが所狭しと置かれ、足の踏み場もなかった。

 壁の三方には、領地の地図が何枚も掲げてある。中には父が自ら測量して記したものもある。


 わたしはよく「宝探し」と称しては、書斎に置いてあるモノを漁った。実際、図面の下から古めかしいアンティークの遠眼鏡が見つかったり、部屋の隅から水晶の原石が見つかったりするのだ。


 父がわたしに説明することもあった。口髭をいじりながら、満面の笑みを浮かべて。

「いいかい、アイカ。地図のここをよく見てごらん。平原のこの場所に、大きな断層があるんだ。そこには珍しい石が地表にたくさん現れていて……」


 母の言葉は間違っていない。そういうときの生き生きとした父の顔は、領主というよりも、技師か学者のようだった。


 しかも、父は土属性の魔法使いだ。本人の資質と属性がこれほどマッチしているケースはなかなかないのではなかろうか。土属性の魔法は地面に穴や亀裂を開けたり、木々を動かしたりできる。


 父は領内のあちこちで土木工事や橋梁工事を立ち上げていたが、時には自ら魔法を使って、それらの工事をけん引した。


 そんな父を、母はあたたかく、そして半ばあきらめた様子で支えていた。

 母は身体があまり丈夫な方ではない。普段は横になっていることも多かった。調子が良いときはサンルームでソファに腰掛け、縫い物などをしながら、イーダやわたしに話しかけた。


 母は美しい。亜麻色の髪は長く、透き通るような白い肌をしている。水属性の魔法使いなのだが、わたしは水の精霊ウンディーネは母のような姿に違いないと思っていた。かつては父が作ったダムや灌漑施設に、母が魔法で水を入れたこともあったそうだ。


 母は常に落ち着いていて、慌てたところを見せたことがない。母がその場にいるだけで、周囲が居住まいをただすような威厳があった。


 あるとき、わたしがうっかり花瓶を倒して広間を汚したことがあった。そこで侍女に命じて片付けさせようとしたとき、母の声が響いた。

「アイカ」

「なあに、お母さま」

「自分で片付けなさい」


 その一言でわたしは飛び上がり、侍女からふきんを奪うと、急いで床をふきにかかった。母は筋を通す人だ。そんなときの母の言葉は、静かだが、ヒヤリとするほど迫力があった。

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