【3】

 午後八時、ホテルから出た有坂は、駅の方向へしばらく歩き、葉月の姿を見つけた。ダッフルバッグをランドクルーザーの後部座席に放って助手席に乗り込むなり、その目を見た。葉月は、目つきで察したように、首を横に振った。

「この車には、盗聴器はないよ。そんなことをする奴がいたら、頭を吹き飛ばしてやる」

「四五口径で? ライトもついてるやつか?」

 有坂の言葉に、葉月は答えなかった。返事の代わりにクラッチを踏み込み、シフトレバーを一速に入れた。ランドクルーザーが交通の流れに乗ったところで、ようやく言った。

「最近のホルスターは、背が高い」

「確かにな」

 有坂は少しだけ腰を浮かせて、また元に戻した。わき腹に食い込むような位置に、フルサイズの四五オートが張り付いている。有坂は葉月に言った。

「お前は?」

「おれも持ってるよ。九ミリだけどな」

 葉月は、レザーのベルトスライドに収まるシグに意識を少しだけ向けた。骨董品の二二九だが、十分に動作する。有坂はしばらく前を見ていたが、不意に笑った。

「シグか?」

「そうだよ」

 葉月はそう答えて、信号待ちで顔を見合わせた。有坂が笑い出し、葉月もつられて笑った。

「変わらないな。そんなに手に馴染むか? だいたい、十三発も何に使うんだよ」

 しばらく銃の話が続いた後、葉月は言った。

「お前に渡した四五口径は、ガラクタじゃない」

「そうであることを願うよ」

 有坂は窓の外を眺めながら、笑った。一時間ほど走ったころ、ようやく波止場が見えて、ランドクルーザーのスピードを落としながら葉月は言った。

「ここから、形が分かるだろ」

「難しそうだな」

 有坂はそう言いながら、地形と頭の中の地図を照合するように、現場の様子を眺めた。持ち場の資材置き場につながる二つの入口も、地図の通り。その片方から入った葉月は、スープラの隣にランドクルーザーを停めた。

「いい車を用意したんだな」

 有坂はそう言って、葉月が運転席から降りるのを待ってから、自分も同じようにした。田川と笠岡が資材置き場の入口に立っていて、葉月は言った。

「よう、真打ちの登場だ」

 笠岡は姿勢を正して、礼儀正しくお辞儀をした。田川も慌ててそれに倣い、頭を深々と下げた。有坂は苦笑いを返しながら、言った。

「あまり期待しないでくれよ」

 葉月が後ろで笑い、有坂はその言葉の響きに自分でも笑いながら、中に入った。土嚢がいくつか積んであって、相当低い姿勢を取れるようになっている。中には二人いて、小さく頭を下げた。上下関係というのは、いつまで経ってもついて回る。

「ライフルはどこだよ?」

 有坂が言うと、二人の内ひとりが、ガンケースを掴み上げた。双子のように同じ仕草で、二人で目の前まで歩いてくると、それを地面に置いた。

「開けろってか?」

 有坂は冗談めいた口ぶりで言うと、片方の膝をつこうとして、それでも前に向けた目線の先に、コートの下に隠れた散弾銃と、そのグリップを握りこんだ右手を見て取った。手が咄嗟に動き、右足が無意識に後ろに下がった。コートを跳ね上げた手が返ってくるのと同時に四五オートを抜き、有坂は二人に二発ずつ撃ち込んだ。勢い余って尻餅をついた有坂は、入口で二発の銃声が鳴ったことに気づいて、その態勢のまま入口に四五オートを向けた。

「葉月!」

 ドアを開いた葉月は、シグをひらひらと振った。

「おれだ!」

 葉月は小走りで駆け寄ると、有坂の手を引いて立ち上がらせた。散弾銃を持っていない方のコートを開いて、スリングに吊られたグリースガンを外した。有坂はコートに張り付いた埃を払い、安全装置をかけた四五オートをホルスターに戻した。葉月は、グリースガンを持ったまま早足で外に出て、スープラの運転席に回り込むと、ドアを開けて、申し訳程度の広さの後席にグリースガンを投げ込んだ。

「乗れ、時間がない」

 有坂は、田川と笠岡の頭がスイカ割りの標的のように割れているのを見て、四五オートを構えた。その銃口をまっすぐ見返した葉月は、言った。

「時間がないんだ」

「説明しろよ。何なんだこれは?」

 十五年ぶりだったが、体は勝手に記憶を呼び起こして、勝手に動いた。右手は自分の意思から乖離して動いているように、違和感の塊になっている。有坂がグリップを握る手に力を込めなおしたとき、葉月はスープラの運転席に乗り込んだ、助手席のドアを開き、諦めた有坂が乗り込むまで、辛抱強く待った。

 深い座席で身をよじりながら、有坂は残り三発になった弾倉を抜いて、新しい一本に差し替えると、言った。

「何が起きてる?」

「とにかく急ぐ。田川が発信機を押した」

 葉月が言ったとき、まるで会話を聞いているように、スマートフォンが光った。葉月はシフトレバーを二速に入れたが、アクセルを踏み込みかけた足を緩めた。イヤーピースを耳に差し込み、通話ボタンを押した。

「はい」

『発信機が鳴った』

 やや緊張感の含まれた、飯山の声。葉月は、隣に座る有坂にも聞こえるように、言った。

「逃げられました」

『車は?』

「スープラです」

『探させる』

 短いやり取り。葉月が通話を切ったとき、有坂は呟いた。

「葉月、今、おれは二人殺したんだ」

 葉月はうなずいた。シフトレバーは三速へ押し込まれ、スープラは猛然と加速を続けている。緩やかなコーナーでリアが流れかける直前で持ち直し、長い直線に入ったとき、四速へ上げた葉月は言った。

「お前なんだ」

「何が?」

 ドアグリップで体を支えながら、有坂は言った。景色の流れが速すぎる。しかし昔は、これが普通だったのだ。葉月はアクセルをやや緩めて、回転を落とした。

「三百七十メートル? こんなご時世に、狙撃の仕事があると思うか?」

「それしか、やりようがなかったんだろ」

 有坂はそう言って、しばらくフロントガラス越しに景色を眺めていたが、すぐに結論に行き着いて、ヘッドレストに頭を預けた。

「そうかよ」

 葉月の言葉は、完全に意味を成していた。有坂は宙を仰いだが、サンバイザーが見えただけだった。あの波止場の資材置き場が、終点だったのだ。

「おれは、あそこで殺されるはずだったのか?」

「そうだ。この仕事は、お前を殺すためのお膳立てだった。でも、お前は四五口径を持ってた。あれは計画に入ってない」

 葉月はそう言うと、フロントガラスへ顔を向けたまま、口角を上げて笑った。有坂は、小さく首を横に振った。

「お前、なんてことをしたんだ。殺されるぞ」

「散弾銃で顔を吹き飛ばされていた方が、よかったか? お前を呼ぶように提案したのは、おれだ。そうじゃなければ、家に行くことになってた」

「どうして、今更? おれに人生を与えて、十五年後におつかれさまでしたって、全部奪うのか?」

 有坂は、事態をできるだけ速く飲み込もうとしていた。理解して、葉月の話すペースに追いつこうとしていたが、到底間に合っていなかった。葉月は言った。

「社長は、廃業して堅気になるつもりなんだよ」

 車内に数秒の沈黙が流れた後、有坂は言った。

「厄介な事情を知っている人間は、消すつもりなんだな。お前は?」

「おれは退職金を約束されてた。長い間、仕えたからな。でも今となっては、もらえるかは微妙だね」

 葉月が言うと、有坂はしばらく神妙な表情を浮かべたが、ついには堪えられなくなり、笑いだした。葉月も肩をゆすりながら笑い、シフトレバーを三速に落とした。工場跡に停められているランドクルーザーの前で急停車した葉月は、有坂に降りるよう手で促した。真っ暗な工場跡の入り口で向き合い、葉月は言った。

「スクラップヤードの場所は覚えてるか?」

 昔から変わらない、使用済みの車の処分場。有坂がうなずくと、葉月は続けた。

「そこに一台用意してある。白のファミリアだ。おれの車で、そいつを拾いに行け」

 葉月が鍵を投げると、有坂は反射的に受け取ったが、違和感を頭から払おうとするように、かぶりを振った。

「さっきの電話で、おれがスープラに乗って逃げたって、言ってなかったか?」

「言ったか?」

「引退しても、耳は聞こえてるよ。このスープラはどうする?」

 有坂はその場から動かなかった。葉月は、ランドクルーザーに向けて顎をしゃくった。

「その車で、ファミリアを取りに行け」

 そう言って、葉月はスープラのドアを開けた。背中に何かがぶつかり、反射的に振り返った葉月は、有坂が鍵を投げ返したことに気づいた。地面に落ちた鍵を拾い上げたが、再度投げる気にはならなかった。有坂が若いころによく作った、剣吞極まりない表情。その目には常に、銃身線が見えていた。

「あと二十発、残ってる」

 葉月は答えず、運転席に座った。それでもすぐには発進せず、助手席に有坂が乗り込むまで待っていた。有坂は言った。

「計画を教えろよ」

「このスープラの現在地は、GPSで把握されてる。逃げ切ったことを確認するためだ」

「逃走用の車は、昔からそうだったな」

 有坂が言うと、葉月はシフトレバーを一速に入れた。勢いよく道路に合流すると、アクセルを深く踏み込んでスピードを上げながら、続けた。

「お前は、このスープラに乗って逃げたことになってる。さっき電話で、おれが言った通りだ」

「相手は誰だ?」

「社長だよ。おれを誰だと思ってんだ」

 葉月はそう言って、笑った。有坂は苦笑いを浮かべて、先を促すように視線を向けた。葉月は続けた。

「おれが今向かってるのは、海沿いの家だ。社長と護衛二人がいる。もしかしたら、ひとりはGPSを追って、探し回ってるかもしれない。護衛を二人とも送り出すことは、まずないだろうな。ひとりは社長を守っているはずだ」

 静かに聞いていた有坂は、ふと思い出したように、視線を上に向けた。

「あの地図は、何だったんだ? お前が用意してくれた、二枚目の地図だよ」

「おれがあの場で死んでたら、途方に暮れるだろ? お前に向かって引き金を引くのは、中にいる二人で、おれは外で待つ段取りになってた。だから、ああするしかなかったんだ。お前が追い込まれるとしたら、あの四か所のどれかになる」

 葉月は海岸沿いの道路へ続く下りの山道に入り、エンジンブレーキをかけながらコーナーを抜けた。お互い無言のまま数十分を走って、待避所をやり過ごしたとき、葉月はバックミラーを見て歯を食いしばった。

「来たぞ」

 車間距離は相当空いているが、バックミラー越しにヘッドライトが点くのが見えた。ローレルのクラブS。駅で見張っていたのと、同じ車。弾は飛んでこない。運転手しかいないのだろう。有坂は身を低くしながら四五オートを抜いて、胸の前に引き寄せて、言った。

「振り切るか?」

 葉月は、首を横に振った。二人が乗っていることに気づかれただろうか。もしそうでないなら、山道を下り切ったところにある信号で、速度を落としたタイミングで並び、そこでカタをつけるつもりだろう。今の状況で一対一なら、ローレルの運転手が返り討ちになることはない。

「その弾は、ドアを抜けないかもしれない」

 葉月が言うと、有坂はポケットティッシュを取り出すと、一枚ずつ丸めて、両耳に詰め込んだ。顔の前まで持ち上げて撃つつもりだということを理解した葉月は、シフトレバーを二速に入れて、エンジンブレーキを強くかけた。すぐ目の前に迫る信号は、赤。ローレルはまだかなり離れている。有坂は言った。

「窓は抜けるだろ」

「おれの耳栓はないのか?」

「手で塞いでろ」

 有坂はそう言って、口角を上げた。葉月は、シフトレバーを一速に入れた後、クラッチを切ったままゆっくりと停車した。ローレルは車間距離を少しだけ長めに開けているだけだが、同じように赤信号で停まった。

「奴は、人数を読んでるな」

 葉月が言うと、有坂はうなずいた。信号が青に変わるのと同時に、葉月はアクセルを強く煽ってクラッチをつないだ。タイヤが鳴き、車体がミサイルのように飛び出した。ローレルは大きな車体をぐるりと回すように方向転換させ、スープラとほとんど変わらない加速で一気に回転を上げた。

「本気を出したな」

 葉月は短く言い、シフトレバーを四速まで上げた。時速百キロに達しても、ローレルの速度は変わらず、車間距離こそ詰められてはいないが、それでも逃がすつもりはないように見える。有坂が言った。

「リアウィンドウが狭いな。なんでこんな車にしたんだ」

「速いからだよ」

 葉月は言いながら、ローレルの進路を塞ぐようにセンターラインを大きく割った後、最小限の修正舵で車体を元の車線に戻した。ローレルはスピードを上げているが、追い越すつもりはないらしく、時折姿勢を崩しながらも、それ以上の無理をすることはなかった。葉月は、有坂に言った。

「海沿いの家だ。地図、覚えてるか?」

「あと七百メートルってとこだな」

 有坂が自信に満ちた声で言ったとき、葉月の目に、少しだけ高い位置に建てられた建物が映った。上がる道は複数ある。最後の緩やかな右コーナーに差し掛かり、車体が傾く中で、百メートル先の家が、ちょうど真正面の位置になった。

「伏せろ!」

 葉月は叫んで、顔をそむけた。ローレルが追い越そうとしなかった理由が分かるのと同時に、家の中がフラッシュを焚いたように光り、フロントガラスとダッシュボードが破裂したように砕けた。家の中から、仕留めるつもりだったのだ。葉月が顔を上げるよりも早く、ローレルが右に車体を振って並ぶように加速した。有坂は、運転席側のクォーターウィンドウ越しに、一瞬だけ見えた運転手の顔に向けて引き金を引いた。狭い車内がオレンジ色に光り、ローレルのガラスが粉々に割れるのと同時に、葉月がステアリングを大きく右に切って、ローレルの車体を反対車線に弾き飛ばした。一瞬だけ見えた大森の頭にはすでに穴が開いていて、死んでいることが分かった。分離帯に車体の底を掬い上げられたローレルは、スープラと並走したまま横転した。屋根を下に火花を散らしながら滑る姿をバックミラーで見ながら、葉月は言った。

「いい腕だな」

「今のは、まぐれだ」

 耳栓を抜いて、笑いながら言う有坂に愛想笑いを合わせると、葉月は四速から二速に落として、交差点を右に曲がった。ヘッドライトを消して、ほとんど真っ暗な山道を一気に抜けた。有坂は暗闇の中で、ダッシュボードに触れた。

「ライフル弾だな」

 飯山と護衛の藤吉は、同じ場所に籠るだろうか。少なくとも、藤吉は百メートルの距離から正確に狙えるライフルを持っている。しかし、部屋に入り込まれれば役に立たない。車で逃げるだろうか。こちらはフロントガラスに穴が開いている上に、ローレルを弾き飛ばしたときに右のフロントタイヤのバランスが狂っている。どういう状態かは知っているだろうし、何よりこの車には発信機がついている。葉月は、路肩にスープラを寄せると、後席に放られたグリースガンを掴み、運転席から降りた。有坂もそれに続き、林に入っていく葉月に言った。

「林をぐるっと回るのか?」

「半分だけだ」

 葉月は顔をしかめながら、真っ暗な林の中を歩き始めた。身を低くして、枝を避けながら静かに歩く後ろを、有坂は同じように頭を下げたまま続いた。葉月は大きな岩の後ろにたどり着くと、有坂をその後ろに伏せさせた。家の山側に降りるルートは、数本ある。

「窓の中の動きが見えるだろ」

 ブラインドは下りているが、影が動いているのは分かる。有坂は目を凝らせた。細長い箒のような影は、おそらくさっきスープラに向けて使ったライフル。

「藤吉だな。あいつは社長のお気に入りだ」

 葉月が短く言ったとき、スープラを停めた側の窓から銃口が突き出るのが見えた。有坂は笑った。

「銃口を出したぞ。どういう教育してんだ」

「廃業するのも分かるだろ」

 葉月は皮肉めいた笑いを浮かべると、ゆっくりと立ち上がった。家の裏手までの道をすばやく駆け下り、グリースガンを構えた。有坂は高い位置で四五オートを構え、葉月が遊歩道に面したドアをゆっくりと開いた。ガラス戸を静かに開いて、家の中に入ったとき、衣擦れのような音が二階で鳴った。方向からすれば、藤吉が最後にいた場所だ。部屋の電気はすべて落とされていて、このまま二階に上がることは、死刑宣告を意味する。有坂は、二階を動き回る足音に耳を澄ませた。今のところ、足音はひとり分しか鳴っていない。自分なら、車庫に逃げる。ここから立ち去ればいいのだから。有坂はそう考えて、葉月の肩に手を置くと、車庫の方向を指した。車庫に続くドアは廊下にあり、奥側に開くタイプだった。かさばるグリースガンを静かに床へ置き、葉月はシグを抜いた。左手でドアノブを掴んだとき、有坂は後ろを向いたまま、足音に耳を澄ませていた。その目線は、見えない姿をゆっくりと追っていたが、ようやく葉月の方を向いて、うなずいた。葉月は、ドアノブを捻り、左足で蹴り開けた。同時に、防犯アラームがけたたましい音で鳴り響き、開かれたドアの先に、飯山が立っているのが見えた。足音が一気に近づいてきて、有坂は四五オートをまっすぐに構えた。

 葉月と飯山は、同時に引き金を引いた。葉月の放った二発の九ミリが体の中心に穴を開け、飯山は後ずさった。

 目の前に藤吉のシルエットが現れるのと同時に、有坂はフラッシュライトのスイッチを親指で押した。部屋の中が昼間のように明るく照らされ、目が眩んだ藤吉は咄嗟に伏せながら、手に持った拳銃から数発を撃った。その場に伏せた有坂は、椅子の足越しに見える藤吉の頭に向けて、二発を撃った。藤吉の眉間と頬に穴が開き、一発が骨を突き破った。

 葉月は、車庫に下りた。飯山の胸に開いた九ミリの銃創から、呼吸に合わせて血が流れ出していた。有坂は葉月の隣に立ち、目の前で死にかけている飯山に、かつて忠誠を誓った二十年前の『社長』の姿を重ねようとしたが、結局うまくいかずに俯いた。銃創がなくても、今の飯山は、ただ行き場を失った老人だった。有坂は言った。

「おれは、引退したんです」

 飯山は、左手に持ったリモコンで、防犯アラームを止めた。血の混じった唾を吐き、言った。

「……、お前には、不安はなかったか? 誰かがしゃべったら……、それで終わりなんだぞ」

 有坂は、諭すような笑顔を向けた。

「おれには、葉月がいましたから」

 葉月がシグの銃口を上げるのと同時に、有坂は四五オートを構えた。飯山はさらに尊厳を失い、サイト越しに映るただの景色になった。

 二人は、ほとんど同時に引き金を引いた。

       

 暗闇に慣れた目で見るスープラは、ほとんどダメージを受けていなかった。有坂は言った。

「あまりへこんでないな」

「これで逃げなきゃいけないだろ」

 葉月はそう言って笑い、運転席に乗り込んだ。スクラップヤードまでの道を走る間、ひと言も話さなかった。おそらく、知らない道だったからだと、有坂は思った。スクラップヤードを見た瞬間、記憶が決壊したダムのように押し寄せてきて、思わず言った。

「こんなことになるなんてな。さっくり狙撃して、メシでも行くんだと思ってたよ」

「人生、先のことは分からない」

 葉月は笑った。スクラップヤードは、昔は二四時間誰かが常駐していたが、いつしか夜間は無人になった。スープラを停め、ダッシュボードの上に謝礼が入った封筒を置いて運転席から降りると、同じように降りた有坂が、暗闇に眠る廃車の山を眺めながら、呟いた。

「おれたちが使った車は、まだあるかな?」

「さすがにない。いや、待て」

 葉月は、事務所の前に置かれたシートを指差した。

「あれは、あのアリストのシートだ」

「座っていいか?」

「好きにしろ」

 葉月はそう言って、スープラのリアハッチを開けると、中にシグを放り込んだ。有坂はしばらく座っていたが、ふっと笑って立ち上がった。

「運転席のシートだな」

「そうだよ、そのシートに座るのは、おれだ」

 葉月はそう言って、手を差し出した。有坂は、その手を握り返した。四五オートを返せと言いかけた言葉が詰まり、葉月は代わりに言った。

「ファミリアは、事務所の裏だ」

「お前、自由の身だろ? 朝飯でも行かないか?」

「だめだ。七人が死んだんだぞ。おれがひとりで殺したのを入れたら、八人だ。お前はここから一秒でも早く、離れるべきなんだ」

 葉月は、ポケットからキーリングを取り出すと、ファミリアのキーを抜いた。それを受け取った有坂は、言った。

「おれの娘の名前は、彩子っていうんだ」

「いい名前だな。お前がつけたのか?」

「そんな権限、あると思うか?」

 有坂と葉月は、顔を見合わせたまま笑った。葉月は言った。

「その物騒なものを寄越せ」

 四五オートを抜いた有坂は、薬室を空にしたが、それでも名残惜しそうに見つめた。葉月は笑った。

「そいつは、記念品にはならないぞ」

 有坂は弾倉と合わせて、四五オートをスープラのトランクに入れた。ファミリアまで歩いていく中で、葉月の方を一度振り返ると、言った。

「またな」

「楽しかったよ」

 葉月はそう言い、ファミリアのテールライトが見えなくなるまで見送った後、アリストのシートに腰を下ろした。昔からそうだったが、話好きで、尻の長い奴だ。それにしても、飯山がまっすぐ銃を撃てる人間だとは、思わなかった。コートの下に滲んだ血はベルトまで落ちてきている。肺に食らったら、有坂は呼吸のペースで気づいただろう。致命傷には変わりなくても、幸い、銃創は少しだけ下だった。

 有坂と再会して確信したのは、自分の選択が一度も間違ってはいなかったということだった。葉月は、ヘッドレストに頭を預けた。有坂も、詳細までは覚えていないだろう。仕事用の家でワインを飲みながら、『最後の仕事』の打ち合わせをしていた、十五年前のことだ。有坂は妙に感傷的で、ずいぶんとハイペースで飲んでいた。微かな足音は、トイレの中でも聞こえた。そこから入ってきた佐山が、銃口を有坂に向けて、引き金を引いたのも。有坂は飲みすぎていて、自分の力では返り討ちにできなかった。葉月は、佐山の頭に三八口径を向けて引き金を引いたときの、後味の悪さを思い出していた。引退するには、何か酌量の余地がないといけない。例えば、かつての同僚に殺されかけるとか。だからおれは、仕事用の家の場所を佐山に伝えた。『奴はひとりでいるはずだ』とも、念を押すように付け加えたから、有坂以外に誰かがいるのは、想定外だっただろう。

 そして、そのときの努力は実を結び、有坂に十五年の時間を与えた。

 少しだけ浅くなった呼吸に身を任せながら、葉月は空を見上げた。若いころ、自分たちの居場所は、夜にしか用意されていなかった。目を向けなければ、そこにいるかも分からない人間。そんな風に、元々、価値のないところから始まった命だった。そこから、かけがえのない『家族』を生んだのは、有坂だけだった。

 しかし、いろんな理屈を並べてみたところで、結局のところ、おれたちは同僚である以前に、友人だったのだ。葉月は大きく息をついて、目を閉じた。空が青白く変わっていく瞬間を見るのは、いつだって怖かった。もう、そんな心配をすることはない。

 長かった夜が、終わる。

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Red eye @Tarou_Osaka

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