第26話 思い出

 久々にこんなに長い間、自分の部屋にいる気がする。部屋に入ったものの、まだ眠る気にはなれず、部屋の明かりを点けてぼーっと時間を空費している。

「頑張って寝るか……」

カーペットの上から立ち上がり、ちらりと勉強机の方を見ると、天板の上に一冊の本がポツンと佇んでいた。

「この本……」

机の上に置かれた本。懐かしくて、ついつい手に取ってしまう。

 この本は、僕が初めて彼女におすすめした本である。初めの頃は、とっても嫌そうに表情を歪めながらページを捲っていたが、終盤になるにつれて時折笑みを零して、楽しそうに物語の世界に没頭していたのをよく覚えている。

 久しぶりに開いた本をパラパラと捲っていると、ひらりと一枚の紙が床に落ちた。

「なんだコレ……」

床に落ちた一枚の紙きれを拾い上げる。角が少しだけずれて二つ折りにされたその紙を開くと、彼女の美しくて達筆な字で

〈今までありがとう

   すごく楽しかった

         じゃあね〉

と短い言葉が三行、書き並べられていた。紙の上に乗っている字は、少しだけ朧気で、微かに切なさを感じた。

「何が楽しかっただよ……」

僕は鼻の付け根辺りにツンとくる鋭い刺激を抑えて、ベッドに横になった。

 頭に戻ってくる懐かしい思い出。

 忘れたくても、忘れられなくて……。

 この日は全然、寝付けなかった。


 次の日。僕は重たい瞼を何とか持ち上げながら、キャンパス内の講義室に入った。

「あ……」

「あ……」

そこで、昨日別れたばかりの彼女と目が合ってしまう。少し気まずい空気が流れて、僕は何も見ていなかったように視線を逸らして、いつも座っているのとは別の席に座って講義を受けた。

 そこからは前まで通りに講義を受けて、昼食を摂って、午後もなんとか乗り切って。僕は、荷物をまとめて講義室を出た。

「ふぅ、疲れた……」

いつもよりドッとくる疲労感。僕は小さくため息をこぼして、キャンパスを一人で後にした。

 当然ながら、一人で駅までの道を歩いて電車に乗って、最寄駅から家までの道を歩いた。

 玄関の扉を開けて、もう癖になっている一言を零して靴を脱ぐ。リビングに入って、明かりをつけることなくベッドに全体重を預ける。

「飛鳥……」

ソファーに微かに残る彼女の影に、嫌な記憶が舞い戻ってくる。テレビを点けるでも、スマホをいじるでもなく、僕はただただ真っ白な天井を見つめていた。何もする気が起きない。

 そんな時、サイドテーブルに置いていたスマホが小さく振動した。

「飛鳥!」

ソファーから跳ね起きて、スマホに明かりを点ける。しかし、画面上部に表示されていたのは彼女の名前ではなくて、教え子の森田明里さんの名前だった。

「明里さんか……」

心の底から嬉しい名前のはずなのに、胸の奥に複雑な感情が生まれる。

『先生! 急なんですけど、今日、授業入れられますか?』

「大丈夫ですけど。どうしたんですか?」

一字一句、違わぬように返信のボタンをタップした。

『今日、学校で習ったところで分からない問題があって』

「わかりました」

「今から向かいますね」

『ありがとうございます!』

明里さんの元気な返信を見て、僕は家を出た。

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