第27話 彼の存在

「部屋探さないとな……」

昨日はあまりに突然のことだったから二駅離れた所にあるネットカフェに泊らせてもらった。

「物件ってどうやって探すんだろう……」

昨日まで住んでいた部屋探しも、内見も、全て日向がやってくれた。だから、どうやって物件を探せばいいのかも、どんな物件が良いのかも、私には何も分からなかった。

 私の性格上、頼れる友達もいない。家族に相談するのも何だか憚られる。

「どうしろって言うのよ……」

苦悩を吐き出すようにボソッと零すと、ポケットの中でスマホが震えた。

「日向……」

画面に表示されている彼の名前に少し驚きながら、私は電話に応答した。

「もしもし?」

『飛鳥? 急にごめん』

スマホ越しに聞こえてくる日向の優しくて温かい声に涙が溢れてくる。

「どうしたの……?」

『飛鳥の事だから物件決めれないと思って。適当に見繕って決めといたから』

「え?」

 ――別れた後なのに……

日向の純粋な優しさが鋭く胸を突き刺す。

『メッセージで住所送るから、大家さんにカギ貰って入って。家具は講義ない日に送ってもらうことになってるから』

「ありがとう……」

『じゃあ』

一方的に切られてしまった電話。耳にはツーツーという機械音しか聞こえていないのに、私はしばらくスマホを耳から離せなかった。

「日向……」

胸がキュゥっと苦しくなる。

 この時、私は痛感した。私は、日向が隣に居てくれないと何も出来ないのだと。毎日、日向に助けられていたんだと。

 電話が切れて少ししてから送られてきた住所に向かう。

「ここ、だよね……」

目の前に建っているのは、年代を感じる古い小さなアパート。入口の表札にはこがらし荘と書かれている。

「あの。今日からお世話になります。水無瀬飛鳥です」

大家さんに挨拶をして、部屋のカギを貰った。

 一階分の階段を上がって、一番端にある部屋のカギを開ける。扉の先にあったのは六畳一間の居間と古めのシンク、油がこびりついたガスコンロ。それだけだった。

 大家さんに尋ねてみたところ、お手洗いは共同で、お風呂はすぐ近くの銭湯を使ってくれとのことだった。

「銭湯か……」

お風呂はリラックスできる場所。人混みが嫌いな私にとって、銭湯とは私のリラックスタイムを妨害する人が集まる、最悪の場所である。

 私はとりあえず手元にある重たい段ボール箱を下ろして、中から一冊の本を取り出した。すぐに本を開いてパラパラとページを捲る。中には明朝体で、等間隔に書き並べられた読みやすい字。綺麗な比喩表現、登場人物のセリフ。そんなことは分かっても、言葉は心に入ってこない。

「日向が居なきゃ、読書も、何も。楽しくないよ」

私は、何もない閑散とした部屋で独り、涙を零した。

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