第15話

 知幸のマンションに行くと、リビングまでの廊下に物が散乱していた。

「何これ?」

 辺りを見渡しながら言う。

 棚から出したものを、端に乱雑に積まれている。

「ああ、引っ越しの準備」

 怜生の前を歩く知幸が、リビングの扉を開けた。

「ここも……」

 壁際に段ボールが三つ、床には雑誌やら本が雑然と積まれていた。

「これ全部、知兄の?」

「そっ。たった三年なのに、この量。物って増えるんだな。これ、怜生んとこに送るから。近いうちに届くって、母さんに言っといて」

「げっ。イヤだって。自分で言えばいいじゃん」

母の静かだけれど、内心嫌そうにする顔が思い浮かぶ。

「今日、迎えに行っただろ」

「自分で来たくせに」

「可愛くない弟め……」

 兄ととめどない口論をしていると、低めの声が飛んできた。


「うるさい」

 開けっぱなしの扉に寄りかかり、隆之介がダルそうに立っていた。まだ、目は閉じていそうなくらい細い。

「おう、起きたか」

 隆之介の態度と眠そうな顔に、申し訳なさと、少しの怖さを感じている怜生とは違い、知幸は、悪びれる風もない。一緒に生活していれば、いつもの事なのだろうか。それとも、兄の遠慮のなさのせいだろうか。


「起こしてしまって、すみません! お邪魔してます!」

 声を張り上げると、少しだけ開いた目で怜生を見た。

「ああ」

「気にすんな。雪は、いつもこんな感じだからさ」

「知幸がそれを言う?」

 眠そうにしながらも、突っ込んでいる。

「コーヒー淹れるから座っとけ」

「う、うん」


隆之介の何か言いたげな目線を背に受けながら、キッチンへと消えていった。



 隆之介を斜め前にして座る。

 まだ、眠いのか、ソファの背もたれに頭を乗せ、目を閉じていた。

 キッチンからは、水が出る音や、知幸が何かしている音が聞こえてくる。それ以外は、静かなものだった。

 ふと、壁際に柵のようなものが数枚、立てて置いてあるのが目に入った。以前に来た時はなかった。それほど大きくない。小鳥が入っていたゲージにしては大きすぎる。犬か猫のゲージだろうか。ぼんやりと柵を見ていると、知幸が「怜生」と呼んだ。


「夕飯どうする?」

 キッチンから、知幸の顔がのぞく。

 母には、今日ここへ寄ることは伝えていた。晩ご飯は家で食べると言ってあった。

「家で食う」

「わかった」


 テーブルの上にはマグカップが二つ。

 前とは容器が違うプリンを置くと、コーヒーを手に、知幸は半分寝ている隆之介の隣に座った。

「今度は、この店のプリンにハマったらしくって、どっさり買い込んであるから、家にも持って帰ってくれ」

「あ、ありがと」



「あのさ、雪野さん、大丈夫なの?」

 コーヒーを飲んでいる知幸に聞く。

こんなに眠いのに、来るかと誘った理由はなんだったんだろう。

「ああ、本当は、今日だっけ? 昨日だっけ? まあ、どっちでもいいや。休みだったんだけど、急にシフトが入れ替わって、このざまさ。気にすんな」

 知幸は、寝ている隆之介の脇腹をドスッと突いた。

「いって……」

 しかめた顔で、知幸を睨んでいる。

 兄は、そ知らん顔で、「プリンあるぞ」言った。

「買ったの俺だから知ってる」

「ほら、寝てないで食べろよ。はい、スプーン」

「自分で取るって」

鬱陶しそうに言う隆之介に、構おうとする知幸のやり取りに、二人の関係がなんとなく感じ取れた。


「夫婦みたい」

と言うと、「違う」と隆之介に睨まれてしまった。それに対して、知幸は「だろ?」っと満足そうに笑っている。


 不本意なのか、ただ眠いだけのような顔をしながらも、兄が差し出したプリンを受けとり、優雅な手つきで透明な袋から小さなスプーンを取り出している。

一つ一つの動作に目がいく。切れ味抜群の目だけれど、人目を惹く雰囲気を持つ隆之介は……。


「モテそう……、あっ」

 慌てて口を抑えたけれど、出てしまった言葉はしっかりと二人に聞こえていた。

 隆之介の目線が痛い。

「なんだ、怜生は雪がいいのか?」

「え?」

「悪いが俺のもんだから」

 知幸は、隆之介の肩に手を回した。

 隆之介は鬱陶しいとばかりに、近づいてきた知幸の顔を押し返している。

「知幸のものになった覚えはない」

「一緒に風呂に入った仲じゃないか」

「それは、研修旅行で行った温泉だろ。二人じゃない」

「ずっと、暮らしてきたじゃないか」

「もうすぐ出ていくんだろ」

「寂しいのか?」

「弟が誤解してるぞ」


 隆之介が親指で差す方を、知幸が見た。


 その兄と目が合った。

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