第4話

 一人妄想する怜生を気にする様子もない知幸は、携帯を操作していた。

 指の動きから、メッセージでも打ちこんでいるのだろう。

 タイミングを見計らって、知幸に聞いた。


「ユキって誰? 彼女?」

「……」

 瞬きを数回繰り返し、知幸は豪快に笑った。


「なんで、笑うんだよ?」

 ふくれっ面で聞いても、まだ笑っている。

 そんなに笑うぐらいだから、彼女じゃないのだろう。

 

 じゃあ、誰なんだろう。


 知幸の「友達?」と聞くと、「まあ、そんなところだ」と言った時、知幸が持っている携帯から着信音が聞こえた。

 親指でタップした後、携帯をデニムパンツの後ろポケットに突っ込んでいる。

 それ以上しゃべる気がなさそうな知幸は、怜生に「行くぞ」と声をかけ、切符売り場へと向かった。



 都心から十五分ほど電車に揺られた駅で降りた。

 降りる乗客は多く、知幸から離れないように広い背中の後ろをついていく。

 時折、気にするように振り返る兄の姿に、家を出る前の高校生だった兄の姿と重なった。


 小さい頃から、この背中に守られていた。そして、今も守られている。

 はがゆいけれど、安心する背中。

 この兄がいるのなら、都心に出てきても大丈夫と思える。

 それにしても、結婚報告じゃないのなら、なぜ呼びだしたのだろう?

 こっちに来てもいいというだけなら電話で事足りる。

 厄介ごとに巻き込まれるかどうか確認したかったのだろうか。

 それ以上に『ユキ』という人物が気になっていた。



 怜生の住む町は、広大な田畑が広がり、周りを山で囲まれた田舎だ。高校は一校だけ自転車で一時間走ったところにあるだ、大学はさすがにない。都心近くまで出るか、他県の大学に通うか。

 高校に入ってからずっと親と協議してきた。親は、地元で就職するか、農業を継いでほしいといい、怜生は、都心の大学を希望した。

 進路調査票を貰ってきた日、家を出る、出ないで母と口論になった。心配する気持ちはわかるけれど、怜生にだって夢はある。

 それを捨ててまで、今はまだ、家業を継げない。


 怜生のなりたいもの。それは、学校の先生。


 資格を取って地元の小学校で働くのが夢だ。


 やってみる前から諦めたくない。

 と言っても母は、「他の親御さんの命を預かるような仕事ができるの? 何かがあってからじゃ遅いのよ。ごめんなさいで済まされないのよ」と、悲しそうな顔をした。それは分かっている。わかっているけれど、理想とする先生がいる。

 目標とする先生がいる。

 それを目指すこともできないなら、怜生は自分の体質を恨んでしまいそうだった。

 出来ない理由が自分にあるからこそ、諦めたくなかった。

 やればできるって信じたかった。可能性がゼロじゃないって示したい。

 トラブルや事件に巻き込まれやすい体質だからといって、屈するなんてしたくなかった。妥協したくなんてないんだ。

 母の気持ちと自分自身の気持ち。どちらを優先するべきなのか、まだ、決めかねていた。


 怜生はぐっと、唇を噛んだ。

 改札口を出て、人通りが少なくなった。駅構内をでると、ロータリーにはタクシーやバスが止まってる。

 その脇を通り過ぎ、民家が立ち並ぶ車一台が通れるほどの狭い路地を歩く。

 歩いている人はまばらだ。

 何も言わずに歩く知幸を見上げた時だった。

 こちらに手を伸ばしたかと思うと、肩を引き寄せた。


 急に引っ張られ、たたらを踏む。

 知幸の着ているトレーナーに背中をぶつけた。

 その直後、後ろから来た自転車が、すぐ前を通り過ぎていく。

 自転車に乗っている男と目が合い、すぐに逸らした。


 気付かなかった。

 時折、自転車が通り過ぎていくけれど、向こうが避けてくれるものだとばかり思っていた。それでは駄目なのだと、背中がヒヤリとする。

 知幸から離れ「ありがと」と言うと、「おう」とだけ返ってきた。


 地元と違う。

 それだけは分かった。

 気を張っている分だけ疲れそうだ。

 そんな考えを振り落とすように首を振る。

 知幸は、そんな怜生を見て、眉を少し上げた。




 しばらく歩くと、知幸は三階建てのコンクリート質感がそのまま残るマンションへと入って行った。階段で三階まで上がり、曲がったすぐにある扉の前で立ち止まった。

 鍵を開く音が聞こえ、扉が開く。

「ここだ」

 振り向きがてら言ったと、さっさと中に入ってしまった。

 知幸がどんなところに住んでいるのかまでは知らなかったが、もっとボロアパートだとばかり思っていた。こんなにしっかりしたマンションに住んでいたとは驚きだった。

「ほら、入れよ」

「あ、うん。お邪魔します」

 おずおずと、中に入ると、コーヒーの香りが鼻腔を抜けていった。

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