第三十一話「愛しています」

 物心がついたときから、少女には親がいなかった。


 とはいえ少女が生まれた国では、さして珍しくもないことである。

 この国では親のいない子供は誰か優しい大人に拾われるか、売られるか、スラムでその短い生涯を終えるだけだ。


 だが彼女は拾われた。

 その点では運が良かったといえよう。


 少女にとって不幸だったのは。

 それが優しい大人ではなく、とある宗教団体カルトだったことだ。


 そこで挨拶をする相手は親や友達ではなく、神ただひとりであった。

 住まいは牢獄のような小部屋だったが、無機質な扉の小窓を通して毎日食事だけは与えられていた。



 それからいったい、何年の月日が流れただろうか。


 なかば幽閉されるように育てられた少女は、人のぬくもりというものを何ひとつ知らぬまま美しく成長した。

 ブロンドの髪と青い眼、そして整った容姿だけが、少女にとっては親からの贈り物であった。



 少女がこの世に生まれ落ちて、ちょうど十二年が経ったある日。

 けして開くことのなかった重い扉が開け放たれた。


 顔に笑みを貼り付けた大人たちが、少女を外の世界へとエスコートする。


 生まれてはじめて、備え付けの水桶ではなく湯船で身を清め。

 生まれてはじめて、ボロきれではないピカピカのドレスを身にまとい。

 生まれてはじめて、他人に囲まれながら温かい食事をとった。


 少女は思った、これが神のいう“愛”なのだと。



「連れて参りました、教祖様」



 食事を済ませると、大人たちは少女を施設のとある一室へと導いた。

 きっとここにも愛があるに違いない。


 そう期待に胸を膨らませた少女を待っていたのは。

 恰幅かっぷくのいいひとりの中年男であった。


「来ましたか、シャリオン」

「シャリ、オン……?」

「そう、よく言えましたね。それがあなたの名前です」


 生まれてはじめての、名前。


「シャリオン……シャリオン……」


 少女は確かめるように、自分の名前を繰り返す。

 その姿を優しく見守っていた男は、少女のブロンドヘアを優しくなでる。


「私は今からあなたに“洗礼”を与えます」

「せんれい……?」

「少々痛みを伴いますが、我慢せずに大きな声で泣いてください」


 男は豹変ひょうへんした。


 シャリオンの小さな体をベッドに押し倒すと、まだ一度しかそでを通していない彼女のピカピカのドレスを強引に引き裂いた。


「ああ、本当に美しく育った……シャリオン……我れらが神の子よ……」



 少女は思った、これが“愛”なのだろうかと。



 愛とは、こんなもの・・・・・なのだろうかと。



「さあ脚を開くのですシャリオン、さすれば神の愛をあなたに……あ……? な、なんだこれは……? どういうことだ!?」


 中年男の身体が、あっというまに黒い炎に包まれる。


「なんだこれ!? おい誰か、誰かいないのか! か、体が……あっ、ひっ、ひぎゃああああああああああ!!!!!」


 男の汚い体は黒いウロコへとその姿を変え、シャリオンの小さな胸に吸い込まれた。

 シャリオンは自分に“愛”を向け、ひとつになってしまった・・・・・・・男の、最期の顔を思い出すことができなかった。


 いったいなにが起こったのか、シャリオン自身すぐには理解できずにいた。

 しかしそれ・・を為したのが自分自身であると気付くのに、そう時間はかからなかった。




 ………………。



 …………。



 ……。




『オリジンレッド! 応答しろ、オリジンレッド! しっかりしろ、まだ死ぬんじゃない!!』


 朦朧もうろうとする意識のなか、太陽は自分を呼ぶ本子の声で目を覚ました。

 メギドーラの一撃はヒーロースーツの防御性能をも上回るほどであったらしく、全身に激痛が走る。


 太陽の身体は祭壇を叩き割り、なかば壁に埋もれていた。


「……ってぇ……」

『オリジンレッドォォォ! 死ぬなァァァァ!! うわああああああん!!』

「……こちらオリジンレッド……、まだしぶとく現世にしがみついてるみてぇだ……」

『びえええええええぇぇぇん!! 生゛ぎでだァァァ!!!』


 とはいえ全身ボロボロで、気を抜けば今にも意識が飛びそうだ。


 さいわいなことに、ぼやける視界の中にメギドーラの姿は見えない。

 トドメを刺したと勘違いしてくれたのだろうか。


「本子ちゃん……ごめん」

『いきなり謝るな! なんだ君、死ぬのか!? お前より先に逝ってごめんってことなのか!? 安心しろ、私は君になんの恋愛感情も抱いていないと断言する!』

「嘘でもいいから『愛してる、死なないで』とか言おうよそこは。……そうじゃねえよ、あいつらを……オリジンフォースのみんなを守れなかったこと、謝っておこうと思ってな。……俺が捨て身でもっとはやく、決着ケリをつけてたら……」


 オリジンフォースの仲間たちが駆けつける前に、メギドーラを倒すチャンスは何度かあったのだ。

 もしシャリオンの正体に気づいていたなら、太陽は彼女の誘惑を許すことなく早々に決着をつけることだってできたはずだ。


 もっと言えば、仲間たちを引き連れて光臨正法友人会の本部を訪れたりしなければ、こんなことにはならなかったはずなのだ。


 それができなかったのは自分の責任だと。

 仲間たちを守り切れなかったのは、自分の不甲斐なさゆえのことだと。


 太陽は薄れゆく意識の中、そんなことを口走っていた。


『ばっ……』

「ば……?」


 すうと息を吸い込む音が、インカムから聞こえたかと思うと。



『ばっきゃろォーーーーーいッッッ!!!』



 本子の叫び声が、太陽の鼓膜を揺さぶった。


「……いきなり大声出すなよ本子ちゃん」

『いいや言わせてもらうね。断言しよう君は馬鹿だ、さもなくば大馬鹿者だ。確かに君には隊長という立場がある。だが自分がみんなを守ってやっている・・・・・・・・なんて思うのはおごりでしかない。そうは思わないかね君、私は思う』

「本子ちゃ……」

『いいかよく聞けオリジンレッド! 君は隊長レッドである以前にオリジンフォース・・・・・・・・だ! 仲間を信じろ・・・、共に敵を討て! 必ずどこかに勝機はある! えっと、勝機ってのはそのあれだ、具体的にはわかんないけど、とにかく負けるな!』


 一方的にまくしたてたあと、本子は黙り込んでしまった。

 インカムからはぁーはぁーと息を整える音が聞こえているあたり、彼女は太陽の言葉を待っているのだろう。


「……ったく、なんつー無責任な司令官だよ……」

『はぁ……はぁ……君の認識を訂正しよう、君たち・・が勝っても負けても、尻をぬぐってやるのが責任者というものだ』

「違いねえ。けど少しだけ見えたぜ、勝機ってやつが」



 なにをひとりで勝手に諦めていたのだろうか。



 ――諦めない――。



 生涯現役を貫かんとする自分には“それ”しかなかったのではないのか。


 仲間を信じろ、負けるな。

 そんな単純な言葉で、太陽のボロボロの身体にみるみる力が湧いてくる。




 ずるり、と。


 視界の端から真っ黒な巨体が姿をあらわした。



「ああよかった。なかなかお目覚めにならなかったので傷と万病と活字中毒によくくアルティメット濃縮還元水をお持ちしたのですが、その様子だと続けられそうですね。さあ、ふたりで愛の神話をつむぎましょう」



 愛に狂い、愛を渇望する美女、光円寺シャリオン。

 またの名を狂愛怪人メギドーラは、黒いウロコに覆われた龍のからだをじゃららと鳴らし、全身で歓喜を表現する。


 そのウロコ一枚一枚が、彼女にとっては愛の証であった。


 劣情であれ、信仰であれ、彼女に想いを寄せた者を取り込む力。

 それが狂愛怪人メギドーラの、怪人としての特性であり、ごうであった。


 彼女は望んでいた、真実の愛を。

 真実の愛だけが放てる、究極の一撃を。


「さあ、わたくしにくださいませ。あなたがリベルタカスに放った、大切な人を守る・・一撃を。ネーヴェルに放った、大切な人を信じる・・・一撃を。オリジンブルーという、ひとりの少女に向けられたが織りなす必殺の一撃を」


 自身のその身に受けることこそ、愛を知らぬ少女が、シャリオンが探し求め続けた“真実の愛”をよくすることだと信じて。



「メギドーラ……いや、シャリオン・・・・・。おめぇに教えてやる。愛ってのはな、守るだとか、信じるってことじゃあねえ」



 両足が、たしかに地を踏みしめる。

 両手が、かたくかたく拳を握りしめる。


 心臓はパルスを刻み、全身によみがえれとげきを飛ばす。


 だがその目が見据える相手は、卑劣にも策を巡らせ利己的に愛を独占しようとする怪人などではない。


「愛ってのは本気で相手の幸せを、腹の底から願うことだ! うとまれようが、ウザがられようが、押しつけがましかろうが、全身全霊をかけて誰かのために体を張る自分自身エゴイズムじゅんじることだ!!」


 太陽は叫んだ。

 大きな声で語りかけた・・・・・


 信じる仲間に。

 ウロコの一枚となってしまった、愛する少女に。


「聞けぇええええ!!! いつきぃぃぃいいいいいいいい!!!!!!」


 その声が届くと信じて。

 いや、なにがなんでも届けてやると、喉が張り裂けんほどに叫んだ。


「ヒーローを目指すことがお前の幸せなら、俺は全力でお前を応援する! くじけそうになったら何度だって抱きしめてやる! お前を泣かせるやつは全員俺がぶっとばす!! 愛してる・・・・ぞ、いつきいいいいいいいいいい!!!!!!!!!!」






 パキッ……。



 太陽の雄たけびの残響に混じって。

 鏡にひびが入るような、小さな音が太陽の耳に届いた。



「……そんな……まさか……!?」



 驚くメギドーラの額を覆う黒いウロコの一枚が、白く輝き砕け散る。


 破片は花吹雪のように舞い上がり、渦を巻いて光の柱を形作かたちづくる。

 それはまるで、宵闇の、群青の空を貫く太陽柱サンピラーであった。


 光の中から、ふわりと。

 ひとりの少女が舞い降りる。


 両腕をひろげ、目に大粒の涙を浮かべて。


 太陽も負けじと両手をひろげ、少女の体を抱きとめた。



 青みがかった髪が、ぽすんと。

 ヒーロースーツの胸元におさまった。



「……私も、愛していますっ……!」



 ふたりが互いに強く強く抱きしめ合うなか、光の柱は再び花吹雪のように砕け散り、舞いあがった。


 崩壊しかけた教会で、砕かれた邪神の祭壇前で。

 光の粒が、音もなくふたりに降り注ぐ。



「“愛”が……わたくしの力を上回った……? だって、こんなこと今まで一度も……」



 狼狽するメギドーラを尻目に、いつきはオリジンレッドに抱きついたままポニーテールをぶんぶんと揺らす。


「あっ、あの、オリジンレッドさん! ほんとに! ほんとに!?」

「いつき、その話はあとだ」


 ふたりは倒すべき敵、愛に狂った怪人メギドーラへと向き直る。


「残りの三人もさっさと返してもらわねえとな。いつき、やれるか」

「はいっ、もちろんです!」



 いつきは両手を前に突き出し、オリジンチェンジャーを構えた。



「ロック解除!」



 いつきの身体が青い光に包まれる。



 青き戦士は、己の敵に立ち向かう。

 愛する仲間と並び立ち、覚悟とともに剣をとる。




「“烈風れっぷう尖刃せんじん”オリジンブルー。行動を……開始します!」





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