第三十話「禁断の果実、狂愛怪人メギドーラ」

 蝋燭の炎が妖しく揺れる教会で、太陽とシャリオンは対峙していた。


 しかし一糸まとわぬ姿の美女に迫られているというのに、睦言むつごとなど語れる雰囲気ではない。


 びりびりと張り詰める緊張は食物連鎖の世界で強者が放つそれに近い。

 太陽の中で、警戒心がみるみるうちに肥大化していく。


 赤いマスクの下で、冷や汗がしたたり落ちた。



「ふっ……」



 長い沈黙のあと、先に口を開いたのは太陽であった。



「……服を着ろ」



 その一言に、仮面のような笑顔を絶やさないシャリオンが一瞬目を丸くする。

 そしてすぐさま『ふふっ』と小さく笑みを漏らす。



「あなた、面白いことをおっしゃいますね」



 まるで子供でも前にしているかのように、シャリオンは口に手をあててくすくすと笑った。

 そんな仕草でさえも、薄闇のかもしだす陰影でどこか蠱惑こわく的に見えてしまう。


 シャリオン自身が生まれ持った魔性なのか、気を抜くと簡単に理性のタガを外されてしまいそうになる。


「なんのつもりか知らねえけどよ、相手間違えてねえか」


 太陽は己の目的を思い出し、頭を振ってなんとか正気を保った。

 ヒーローが対峙すべき相手は怪人であって、けして裸の美女ではない。


「だいたいお前さんなんのつもりだ。話があるってのは嘘だったのかよ」

「あら、おはなし・・・・なら愛をつむぎながらでもできますわ」

「ピロートークしにきたんじゃねえ。うちの連中の目ぇ覚ますためにわざわざ足運んでやったんだぞこっちは」


 シャリオンは敷かれた赤い絨毯じゅうたんの上を素足で一歩、また一歩と太陽に歩み寄る。

 距離が近づくにつれ、薄明かりのなかでもシャリオンの白く冷たい輪郭がはっきりと見えてくる。


「オリジンレッドさん。信仰は魔法のようなものですわ。解くには相応の対価がいると思いませんか」

「とんだ呪いじゃねえか。そういうアプローチならお断りだぜ」

「ならばうたいましょう。わたくしはあなたの愛に焦がれました。私の身をむしばむこのうずきをしずめられるのは、まぶしい光を放つあなたさまの熱烈な愛に他ならないと」


 シャリオンの手がついに、太陽の胸に触れた。


 背丈はそれほど変わらないせいか、まるで見る人の理想を描く絵画のように美しい顔が太陽のすぐ目の前で微笑みかける。

 大理石の彫像のように均整の取れた肉体は、すぐにでも押し倒してしまえるほどの至近に迫っていた。


 ほのかに甘い香りがマスク越しに太陽の鼻孔をくすぐる。

 薄い唇から漏れた熱い吐息で、ゴーグルが曇る。


「あなたさまの愛をこの身に注いでいただけるのであれば、わたくしも相応の代償を支払う覚悟はございますわ」


 シャリオンは太陽の肩に手を添え、耳元に唇を近づけた。



わたしは処女です」



 くすぐるようなささやき声が、耳にからまる。

 甘い言葉は耳からつたのように入り込み、脳髄のうずいを絡め取って心臓をす。


 危険なほどに高まる鼓動を抑えながら、太陽は必死に言葉を絞り出した。


「ベルベル兄妹は、あんたの差し金か」

「……だとしたら、どうなんです?」

「俺はあんたから詳しく話を聞かなきゃいけない。怪人をあごで使う女はまともじゃねえ」

「尋問ならば、この身体からだに聞いてみてはいかがでしょう」



 ガチャリ。


 鉄鎖てっさの音は、思いのほか教会内に大きく響いた。



「これは……?」



 シャリオンは両手を持ち上げる。

 その細い手首には、鋼鉄製の輪がかけられていた。


 怪人相手では使用する機会は少ないが、ヒーローには警察同様『手錠』が配備されているのだ。

 怪人に加担する市民・・・・・・・・・を拘束するための、数少ない対人装備のひとつである。


わたくし、はじめてですので、こういうのはちょっと……」

「あんたと怪人の関係は、ヒーローとしてあとでじっくり聞かせてもらう。ヒーロー本部の留置所まで来てもらうぞ」

「あら、もしかしてわたくしふられ・・・ちゃいました?」


 手錠をかけられてもまったく笑みを崩さないシャリオンに、太陽は己の背筋をなにか冷たいものがで回しているような感覚に見舞われた。


 最前線で身体を張り続けてきたベテランヒーローとしての直感・・に近いものであったが、太陽は反射的に後ろへ飛び退いてシャリオンと距離をとる。



 次の瞬間。

 それまで太陽がいた空間が、真っ黒な闇の炎に包まれた。



 否、黒い炎はシャリオンを中心に拡がっている。


 それらは次第に渦を巻き、柱となってシャリオンの身体を覆いつくす。



「とても残念です。愛をいただけないのであれば、奪うほかありませんね」



 闇の火柱の中から現れたのは、見上げるほどに巨大な、白い大蛇だいじゃであった。


 十数メートルはあろうか体躯からだのところどころに、黒いウロコが張り付いてまだら模様になっている。



「くそっ。シャリオン、あんたやっぱり怪人だったのか!」

「ふふ、みなさんからは狂愛きょうあい怪人メギドーラと呼ばれておりますの。でもその名前、嫌いなんです」


 大蛇と化したシャリオン、狂愛怪人メギドーラは大きな口を開けて太陽に迫る。


「局地的人定災害を確認! ロック解除!」


 いままさに太陽の身体が飲み込まれようとした、そのとき。

 赤い光が太陽を包み、巨大な蛇の口はくうむ。


 全身に赤いヒーロースーツをまとった戦士が、宙返ちゅうがえりをきめながら、メギドーラの巨体を飛び越え祭壇に降り立った。



「“紅蓮ぐれん剛拳ごうけん”オリジンレッド! 行動を開始する!」



 太陽はすぐさまホルスターからオリジンシューターを引き抜くと、振り返りざまのメギドーラに向かって光線を三発撃ち込んだ。


 一発目は黒いウロコに弾かれたものの、二発目、三発目がメギドーラの顔に命中する。


「いたっ! ふふ、いたいですオリジンレッドさん。もっと優しく……。それか、もっと激しい……燃え尽きてしまうような“愛”をわたくしに注いでくださいませ」

「俺の必殺技は、敵に撃てと言われてほいほい撃つようなもんじゃねえんだよ」


 太陽は暗い教会内を駆け回り、メギドーラの攻撃を避けながらさらにオリジンシューターのトリガーを引く。


「いッ! あうぅッ!」


 相変わらず黒いウロコにはまるで攻撃が通らないものの、露出した白蛇のからだには少なからずダメージが通っているように見えた。

 むしろ標的が大きいぶん、精度の悪い旧式のオリジンシューターでも十分に当てられる。


 加えて大柄なメギドーラの攻撃はどれも大振りなせいか、気を抜きさえしなければ避けることはそう難しくない。


 し切れる。

 太陽がそう思った、そのときであった。



「「「シャリオンさまーーーーーッ!!!」」」



 教会の扉を破り、光臨正法友人会の信者たちが続々と雪崩込んでくる。

 彼らはみなおそろいの白い法衣をまとい、袈裟けさを首にかけロザリオを握りしめていた。


「ああ、なんという神々しさ……これぞデスモス・アガッピ・アグリオパッパ様の御使みつかいに相応ふさわしき御姿みすがたなり!」

「我らの信仰を今こそ光にささたてまつります! ガンジャンホーラム!」

「「「「「ガンジャンホーラム! ガンジャンホーラム!」」」」」


 信者たちの体が、次々と闇色の炎に呑まれていく。


 彼らは祈りを捧げたまま、黒い無形物へと姿を変え、そして。



「みなさんの篤信とくしんに、真実まことの愛の導きがあらんことを」



 信者だったもの・・・・・・・は黒いウロコへと変化し、メギドーラの巨躯を包み隠す。



 巨大な白蛇はあっという間に、真っ黒な“龍”へとその姿を変えた。

 メギドーラの全身を覆い尽くすのは、オリジンシューターの攻撃を一切受けつけなかったあの黒いウロコだ。



「ちっ……こりゃマズいことになった……!」

「ふふ、軽い愛はもう結構ですわ。私が欲するのは、もっと巨大で雄々おおしくたくましい、太陽のような愛なのです」


 この黒龍こそが、狂愛怪人メギドーラの真の姿であった。

 信者ひとりひとりがウロコとなって、メギドーラに完全なる防御・・・・・・をもたらしているのだ。



「ふふ。信仰はパワーですわ」

「おいおい……邪神もいいところだなまったく」



 硬いウロコに包まれた大槌おおつちのような突進が、大木の丸太のような尾のぎ払いが、太陽に襲い掛かる。

 相変わらず避けられないほどのものではないが、こちらから有効な攻撃手段が無いとなれば話は別だ。


 ウロコに包まれているとはいえ、レッドパンチならあるいは……。


 いや、光線を弾いているうちならばいざ知らず、レッドパンチはメギドーラをウロコごと消し飛ばすだろう。

 そうなれば罪のない信者たちが巻き添えになることは必至だ。


 たとえ市民が自ら進んで怪人に身を捧げようとも、“怪人を倒す”ことが職務であるヒーローにそれは許されない。



 ただひとつ。

 メギドーラの額には、わずかではあるがウロコに覆われていない箇所があった。


 信者を多く抱えているとはいえ数には限りがある。

 全身をくまなく埋めるには、ほんの数枚分ではあるがウロコが足りなかったのだ。


「このままじゃジリ貧だ、いちかばちかあの隙間にオリジンシューターを押し当ててぶっぱなすしか手はねえってか……!」

『オリジンレッド聞こえるか! いま君のマスクモニターで戦闘を確認した!』


 突如、赤いマスクに内蔵されたインカムがけたたましく叫んだ。

 変身を感知した本子からの通信であった。


「本子ちゃん聞こえるか。局人災かいじん警報を出してくれ、近隣チームのバックアップを要請する。ただしオリジンフォースの連中は絶対に出動させるなよ」

『違うんだ聞いてくれオリジンレッド! 私が気づいたときにはもういなかったんだ! トイレから戻ったときにはもうどこにも!』

「なに言ってるんだ本子ちゃん!? 話が噛み合ってねえぞ!?」

『みんな出動しちゃった・・・・・んだよ、私の許可もなく!』



 太陽の脳裏に、最悪のシナリオが浮かぶ。


 まるでその答え合わせをするかの如く。

 打ち破られた教会の入口に、四人の影が並び立つ。



 スナオ、モモテツ、ユッキー、そしていつき。



 四人の仲間はどろりと濁った目を、太陽とメギドーラに向ける。



「お、お前たち……」

「「「「ガンジャンホーラム!」」」」



 祝詞のりととともに四人は黒い炎に包まれ、四枚のウロコとなってメギドーラの額を埋める。


 唯一ゆいいつ露出ろしゅつしていた弱点をも覆い隠し。

 完全無欠の黒龍と化したメギドーラが、太陽に語りかける。



「神のアガペわたくしたちに分けへだてなく降り注ぐように。信仰もまた誰しもの心に等しくつちかわれるものですわ」




 直後振り抜かれた太い尾の一撃が、太陽の身体に炸裂さくれつした。





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